はじめまして。1990年からテクノロジー、アート、デザイン、伝統工芸といった領域を横断し、ステキな未来を生み出している取り組みの取材を続けているジャーナリストの林信行と申します。先日、カディンチェ株式会社が行った実証実験を取材し、ITmedia/PC USERで記事を書きました(「作品を邪魔しない“黒子”に徹するMRガイドとは? アルテピアッツァ美唄でカディンチェが示した「日本的DX」の形」 https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2512/10/news022.html )。
それを受け、こちらのカディンチェのnoteにも記事を書いて欲しいというお話をいただきゲスト寄稿をすることにしました。
目次
- ◾️音声ガイドのような「作品」を主役にするMRガイド
- ◾️解説より「見る」と「触る」を重視する彫刻家・安田侃
- ◾️より軽量なスマートグラス「MiRZA」でつくられた邪魔にならないガイド
◾️音声ガイドのような「作品」を主役にするMRガイド
アートの世界ではxRにどんな可能性があるのか。人間の視覚に直接情報を届けるxR技術。その誕生は1960年代中頃まで遡りますが、私が巨大なゴーグルを装着して初めて本格的なVR体験をしたのは1990年代中頃。それ以来、さまざまなxRで作られたアート作品や、美術館の取り組みを見たり体験したりしてきました。美術館でのxRというと、片隅の体験コーナーに置かれたVRゴーグルで展示作品の世界観に没入体験ができるものや、イマーシブ展示、あるいは専用アプリを起動したスマートフォンのカメラを絵画作品などに向けると、作品が動き出したり額縁から飛び出してくるといったAR体験が多いのですが、今回、カディンチェが作ったのは「作品展示ガイド」。
ゴーグルやスマートグラスに表示される映像が主役ではなく、主役はあくまでも美術館に置かれた展示作品で、作品をじっくりと鑑賞している間は、邪魔になる映像コンテンツは一切表示されません。作品の鑑賞が終わり、一歩引いて上を見上げると、まるで作品に込められた作家の思念が湧き出てきたような吹き出しのようなものが現れ、その中央に作品名が表示されます。
さらにしばらく待つとそこから線が伸びてきて、作品の展示風景や解説音声が流れ始め、表面から見ただけではわからなかった作品の奥行きを知ったり、感じたりできるようになります。
https://www.youtube.com/watch?v=7HlDpdXouOE
カディンチェ代表の青木崇行さんによれば、目指したのは多くの美術館が採用している音声ガイド。作品鑑賞を邪魔せず、鑑賞者が作品についてより深く知りたいと思った時にだけ再生ボタンを押して、より深く作品について知ることができる鑑賞者の体験を最優先した情報提示。今回、カディンチェが披露した「作品展示ガイド」もこれと同じ方向性を目指したものであることが伝わってきました。
◾️解説より「見る」と「触る」を重視する彫刻家・安田侃
では、具体的どんな体験だったかを紹介したいのですが、まずはその前に、実証実験の場となった「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」の紹介から。皆さんは彫刻家の安田侃(かん)さんをご存知でしょうか。おそらく彼自身の名前を知らなくても、作品は知っているという人が多いと思います。というのも、彼が作る彫刻作品の多くがパブリックアートとして、全国の大型施設の入り口であったり通りに、誰もが触れて親しめる作品として置かれているからです。東京に住んでいる人であれば、東京ミッドタウン六本木の通り沿いにある真ん中に穴の開いた「妙夢」という作品が、そしてそのすぐ下の地下通路には「意心帰」というどちらも安田さんの代表作が2つ置かれています。北海道の札幌を訪れたことがある人は札幌駅で多くの人が待ち合わせ場所にしている彫刻、あれが「妙夢」です。他にも北海道のそこかしこやアートの島、直島、関西圏にもいくつか作品があります。さらにイタリアを中心にニューヨークなど海外にも設置された作品も少なくありません。
アルテピアッツァ美唄の屋外に展示されている「妙夢」。同様の彫刻が東京ミッドタウンや、札幌駅などに設置されている。
1945年に北海道の美唄市で生まれ、1970年代から活躍している安田さんですが、実は日本とイタリアの両国で活躍する作家なのです。
美術館などに展示されている彫刻作品というと「触らないでください」という注意書きが添えられていることが多いですが、安田さんの作品にはそうした注意も無ければ解説文もほとんど置かれていません。
「彫刻は見る人の心を映す鏡。それぞれの感性で自由に、まずは形を見て、触れてほしい」というのが安田さんの考え。だからこそ美術館のようなかしこまった場所ではなく、市民から親しまれる街の象徴として公共の場に置かれるパブリックアートとして使用されることも多いのです。
ただ、それだけに例えば「意心帰」という作品が見る人の「心」によって見え方が変わる作品として作られたものであることとか、いつも六本木で見ている作品が実は札幌駅やイタリアにもあったりといったことを知らずにいます。
安田作品は「作品鑑賞」を邪魔せずに、作品の奥行きを感じさせることが目標の「作品展示ガイド」を実践するにはまさにうってつけだったのです。
ちなみに実証実験の場となった「安田侃 彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」は、かつて炭鉱の街として栄えた美唄の山のふもとにあり、その後廃校となった旧栄小学校を改修して作られた美術館で、その広大な野外スペースに多くの安田作品が置かれています。
ただ、今回は実証実験ということで、廃校の校舎の2階にある展示室を使った体験となりました。
廃校の校舎の2階を利用した展示室。5点の作品が展示されている。
◾️より軽量なスマートグラス「MiRZA」でつくられた邪魔にならないガイド
今回、「スマートグラスで体験する作品展示ガイド」の体験は、カディンチェが2022年に鳥取県の水木しげる記念館で行った実証実験「妖怪めがねの異界案内」( https://www.kadinche.com/news/mizuki-museum2022 )が基盤になっています。
https://www.youtube.com/watch?v=WGO26luj9lY
レンズ越しに肉眼で作品を見ることができるスマートグラスを使用する、作品鑑賞を邪魔しない作りにする、といった基本の考え方は変わっていませんが、前回の実証実験から3年の間にテクノロジー環境の方が大きく変わってしまいました。まず前回の実証実験で使ったMicrosoft社のHoloLens 2は製造が中止になってしまい、正面にカメラがついたスマートグラスが国内ではほとんど無くなってしまいました。
カディンチェの作る「作品展示ガイド」では、ガイドとなる情報を、作品鑑賞の邪魔にならない位置に表示することが重要な肝となっていて、そのためにはフロントカメラを使って作品を画像認識する必要がありました。
そんな中、NTTコノキューデバイス(NTTコノキューとシャープの合弁会社)によるスマートグラス「MiRZA」(ミルザ)との出会いが今回の実証実験を可能にしました。幸運なことに、実はこの製品、重量が電池込みで約125gと、HoloLens 2(約556g)と比べても圧倒的に軽く、長時間の装着による不快感の軽減という点でも有望でした。
NTTコノキューデバイス(NTTコノキューとシャープの合弁会社)によるスマートグラス「MiRZA」(ミルザ)
一方で製品の軽さ故にコンピューターやカメラとしての性能や、バッテリーやメモリの容量といった部分での制限が大きいという課題もあります。
作品に対してガイド情報をどのように配置するかなどのMR体験統合管理は「Kadinche Layerd」を使って行うためコンテンツの作り込みがしやすいのですが、それを性能も容量も限られたデバイスで正確に表示させることは大きなチャレンジです。
日照時間が短く光量も少ない北海道の屋内で正確に画像認識しなければならず、複数の作品が並び見る方向によっては、3つ4つのガイドが同時に視界に入るとなればなおさらです。そのため会場では前日まで入念な調整が繰り返されていました。
実証実験が行われた11月25日の美唄は見事に晴れて日差しも明るく実験は成功に終わりました。
参加したメディア関係者や美唄市や美術館の関係者らは、安田侃の作品と共に、約350平米のギャラリーとその周囲の通路に展示された合計7作品に対してつけられた動画や音声によるガイド情報を堪能していました。
直前になって、今回の作品ガイドは彫刻作品だけに絞ろうと、実証実験中はお蔵入りになったのですが、データとしては会場である旧栄小学校の歴史を教えてくれるコンテンツが壁に掲げられた校歌の近くに配置されていました。特別に見せてもらい、私も大好きでよく訪問しているアルテピアッツァ美唄についてより深く知ることができました。
今回の体験者の一人、桜井恒美唄市長は「ストレスなく、現実に目の前にある作品を邪魔されずに、そのままじっくり見ることができたのが、すごく良かった。彫刻って、どうしても自分と作品との距離の中だけで楽しむものだと思っていましたが、そこからさらに、その向こうに広がる世界が見えた気がした。同じモチーフが別の国ではどう展示されているのかとか、どんな思いで作られたのかといった背景を、端末を通して引き出せる。それによって、自分の鑑賞の“半径”が広がって、もっと大きな視点で作品を味わえるようになる。 そんな新しい体験だなと感じた」との感想を残しています。
今回のニュートラルで主張の少ない「作品展示ガイド」の体験は、MR体験統合管理ソフトの「Kadinche Layerd」を用いて、デジタル体験デザインのスタジオ「Domain」のsabakichi氏(Yuki Kinoshitaさん)が生み出しています。sabakichi氏は、2022年の水木しげる記念館での実証実験でもディレクションを担っており最近では大阪・関西万博の「バーチャルNTTパビリオン」などを手掛けています。
(執筆:林信行 氏)