みなさん、こんにちは。
カイロスマーケティングの人事の神南(かんなん)です。
もう創業から5年もたったカイロスマーケティング株式会社です。お客さま数もわたし達と一緒に働く仲間も年々増えました。
代表の佐宗(さそう)にカイロスマーケティングの創業時の話を聞きたくて、当社の会議室でたっぷり1時間ほどインタビューさせていただきました。
「カイロスマーケティングはこんな会社だよ」と伝わる、読みごたえのある創業ストーリーができあがったと思います(そう信じています!)。
少し長文ですが、それではどうぞ!
(話し手:代表の佐宗、聞き手:神南(人事・広報))
エンジニアから始まった社会人生活
神南:では、さっそくお願いします。
佐宗:うーん、うちの創業ストーリーか・・・なんか緊張するなぁ。うちはとことん地味だからねぇ。あ、とにかくインタビューは真面目に受け答えするから、ご心配なく(笑)。
神南:わかりました!では最初の質問です。
佐宗さんは、大学を卒業してからカイロスマーケティングを創業するまで、何をしていたのですか?
佐宗:大学を卒業してから、ヒューレット・パッカードで技術営業をしていました。
その前の学生時代には、大学院でシリコン化合物の物質構造を明らかにするための理論をコンピュータで解明する研究をしていました。簡単にいうと、ひたすらプログラムを書いていたんですね。ワークステーションとかスーパーコンピュータで計算する用の。
教授が帰った夜に研究室にこもって、先輩たちと大学ネットワークや研究室のインターネットやWebサイトの立ち上げをしていました。当時、インターネットが流行りだした頃で、すごくハマっていろいろ試行錯誤したり勉強したりしました。
こうしてインターネットの将来的な可能性に魅了されて、コンピュータ・通信業界で働きたくなっていきました。
せっかく確保した誰もが知る日本の大企業行きの学校推薦の権利も、その会社にどうしても行きたいと言っていた同級生に譲って、一般応募でヒューレット・パッカードに入ったわけです。
ヒューレット・パッカードで働いた後も、外資通信企業でエンジニアしたり、BtoC向けサービスの部門を率いたり、外資コンサル会社でクライアントの経営戦略を立案したり、通信系のセキュリティ会社で製品マネジメント・・・など多くの転職を経験しました。
神南:えー、そうだったんですか?
佐宗:いや、神南さん、もう15年以上も前から知り合いじゃないですか!わたしの最初の転職面談で、その会社の採用担当として入り口で出迎えていただいたことを今でも覚えていますよ!
今日は、すっかりインタビュワーになってるし(笑)。
神南:ですね(笑)失礼しました!
まだまだ生産性に改善の余地がある日本のマーケティング分野
神南:カイロスマーケティングの創業のきっかけは?
佐宗:創業直前は、米国通信機器会社で本社所属の製品マーケティング担当をしていました。いわゆる「プロダクト・マーケティング」です。その時に、マーケティングってもっと効率よくできないものなのだろうか?というアンメット・ニーズを抱いていました。
(プロダクトマーケティングとして記者説明会で製品説明することもしばしばあったそうです)
神南:具体的にどういうことなのでしょうか?
佐宗:わたしが担当していた製品をリリースする時に、とにかくいろいろと社内調整の時間がかかっていたのです。
製品リリースの効果を最大にするために、複数人の社内担当者といろいろ調整する必要がありました。
例えば、日本市場におけるターゲット顧客数を把握するためにデータベース担当に聞いて、カタログの翻訳をするかどうかを判断するためにWeb担当者にUUやPVを聞いて、メール担当にコンテンツ配信スケジュールなどを聞いて。。。。しかもそれぞれの担当者がお互いの数字を知らないのです。だから個別に聞いてまわるしかない。
これは組織の問題ではなくてツールの問題かもしれないと思うようになりました。当時は世の中に、顧客データベース、Web解析、メール配信、それぞれ別々の専門ツールしかありませんでしたから。専門の担当者がやっていたから、それぞれ専門のツールになった。
これらのツールが1つになっていれば、担当者が1人でこなせるようになるかもしれない。もっと担当者同士が連携できるかもしれない。マーケティング部門の生産性を高めるためになるかもしれない。そんなことを考えるようになりました。
マーケティングは資本が豊富な企業だけのもの?
神南:それを事業アイデアにしたのですか?
佐宗:当時の自分自身の抱いていたアンメットニーズを元にして、簡単なビジネスモデルや事業計画を書き上げました。外資のコンサルティング会社でクライアントの経営戦略立案、一度社会人になってから大学で経営の勉強した、という経歴もあるのか、事業計画とかビジネスモデルを描いたりすることが好きなのです。
ビジネスモデルを書き上げる中で、1つだけ問題がありました。
神南:その問題とは?
佐宗:対象となるターゲット顧客です。大手企業をターゲットにするなら、ITシステムのように高額かつカスタマイズ可能な商品にするべきです。このビジネスモデルを描くのは、収益や事業スケールの観点から見てそんなに難しくありませんでした。
だからその事業をすべきなのか?いや、そもそも、
「マーケティングは大企業だけのものなのか?」
という葛藤が自分の中にありました。
ヒト・カネといったリソースが十分でない企業でもマーケティングができないかと。もっと「マーケティングをもっと身近なものに」しないといけない。そう思っていたのです。
自社の事業だけでなく、社会にも貢献したい
神南:「マーケティングをもっと身近なものに」は、今も当社のミッションですね。
佐宗:「ものづくりニッポン」と言われるように、国内にはイノベーションは得意だけど、マーケティングはあまり得意ではない中小企業がたくさんあると(勝手ながらに)感じていました。そんな企業のマーケティングを手助けして、「MARKETING JAPAN」を実現したい。事業だけでなく、社会にも貢献できるようなビジネスをしたかったのです。
外資の本社所属でプロダクトマーケティングをやっていると、いろいろな国の違いが見えてきます。日本は「ものづくり」は進んでいるものの「マーケティング」とのバランスがうまく取れていないように感じていました。
(スタンフォード大学を通じて、シリコンバレーのスタートアップによく足を運びました。写真を撮ってくれた友達はこの会社のマーケ担当。なんとハーバードのMBA卒だそうです。)
国内420万企業にもお気軽にご利用いただけるツールで「MARKETING JAPAN」を創る。
価格をそこそこにおさえて、どんな担当者でもサクサク使えて、どんどん結果が出せる。そんなクラウドサービスを作りたいと考えていました。
プロダクトがよければ利益は後からついてくると信じてた
神南:創業当初からカイロスマーケティングはあまり広告をしていませんでしたよね?
佐宗:新規事業の立ち上げでは、広告による集客は欠かせないと思います。ただ、広告費用を大量に投下するだけだと、せっかく立ち上げる事業としても面白くないし、利益が先なのか、お客さまや社会(MARKETING JAPAN)が先なのか、自分が立ち上げようとしている事業の軸がぶれてしまうと感じていました。
「プロダクトがお客さまのためになるなら、利益は後からでも付いてくる」と信じて、広告で認知を広げるよりも、まずはプロダクトをしっかりと作り込むことにしました。
広告で知っていただいたお客さまに使っていただくことも大切です。しかし、毎月利用料金が発生するサブスクリプションモデルであるサービスを作る上では、お客さまに満足していただいて長く使っていただくべきです。
そのためには、しっかりしたプロダクトを作ってお客さまの役に立ち、使っていただいて満足したお客さまが、別のお客さまに紹介していただくことで利用者が増えていく方が事業として本質的であるはずです。そんなプロダクトを作りたかった。
だから創業当初から、広告宣伝費用はほとんどかけずに事業を立ち上げることにしました。知っていただけるお客さまだけに知っていただく。このやり方を選んだわけです。
共感してくれる仲間を探した
神南:創業メンバーはどのようにして探したのですか?
佐宗:ある時、当時の同僚に「こういう問題を解決するために、こんなやり方で事業を立ち上げて起業しようと思うんだけど」って話をしたら、「面白そうですね。ちなみに、ボクじゃダメですか?」って(笑)。
ほんの数分。たったそれだけで決まりました。当時も一緒に仕事をすることがあり、お互いのことはよくわかっていましたから。
そしてすぐに現取締役の白井くんをパートナーにして、製品のプロトタイプの開発に入りました。
神南:まずはプロトタイプを作ることから始めたのですね?
佐宗:最初は二人でひたすらコードを書いていました。わたしもコードを書いていたんです。
(2012年はひたすらコードを書いていました。右側の画面はリリース前のベータ版。左下のカレンダーは、現当社デザイナーさんが自主制作でデザインしたもの)
ようやく製品として最低限の必要機能の実装が見えてきたところで、創業してリリースしよう、ということになりました。
大前研一氏率いるビジネス・ブレークスルーから出資をいただくことに
神南:最低限の必要機能とはどのようなものだったのですか?
佐宗:今、市場に出回っている「マーケティングオートメーション」の骨格となる「誰がどのWebページを見ているのか?」ということがトラッキングできる機能と、メール配信機能、スコアリングなどです。
早速、知り合い先を出回っていろいろなフィードバックをもらいはじめました。
神南:ビジネス・ブレークスルーさんからは、いつころ出資をいただくことになったのですか?
佐宗:いい質問ですね(笑)。
ちょうどこのころなんです。大前研一さんが代表を務めるビジネス・ブレークスルーさんがビジネスプランコンテストをすることをたまたま知って、それに応募しました。
最終的に勝ち抜くことができて、大前研一さんの株式会社ビジネス・ブレークスルーから出資をいただくことになりました。
さすが大前研一さん。審査員がすごい。プレゼンが終わった時に、ネットイヤーの代表の石黒不二代さんが質問の時に挙手をいただいた時にはすごく緊張しました。
神南:どんな質問だったのですか?
佐宗:「それ、面白そうだから、どんどんやってみなよ。」って。まさに背中を押された感じです。
人前のプレゼンで緊張することは滅多にないのですが、さすがにこの時はすごく緊張しました。
マーケティングが身近なものになればそれでいい
神南:それでどんどん売れて今にいたったのですね?
佐宗:そんなに美味しい話ではなかったんです。
わたしたちが作り上げたものは、良いプロダクトかもしれないけど、一言でこれはなんなの?ということが表現できなかった。2012年の当時は「マーケティングオートメーション」の知名度があまりにも低すぎたのです。
製品を売る前に、マーケティングオートメーションという言葉を売らなくてはならなかった。製品を売るというよりも、勉強会で講師を務める、みたいな営業活動をしていました。中には、「(御社の製品ではなくて)米国のマーケティングオートメーションのトレンドについて資料としてまとめてほしい」なんてWEB問い合わせもありました(苦笑)。
当時は、今なら国内でも有名な米国企業の製品も、日本で誰も販売していませんでした。今の国産のマーケティングオートメーション製品も、当時からあったものはメール配信ツールだったり、その他の機能はあるもののメール配信機能すらないものもありました。
2012年の創業当時には、国内企業で自社開発のマーケティングオートメーションの販売をしていた企業は当社だけでした。
これが立ち上げ時の売る苦しさでした。なんだかひたすら走り回ってた感じがします。
(当時の活動の中心は自転車でした。1年で5,000kmくらい走ったかもしれません。創業時のオフィスの前にて撮影)
神南:今のマーケティングオートメーション市場のプレーヤーの多さからは、想像できないですね。
佐宗:確かにそうです。今のマーケティングオートメーションのツールを提供しているベンダーの中で、わたしたちの製品を利用していた会社も数社ありますよ(笑)。
神南:本当ですか?訴えたりしないんですか?
佐宗:そんなことしようと考えたこともないです(笑)。だって、わたしたちの製品がヒントになって、その人たちが事業を立ち上げてくれたら嬉しいじゃないですか。
その結果、「マーケティングがもっと身近に」なってくれれば、それでOKです。それがわたしたち、カイロスマーケティングの社会における存在意義だからです。
この軸は昔からブレたことがありません。
まずは試して、結果をロジカルに検証し、最後までしっかりとやり抜く
神南:その後徐々に売上が伸ばすために何か特別な戦略があったのですか?
佐宗:ビジネスにすごく「特別」なやり方って本当に少ないと思います。うちはまずは試してもらって、その結果をロジカルに考えて、そして愚直なまでにやり抜いてきた。たったそれだけです。
これがうちの文化の原点かもしれません。ロジカルに考えて、しっかりとやり抜く。まぁ、ビジネスでは当たり前かもしれません。けど、やっぱりこれができないと、ある意味うちで働くのは辛いかも。
そうですよね?
神南:はい・・・。確かにそうです(苦笑)。
共通の想いを持つ仲間が増えた!
神南:そして、だんだん売れてきて、みなさんが入社したと。
佐宗:そう。当社製品の利用者も増えて、一緒に働く仲間が増えた。そしてオフィスも2回ほど移転しました。
(現オフィスの移転直後。IKEAで買ってみんなでいろいろ組み立てました。)
みんな当社のミッションである「マーケティングをもっと身近なものにする」に共感して、集まって来てくれました。
今は中途入社がほとんどです。前職が異業種という仲間がいることも特徴かもしれません。
例えば、元コンビニ店長候補とか、元客室乗務員とか、教育事業出身とか。
わたしたちと一緒に、当社の理念を実現してくれるという強い想いと、ロジカルに考えてやりきるタフさがあれば、一緒に働ける、夢を実現できる。そういう人を惹きつける会社になりたいと思っています。
神南:なるほど。人事・広報担当として、うちのミッションに共感していただける、ロジカルに考えてしっかりとタスクをやり切れる仲間がもっと増えるようにがんばります!
今日はどうもありがとうございました。
佐宗:ありがとうございました。
(右:代表の佐宗、左:人事・広報の神南)