ジェイ エイ シー リクルートメントのメディカルデバイス&ライフサイエンス(以下MDLS)チームのマネージャー、羽田 英紀。彼がコンサルタントとしてヘルスケア領域で重ねてきたからこそわかる、医療業界への人材紹介の魅力を語ります。また羽田自身のキャリアとともに、人材紹介の仕事の深さについて掘り下げました。
※2020年当時のエピソードになります
医療業界で挑戦する、シニアクラス×ベンチャー企業の人材マッチング
ジェイ エイ シー リクルートメントは幅広い業界に対する、スペシャリスト、マネージャークラスの人材紹介を強みとし、業界ごとに特化した部門で活躍するコンサルタントがそれぞれの知見を広めています。
羽田 英紀は、医療・ヘルスケア業界に特化したキャリアを重ね、2020年現在は西日本MDLSチームのマネージャー職に就いています。
MDLSチームとは、医療機器やバイオ・ベンチャー企業に関わる人材紹介に特化したチームです。再生医療や遺伝子治療などの領域で技術開発を進めるスタートアップ企業への人材紹介は、とくに近年ニーズが高まっています。
羽田 「私たちが専門とする領域が国内であらためて注目され始めたのは、山中教授によるiPS細胞の研究がノーベル医学・生理学賞を受賞したことがきっかけです。
その後、政府がバイオ・ベンチャー企業に対する支援を強化し始めたこと、ベンチャーキャピタルからの投資増、製薬企業の創薬におけるオープンイノベーションの動きと相まって、バイオ・ベンチャー周辺の市場は成長を続けています」
バイオ・ベンチャー企業のビジョンや事業内容は、いずれも最先端の技術を通じて社会に貢献するものです。その技術が認められ資金調達に成功するものの、専門領域の人材獲得に苦戦されることは珍しいことではありません。
羽田 「技術があり、資金を調達できた企業に必要な存在は、同じ夢に共感し、事業を前進させられる人材です。私たちは、そうしたバイオ・ベンチャー企業のニーズに応えるべく、影響力のあるすぐれた人材の紹介に努めています。
バイオ・ベンチャー企業は環境やシステムが未整備であるからこそ、どんなことにも挑戦できるフィールドと言えます。その魅力を求職者に伝え、主体性や個性を生かせる活躍の場を提供したいと考えています」
医療業界の成長市場にブーストをかけるシニアクラスの人材紹介。その中で、羽田はこれまでのキャリアで培った医療業界における人材紹介への知見を生かして活躍しています。
医療・ヘルスケア領域の人材紹介で価値を生み続けるために
羽田 「私が異動した2010年ごろ、当社のヘルスケアディビジョンはまだコンサルタントの人数が少なく、業界に対するインパクトも小さい状態でした」
ヘルスケアディビジョンは医療業界に対してのインパクトを強めるため、部門長主導の下で、コンサルタントの増員、ターゲティングの変更、専門分野に応じたチーム細分化などの改革を進めていきました。
羽田 「当時、私が担当したMR(医薬情報担当者)マーケットは、MR職を希望する未経験者を数多く紹介するところから始まり、次は経験者紹介、その次はシニアクラス紹介というように、企業に与える影響力が大きい案件を増やすようシフトチェンジしていきました。
チームを細分化したのは、より専門的な知見を持つコンサルタントを増やすことで、業界からの信頼を高めようと考えたからです。少人数のうちは、チームメンバー同士で定期的な勉強会を実施し、自らアップデートした知識を共有する時間を設けていました。
クライアント企業よりお預かりしたポジションの採用支援をしていく中で、少しずつ受ける依頼の難易度が上がっていく。クライアントの期待に応えていくことで、JACに任せておけば大丈夫と言っていただける企業が増えていきました。
結果、ヘルスケア西日本ディビジョンは、医療・ヘルスケア領域において関西圏最大の影響力を持つようになったのです」
医療・ヘルスケア業界での信頼を勝ち取り、羽田はクライアント企業だけでなく、求職者側の特色についても配慮しました。
羽田 「医療業界は皆さんがイメージされる通り、専門性の高い知識を持つ人材が集う業界です。そういった方々と真摯に向き合うためには、その知識理解と、最新の業界動向を追い続ける努力が必要です。
また、求職者の希望と業界動向の交点を探しだす意識が大切です。場合によっては、求職者の希望がかなえられないこともあります。このとき、論理的根拠をもとに、実現可能な打開策を提案するよう心がけています。
コンサルタントの価値は、求職者に新たな気付きや将来の選択肢を提供すること。常に期待を越え続けるためには、日々の勉強や提案の心がけを積み重ねることが大切です」
入社直後の苦難を乗り越え、人材紹介業の魅力を知っていった10年間
羽田自身が人材紹介業界に身を投じたのは、ジェイ エイ シー リクルートメントに入社した2007年のこと。それまでは商社の営業職に就いていました。
羽田 「人々のキャリアというものに漠然と興味がありました。前職で辞めていく若手の社員を見たとき、彼らに対してできることはなかったかと自問する機会があったのも、ひとつの要因かもしれません。
誰かのキャリアに関わりたいと人材業界を目指して転職活動を始め、ジェイ エイ シー リクルートメントに入社した翌年、リーマンショックが世界を襲いました。当社もその影響は大きく、生き残りをかけて日々戦っていたのを覚えています」
入社1年後のリーマンショックという時代の流れは、羽田の実績にも響きました。入社当時はクライアント企業と求職者の担当者が別々である分業型のシステムが敷かれていたことも相まって、苦悩の日々が続きます。
羽田 「正直に言えば、入社から数年間、私は楽しく働けていませんでした。人材紹介業の魅力を本当の意味で知ったのは、両面型(クライアント企業・求職者双方に対してひとりのコンサルタントが担当するスタイル)になってからです。
両面型のコンサルタントになることで、クライアント企業と求職者双方のニーズへの理解度が上がり、コンサルティングの精度が上がりました。
コンサルティングスタイル変革の追い風に乗って、私はようやく羽ばたくことができました。できる限り企業に影響力のあるシニアクラスの人材を紹介することに努めたことが、企業への貢献と自身のキャリアにつながり、徐々に人材紹介業のおもしろさを体感できるようになっていきました」
その後、ヘルスケアディビジョンで好調な実績を重ねた羽田は、2015年より医療機器・体外診断領域に異動します。実績が少ない領域で市場開拓からスタートした新たな挑戦。ひとりだけで活動をしていましたが、徐々に仲間を増やし業績を伸ばしていきました。
羽田 「ある程度目標を達成し、次のキャリアが見えなくなっていた私に、上司は異動という決断をくれたのです。成功パターンが確立されていない環境での仕事は、私に新たな刺激を与えてくれました。
苦難や成功、そして停滞といった山谷はあれど、それをフォローしてくれたり、改善したりする環境がジェイ エイ シー リクルートメントにあったからこそ、私は今でも楽しく働けています」
十人十色のストーリーに胸を熱くできる仲間を増やしたい
自分自身が重ねてきたキャリアがあるからこそ、今、羽田はマネージャーとして、メンバーの気持ちを鑑みながらMDLSチームを率いています。
羽田 「最近思うことは、この人材紹介業の楽しさをメンバーたちと分かち合いたいということですね。もっと良い体験をしてほしいし、その体験を共有できる仲間を増やしたい。
12年やってみて、あらためて人材紹介業はおもしろいと思っています。案件一つひとつにストーリーがあり、胸が熱くなる瞬間もあります。企業と求職者の掛け合わせが変われば、その分だけストーリーがあります。まさに十人十色ですね。
そのおもしろさはとても深みがあり、飽きないものです。そういった感覚を同じ視点で語れる仲間が増えることを願っています。
企業と人材、どちらも相対するのは『人』です。まずはそれぞれが望むことや魅力、課題を理解すること。そして双方が成功するマッチングを想像し実現に向けて努力することが、この仕事の真髄です」
誰もが持つ感覚を、それぞれの背景やキャリアを生かして形にしていく人材紹介業。そのおもしろさをかみしめながら、羽田は医療・ヘルスケア業界の先端を走る企業に適切な人材を紹介するため、今日も挑戦を続けます。