求めるのは「負」を解決するサービス。アタラシイを阻害するハードルをMakuakeで取り払う。
アーリーステージから大企業、NPOまで。あらゆる事業のスタートに関われる。
地方勤務の価値とは、小さな会社のようにビジネス全体を見られること。
――菊地凌輔(西日本事業部長)
大学時代に始めた事業が多くの人に感謝された。この体験を何度でもしたい
大学で選んだ学部は、実はあまり本意でなかったんです。早くからビジネス経験を積みたいと思ったため、インターンなどで社長のカバン持ちをしているほうが勉強になるだろうと思った。そこで、大学の制度をうまく活用して、1年のうちにほとんどの単位を取ってしまい、自分のやりたいことができる時間をうまく捻出しました。
2年生の時に、大学の先輩が関わっているベンチャーを手伝ってほしいと依頼されたので、新しいサービスの開発や営業を担当しました。その後、自分でもビジネスがしたいと、教科書を半額以下で売るサイト「cacico テキスト」を作ったんです。身近な友達が、教科書代を捻出するために遅くまでアルバイトをして学校に通うのもままならない状況を見て、解決したいと考えたんですね。
やっとの思いでローンチして一晩明けたら、すごいアクセス数。通知が鳴りやまないケータイが、ものすごく熱くなっていました。Yahoo!ニュースをはじめ、100以上の媒体に取り上げられるなど、大きな話題にもなったんです。わけあって半年ほどの運営でクローズしたのですが、「負」の課題を解決するサービスを形にして世の中に受け入れられることは、大きな喜びだと感じました。できれば人生のうちに何度も経験したい、そう思ったんです。
ですがビジネスを立ち上げるには圧倒的な力不足だと実際にやってみて感じたので、知り合いを通じてサイバーエージェントの短期インターンに申し込んだのですが、いい成績が取れなかった。内定は絶望的だと思っていたところ、メンターだった坊垣さん(現マクアケ取締役)から、「関西支社やらない?」と打診され……。よくわからないまま、社長の中山さんと坊垣さんの面談に行き、意気投合したんです。
ひとりポツン……の「最悪」な日々
大学の単位はほぼ取得していたので、3年の1月から働くことにしました。ところが、与えられたのは小さなオフィスとパソコンがひとつ。何をするという指示もされず、ひとりポツンといるだけです。クラウドファンディングとの違いなど、何かもよくわかっていなかったので、競合分析やプロジェクトの研究をしていました。1週間ほどしたら坊垣さんから連絡があり、「件数取れてないの? 遅くない?」と……。これまで、自分で事業をしていたのでできると思っていた部分もあったのですが、現実は全くそうではないと思い知らされました。
初月は調達金額がゼロ。その後もしばらくは赤字続きでした。これまでの経験から、さまざまなツールややり方を持っていたつもりでしたが、それをいったんすべて捨てて、坊垣さんのやり方を取り入れました。マネジメントする人と同じツールを使えば、坊垣さんも的確なアドバイスがしやすいんです。リモートだったので、基本的なことですが「報連相」が大切。徐々に成果に結びつき、半年ほどで黒字化することになりました。
今はメンバーも増え、3名で働いています。僕はマネジメントする側ですが、年も近いので上司部下というより「仲間」という雰囲気。日常の会話を楽しんだり、帰りに飲みに行ったりできる間柄です。
膨大な量の新規事業を見られるのは、この仕事以外にないのでは
学生時代に事業を作った時に感じた「負を解決する喜び」はMakuakeにもありました。新しいものを世の中に出していくには、さまざまなハードルがあるんです。特にものづくりは、量産するための資金が必要で、資金を投入する前に売れる可能性を判断しなくてはいけない。量産できるのか、流通させられるのか、さまざまなハードルがあるなかで、それを解決するひとつがMakuakeです。
起業前の会社から、大企業、NPO、伝統産業まで、あらゆるジャンルの事業に、さまざまな深さで関わることができます。まだ形になっていないものに立ち会えて、アドバイスをしたり一緒に作り上げていったりすることは、本当に刺激的です。今は1か月に新規で15件ほどのプロジェクトに携わっていますから、1年経てば200件近く。ウケる商品も、肌感覚で分かってきます。おそらく他では決して経験できない勉強の場でもあります。
また、伝統文化や産業に関われるのも魅力です。これまでとは違う新しいものと組み合わせて、地域の観光資源のPRや、たくさんの人を巻き込むような施策を考えています。僕のような24歳の若造で、京都の祇園祭の理事長とビジネスの話ができたり、と仕事のキャリアとして、大変誇りに思っています。
地銀とのかかわりも大切な要素のひとつです。全国85行以上の金融機関と連携をさせていただき、地方事業者の事業成長のサポートや観光資源の活用など地域活性にも、Makuakeを通じタッグを組みながら仕事をしています。
地方勤務だからこそ、事業全体が見られる
伝統文化・産業と密接に関われるのは地方の魅力の一つですが、ほかにも良さはたくさんあります。東京はプレーヤーが多いので、どうしても競わなくてはならないでしょう。僕の場合、自分のバリューを最大限発揮するには、プレーヤーの少ないところがベスト。西日本市場においての第一人者、という位置づけになりたいと思っています。
現在は人数が少ないので、基本的に「何でも屋さん」に近くなります。ただ、僕はそれが楽しい。デザイナーが隣にいないから、急いでいたら自分でやるしかない。さらに、初期からコスト意識を植え付けられ、PL(損益計算書)も西日本事業部として見ています。広報も、銀行とのアライアンスも、講演への登壇も……。東京では専門職になりがちで、こんなにいろいろと経験できないと思いますよ。小さな会社で働くような醍醐味を得ながら、全国規模のビジネスを展開できるんです。
まだまだ西日本でやり切れていないことがありますが、Makuakeのビジョンは「世界をつなぎ、アタラシイをつくる」なので、世界を目指したい思いはある。世界の伝統技術と日本の伝統技術を引き合わせることができたら、新しい産業ができるかもしれない。僕らは黒子として、新たな可能性を作っていくのだと思っています。
取材・執筆:栃尾江美