生成AIの進化によって、エンジニアの仕事や開発のあり方は大きく変わりつつあります。では、AIがコードを書く時代に、エンジニアはどのような価値を発揮していくのでしょうか。
今回は、Google、Apple、LINE、メルカリなどで技術開発や開発組織に携わり、現在はメディフォンの社外取締役/社外CTOを務める若狹さんに、AI時代のエンジニアリングと、これからのメディフォンの開発組織について聞きました。
1. AI時代、エンジニアの仕事はどう変わるのか
ー生成AIの普及によって、ソフトウェア開発の進め方や、エンジニアに求められる役割はどのように変わってきていますか。
実は、コードを書くこと自体は、もともとソフトウェアエンジニアリングの業務の中心ではなかったんですよね。Googleのような会社では、開発基盤と人に大きく投資してきたので、コーディングよりも「なぜつくるのか」「何をつくるのか」に時間を使える環境がありました。
一方、多くの企業では、プログラムを書くこと自体に多くの人や時間、お金を使ってきた。生成AI、特にAIコーディングエージェントによって、そこが大きく変わりつつあります。
本質的にはエンジニアの仕事が変わったというより、多くの企業がようやく、本来向き合うべきことに時間を使えるようになった、という感覚です。
「これは本当にユーザーに価値があるのか」「そもそもつくるべきなのか」。答えが明確でない問いを関係者と議論し、判断する。そこがソフトウェアエンジニアリングの難しい部分であり、AI時代にはより重要になります。
ーそうした変化を踏まえ、メディフォンの事業やプロダクトには、エンジニアリングの観点からどのような可能性を感じていますか。
メディフォンは、ミッションという意味では「何のためにやるのか」が明確な会社です。外国人患者受け入れ支援サービス「mediPhone」は、患者さんと医療従事者が言葉の壁を越えて意思疎通する場面を支えています。一方、健康管理システム「mediment」は、健診結果やストレスチェックを、従業員の健康管理につなげるためのプロダクトです。どちらも、届けた先に実際の人がいる。 だからこそ、実際に事業を進める中では、「お客様の要望にどこまで対応するのか」「何を優先するべきか」など、日々たくさんの判断が必要になる。遠いゴールは社内で共有できていても、そこへどう近づくかは常に各自が考え続けなければいけません。
一方、AIによって「人手が足りないからできない」という制約はかなり小さくなっています。実際、以前なら調査から機能のアップデートまで数日かかっていたような作業も、今では半日ほどで進められるケースが出てきています。
ある意味で、組織の規模や保有する資源にかかわらず戦いやすい時代になった。大きなチームをつくらなくても、強力なツールを使いながらスピードを出せる。メディフォンのようなスタートアップにとって、非常に大きなチャンスだと思っています。
2.「命と向き合う医療インフラ」を支える技術と判断
ー「命と向き合う医療インフラ」というミッションを、今年7月に発表しました。この言葉を技術面から実現するうえで、一般的なサービス開発とは異なる難しさや、特に重視すべき判断は何でしょうか。
僕はもともと社会の基盤になるソフトウェアが好きで、これまでもインフラ的なプロダクトに関わってきました。Googleに入った当初に開発に携わったGoogleマップも、はじめは「なぜGoogleが地図サービスに注力するのか?」と思いましたが、Googleの検索やGmail、Android、Chromeなどと同じで、今ではないと困るインフラですよね。
「命と向き合う医療インフラ」は、掲げるには非常に重い言葉です。僕はこれを、出身地や言語、所属する組織の規模に左右されず、必要な医療が必要な人に届く状態をエンジニアリングでつくることだと捉えています。 簡単に実現できることではありませんが、だからこそ挑戦しがいがあると思っています。
インフラになるために必要なのは、結局、信頼を積み重ねることです。落ちない、止まらない、急に遅くならない。24時間365日、当たり前に使える。そうした一見地味な「当たり前品質」を徹底することが重要です。
AIを活用するうえでも、安全に進むための境界線を設ける必要があります。歩道と車道の間にガードレールがあるように、AIに任せてよい範囲や守るべきルールを明確にし、判断の根拠となるドキュメントを整える。人が開発するうえでも重要ですが、AIエージェントを活用するほど、こうした仕組みが効いてきます。
技術そのもの以上に難しいのは、品質や安全性にきちんと経営資源を振り向けられるかという判断かもしれません。お客様の要望に応えながら、医療インフラとして長期的に守るべき品質や優先順位とどう両立させるのか。命や健康に関わるからこそ、正解が一つではない問いに、経営も現場も日々向き合う必要があります。そこは、ほかの事業領域とは異なる難しさです。
3.AI時代に強い開発組織を、メディフォンでどうつくるか
ー日々「やる・やらない」の判断が発生する中で、組織としてどのような基準や価値観を持つことが重要なのでしょうか。
少し大きな話をすると、僕はエンジニアリングとは、「制約条件の中で、やりたいことをどう実現するかを考える仕事」だと思っています。
世の中には、お金や時間、物理的な条件、社会的な合意など、さまざまな制約があります。その中で、個人や企業、社会として実現したいことにどう近づくかを考え、形にするのがエンジニアリングです。
メディフォンでも、「この会社にはどのような制約があるのか」「医療領域では何を守るのか」を、組織の共通認識にすることが重要です。例えばセキュリティについても、「ここは必ず守る」というルールを言語化する必要があります。
同時に、既存のシステムや開発の進め方にも目を向けなければいけません。新しい機能をつくることと、技術的な負債を解消して開発しやすい状態にすること。そのどちらに、今、時間を使うべきかを見極める。そうした地味で泥臭い判断を重ねて、限られた資源から生み出せる価値を大きくしていくのも、エンジニアリングの本質だと思います。
ミッションに向かって大きな夢を描くことは大切です。ただ、エンジニアリングは理想だけを追う仕事ではありません。現実の条件を正しく捉え、限られた時間や資源の中で、ミッションの実現に最も近づく方法を組織として選び続けていくことが大切です。
4.完成していないからこそ、エンジニアとして成長できる
ー変革途中にある現在のメディフォンだからこそ、エンジニアが主体的に関われるテーマや、得られる経験にはどのようなものがありますか。
メディフォンはスタートアップなので、そもそも「正解がない」ことが前提です。正解がないと動けない人にとっては、正直、難しさを感じる環境かもしれません。
一方で、「こうなんじゃないか」と仮説を立てて試し、うまくいかなければ、そこから学ぶ。少なくとも開発組織としては、そういう姿を目指すべきだと思っています。
もちろん、セキュリティ事故のような、取り返しのつかない失敗は避けなければいけません。ただ、やり直せる失敗まで恐れていたら前には進めない。一定のリスクを取って行動し、そこから学ぶことで、個人も組織も成長します。減点主義ではなく、挑戦したこと自体を評価する組織でありたいと考えています。
メディフォンの開発組織は、仕組みやルールがすべて整っているわけではありません。でも、それは「どうあるべきか」から一人ひとりが関われるということです。組織や開発プロセスについて議論し、今の形を変えていける。さらに良い組織へ成長できる伸び代が大きいと感じています。
ー今後のメディフォンでは、どのような経験・志向・スタンスを持つエンジニアが活躍しやすいと考えていますか。
今のメディフォンのメンバーは、相手を尊重して、お客様のこともしっかり考えられる人たちです。これは「命と向き合う」という価値観そのもので、変えるべきものではありません。
そのうえで、これから組織や開発のあり方を変えていくには、「自分はこうしたほうがいいと思う」という考えを持ち、それをきちんと主張できる人がもっと必要です。周囲と意見が違っても、より良いものをつくるために議論できる人。今は、そういう人に仲間になってもらいたいと思っています。
もちろん、毎日みんながけんかをしているような組織がいいわけではありません(笑)。意見がぶつかるだけでは前に進めません。でも、何かを良くしたいという情熱から生まれる摩擦は、前向きな力に変えられる。そのためにはマネジメントの強化も必要です。
今のメディフォンが持つ、相手を慮る姿勢や気配りの良さを残しながら、そこにもう少し「自分たちはこうしていきたい」という強さを加えていきたいですね。
5.AI時代のエンジニアリングを、医療の現場で実践する
ーAIによって開発の進め方が変わる中でも、エンジニアが手放してはいけない役割や判断とは何だと考えていますか。
逆説的ですが、僕はむしろ「どんどん手放したほうがいい」と思っています。
よく「AIがどれだけ進化しても、ここは人間の仕事だ」と線を引く話がありますよね。でも僕は、それにはあまり賛成していません。任せられることはどんどんAIに任せて、「これもできるんじゃないか」と試し続けるべきだと思っています。
もちろん、今の時点ですべてを任せられるわけではありません。人と話す、暗黙知を形式知として言語化する、意見の異なる人と合意をつくるなど、コーディング以外にも仕事はあります。AIのアウトプットが適切かを判断し、結果を確認することまで手放してよいわけでもありません。
ただ、その線引きを固定してほしくないんですよね。今は任せられないことでも、1カ月後、3カ月後、半年後には任せられるかもしれない。今のAIだけを見て「ここから先は人間の仕事」と決めると、技術や環境が変わっても、自分で引いた線にとらわれてしまいます。
エンジニア一人ひとりが、AIエージェントというメンバーを持つマネージャーになるイメージです。自分でコードをすべて書くことにこだわるのではなく、何を、なぜつくるのかを定め、AIに任せた仕事の結果を確かめながら形にしていく。「自分がやったほうが早い」と思うことも含め、どこまで任せられるかを考え続けることが大切だと思います。
会社としてミッションを達成するために、より効率的な方法があるなら使えばいい。別の仕事が残れば、それも「AIに任せられないか」と考える。どこまで委譲できるかを追い続けるくらいでいいと思っています。
特にメディフォンのように、まだ大きな組織ではない開発チームには、「持たざるものの強み」があります。大きな組織では難しいことでも、小さいからこそ大胆に試せる。半年後、1年後にはどこまで手放せるのか。今この瞬間のAIだけで判断せず、変化を見ながら、AI時代の新しい開発のあり方そのものをつくっていけると面白いと思います。
ー医療・ヘルスケアの課題解決に興味のあるエンジニアにとって、今のメディフォンに参画する面白さについて教えてください。
医療・ヘルスケアの課題に対して、「自分はここをこう変えたい」「こういう方法で解決したい」という意思がある人にとっては、すごく面白い環境だと思います。
課題と解決方法の筋が通っていれば、職種や社歴に関係なく提案が通る環境です。実現したいことが明確なら、どんどんチャレンジしてほしいですね。
自分なりの課題意識を持ち、ミッション達成のために解決方法そのものから考え、裁量を持って動きたい人には、今のメディフォンだからこそできることがたくさんあると思います。
取材を通じて印象に残ったのは、「人にしかできない仕事」を守るのではなく、AIに任せられる範囲を問い続けるという若狹さんの姿勢でした。その先で人が向き合うのは、何を、なぜつくるのかという答えのない問いです。
医療インフラとして守るべき品質と、スタートアップだからこそ可能な大胆な挑戦。その両方に向き合いながら、メディフォンはAI時代の開発組織をつくろうとしています。