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【教育者必見!】人生の解像度を上げるキャリア教育をインフラにしたい。社員インタビュー第一弾!

本日のインタビューは、
HR事業部責任者の安本さんです。

大学卒業と同時にirodasの
創業メンバーとして活躍しています。

在学中から営業を始め、
年間5,000万以上の利益を計上。

輝かしい成果が評価され、
優良企業の内定を複数社獲得。

様々な選択肢がある中で、
あえて”起業”という険しい道を選んだのは一体何故なのか?
彼の価値観を大きく変えた原体験は何だったのか?
安本さんのあれこれを聞いてみました!


<プロフィール>
安本和真
2018年度立命館大学卒。学生時代にインターネット回線の訪問販売代理店の営業組織に所属し、組織として日本1位、個人としても総合1位の成績を残す。
その後就活をを始めるも、自分の中の志と出会い、実現するためにirodasの創業メンバーとして会社立ち上げを行う。現在は、キャリアアドバイザーと、会社全体のマネジメント統括を行なっている。

学生時代から大きな成果を出していますが、もともとどんな人生だったのですか?

僕は大阪の岸和田市で生まれ、
両親、1歳差の弟、8歳差の妹がいる
5人家族の長男として育ちました。

母親はとても教育に熱心だったので、
小さい頃から常時習い事を7-10個くらい
掛け持ちしていました。

そろばん、習字、水泳、サッカーなど
一通り全てやってきました。

英会話なんかは2歳からやっていましたね。

2歳ですよ!笑
まだ日本語もままならない頃から
英語の勉強をさせられていたんです。笑

今思うと相当な量の習い事をしていましたね・・・

けれど、当時は「こんなもんか」と特に
違和感も感じずに黙々とやっていました。

しかし、野球だけはずっと好きでした。

練習も好きだったし、
試合で活躍するのも好きだったし、
(ぶっちゃけセンスもありました。笑)

毎日のめり込んでいたのを今でも覚えています。

夜は実家で毎日素振り200回と決めて練習をするくらいでした。

小5の頃には
府大会のMVP選手賞を獲得したりもしていて、

「将来は野球選手になりたい!」

と思っていましたね。

中学受験を機に大好きな野球を辞める

小学校も高学年に差し掛かった時、
僕に大きな転換期が起こりました。

母親に、
「中学受験があるから、野球やめなさい」
と言われたのです。

当時の僕は意味が分からず、

「なんで?絶対嫌だ!野球は続ける!」

と言い張っていました。

そうして、お互い全く譲らず喧嘩のように
言い合っていた頃、

母親が涙を流しながら、

「野球選手なんてなれる訳ないやん。いい中学、いい高校に入って、いい大学を出て大企業に勤めるのがいい大人なんだよ!」

と、すごい剣幕で僕に話してきたのです。

当時の僕は、その勢いに圧倒され
仕方なく野球を辞めることになりました。

今こうして振り返ると、僕の家の教育方針は

「こうあるべき、こうでないといけない」

という世間体「〜すべき」という
義務感(=MUST)が強かったのだと思います。


そうなんですね。そこから大学までは何をしていたのですか?

もうずっと勉強しかしていないですね。

幸い、幼少期からたくさんの
習い事をしていた僕は、

大阪でも名門と言われている中学校に合格し、
そのまま大学まで進学することができました。

しかし、
大学に入っても、その当時の僕には、
かつての野球のように夢中になるものもなく、

ただひたすら日々を消化しているような生活でした。

毎日ひたすら授業を受けて、ひたすらゲームをして(マリオカートなら俺に勝てるやつはいません)、
ひたすら遊ぶという生活を送っていました。

その当時の価値観や将来への考え方はどんなものでしたか?

価値観とか無かったですね。
考えたこともありませんでした。

「〇〇したい!」
という熱い欲求もなかったです。

かといって不幸だとは思っていませんでしたが、
幸せでもなかったと思います。

例えるなら、
"無"という表現が合ってますね。笑

だからこそ、
小学校の頃に両親に言われた

「大企業に行くことが正解」

ということに対しても
それで良いと思っていました。

「将来はそうなるんだろうな」
となんとなく感じていました。

でも、そこに対して責任もなかったですね。

「なんでもいいやー」みたいな。笑

もはや、自分の人生なのに
"自分が主役"じゃないような状態でした。

平凡な毎日に違和感を感じだした3年生の秋

それ以降も特に生活は
変わっていませんでしたが、

自分の周りにいる人たちが
「この人イキイキしているなあ」
と感じることが多くなってきました。

在学中にジャーナリストとして海外に行く人や、
(僕は建築学部だったのですが)建築に命を
かけて毎日ひたすら家を設計している人など、

"自分の人生を生きている"

ような人達をたくさん見かけるようになりました。

はっきりと言語化はできていませんでしたが、
なんとなく羨ましく思うことも多々ありました。

そのような人達と比較して、
「俺は何も選択していないな」
と感じるようになってきました。

営業インターンとの出会い

大学の仲の良い友達の紹介で、
インターネット回線の訪問販売営業の
インターンに出会いました。

「営業か、面白そう」と、
興味本位で人事に話を聞きに行くことにしました。

そして、
実際に人事の方に話を聞いてみると、

・周りがどういう思いで働いているのか
・学生ながらにどういう成果を出しているのか

という部分を色々と教えてくださりました。

そしてその全てが、
その当時羨ましく思っていた
"自分の人生を生きている"人達だったんです。

その方は、後の上司となる大学の先輩だったのですが、
学生とは思えないくらい自分や将来について考えれているとても魅力的な方でした。

「ここなら自分を変えられるかもしれない」

と思い、営業をやると決意しました。

人生を変えるために本気で頑張った営業

「絶対に初月から成果を出してやる!」
という強い意気込みで最初から頑張りました。

初月で成果を出した人は、後に

・キーエンスでトップ営業マンになった人
・DeNAにトップ内定をとった人
・海外でフリーランスエンジニアで活躍している人

などがいました。

つまり、社会でも通用する
成果を出している人たちだったのです。

その人たちと同等の成果を初月から出すことで、
「自分の未来も同じようにできるかもしれない」
と思い、超頑張りました。

朝8時に起きて、レッドブルを飲み
そのままお昼を返上して夜の11時まで働き続けました。

ご飯を食べる時間すら惜しかったので、
我慢していたくらいです。

その後、先輩の家で朝5時まで
営業練習をひたすら続けていました。

そして、3時間だけ寝て、
また朝8時から営業を始める。

そんなスケジュールをずっと続けましたね。

結果的には、
初月で当時異例の成果を出すことができ、
2ヶ月目には組織でNo.1の成果を出すことができました。

また、最終的には組織が
日本一の成果を出すことができました。

めっちゃ嬉しかったですね。笑


営業インターンを通じて、人生は変わりましたか?

ガラッと変わりましたね。

大きく変わったことは2つあって、

①MUST思考がCAN思考になったこと
②MUST思考がWILL思考になったこと
です。

①MUST思考がCAN思考になったこと

もともと、僕自身「何も選択できていないな」
と思い営業インターンを始めたこともあって、

自分自身に全く自信がありませんでした。

しかし、営業インターンをする中で、
組織No.1の成績を出したり
組織自体が日本No.1になる経験をすることで

「社会人になっても活躍できる」

という確信が生まれました。

また、その確信が、

「俺ってできるんだ(=CAN思考)」

という自分自身の自信にも
つながりました。

②MUST思考がWILL思考になったこと

今まではずっと
「〇〇しなければならない(=MUST)」
という考え方で生きてきましたが、

営業インターンを通じて、
「〇〇したい(=WILL)」というプラスの欲求が
生まれてきたんです。

僕自身、営業で大きな成果を出すことで、
生活レベルや、見える景色が
大きく変わりました。

今までは、
決められた枠組みの
中で生きているような感覚でしたが、

営業を通じて、選択の自由が生まれました。

今まで以上に自分の生活が楽しく、
幸せになれたのです。

また、
「この感覚をみんなにも味わってほしい」

という「〇〇したい、してあげたい(=WILL)」
という感情が生まれ、

営業インターンの部下の教育にも
とても熱心に取り組めるようになりました。

このような、
「〇〇したい、してあげたい」
という素直な願望が生まれたのは自分の中でも
大きな変化だと思っています。


就活に対してはどう思っていたのですか?

就活に対しては、
あまり興味がありませんでした。

当時の自分は、
毎月15日間くらい働き、
40万円ほど稼ぐような状態でした。

しかし、就活して社会人になれば、
毎月20日以上働き、初任給も20万円程度。

「自分は就職する意味があるのか?」
「なぜ、わざわざ給料を下げないといけないのか?」

というところに
とても疑問を感じていました。

また、当時は
「将来なんて自分次第でしょ!」
「どこに行くかよりも、自分がどう頑張るか」

と思っていました。

なので、何ヶ月もかけて自分が行きたい
企業を見つける"就活"に意味を見出せていませんでした。

だからこそ、
「1ヶ月だけ就活をする」
と期限を決めてやることに決めました。

結果としては、
複数社に内定を獲得することができ、
無事1ヶ月で就活を終えることができました。

残りの時間は、学生のうちにできる経験を
たくさんしようと思っていました。

ありがとうございます。その後、irodasの創業にジョインしたのはなぜですか?

海外での旅行経験が大きな要因です。

就活も終わった頃、
1ヶ月ほど海外に行くことがありました。

そこで、自分の価値観や使命が明確になる2つの
カルチャーショックを受け、irodasの創業に携わることを決意しました。

その2つのカルチャーショックとは、

①海外の人が夢を持ってイキイキしていたこと
②壮大な景色、街を見て自分の幸せの定義がはっきりしたこと

です。

①海外の人が夢を持ってイキイキしていたこと

アメリカでは、いろんな仕事を
している方と話す機会がありました。

そこで、
「海外の人は本当に自由やな」
と思ったのです。

牧師として大きな農地を持って暮らしている人や、
平日の昼間からビーチで酒を片手に仕事をしている人。

他にもたくさんの自由な
人を見てきました。

しかし、そんな人達はただ自由なのではなく、
自分なりの理想を持っていていたんです。

理想を持った上で、そのために何が必要かを思考して、
アクションを起こせている人がたくさんいました。

単純にカッコよかったし、
「俺もこうなりたい」って思いました。

また、改めて今まで自ら意思決定をしてこなかった
自分がイケていないと思いました。

営業インターンを始める前までの自分のように、
何事も自分で選択せず、

「とりあえず周りに合わせる」
「なんとなくこっちの方が良さそう」

のような人生より、

海外で見てきた"自由な人達"のように、

「俺は〇〇がしたい。だから今△△をしている」

と言うように、常に自分の人生を自分で選択していく
人生の方が、楽しいしワクワクすると思いました。

同時に、

「なぜ今自分がそういう発想を持てたのかな?」

と思った時、営業で成功体験を
手に入れたことが大きかったと感じました。

営業という大きな成功体験を得ることで、
視座・思考力がアップデートされていたんだと思います。

そう思った時、「自分は運が良かったな」
と思いました。

たまたま仲のいい友達が営業をやっていて、
たまたま同じ大学の先輩が人事だった。

だから自分も、
たまたま営業をすることができた。

これって本当に偶然だと思ったんです。

でも、
「これって偶然のままでいいのだろうか」
と思うようになりました。

特に今の日本は、
社会が大きく変化いていく中で、
教育は全く変わっていません。

「何かやりたいな」
と思った時に、すぐに歩き出せるように
サポートする環境が無いと思いました。

僕は、そのような環境を
当たり前にしないといけないと思いました。

成功体験の切り口はなんでも良いのですが、
自分の未来や理想像に対してポジティブに
歩める人を増やしたいと思いました。

「だったら俺が偶然を必然にしたい!」

と、自分がキャリア教育を通じて
このような環境を"インフラ"にしたいと決意しました。

②壮大な景色、街を見て自分の幸せの定義がはっきりしたこと

アメリカには、
シカゴ、ベガス、グランドキャニオン、ロスなど、
見るだけで感動する場所がたくさんあります。

「すげえ!」

と毎回本気で感動しましたし、
その景色を見る瞬間が本当に幸せでした。

目、肌、耳など五感で壮大さを感じるあの
「非日常感」のような感覚が本当に好きでした。

「毎日こんなに刺激的だったらなあ」

って何度も移住を考えたくらいです。笑

でも、
「でも、この感覚って一瞬だな」
とも思ったのです。

その瞬間だけ感じる"点の幸せ"のような感覚。

この点の幸せだけを求めていては
自分の人生が満足できないし、

もっと恒常的な幸せ(線の幸せ)を
見つけることが大事なのだと思いました。

「じゃあ自分にとっての"線の幸せ"って何だろう」

と考えるようになりました。

そして、自分なりの幸せの定義を
見つけることができました。

それは、
「毎日を非日常に生きること」
です。

例えば、孫正義さんと自分を比べた時、
見えている世界って全然違うと思うんです。

どちらが偉い等はありません。

しかし、
僕自身の見える世界が変わったり、
アップデートすることで、

少しづつ孫正義さんの見えている
ような景色が見えるようになった時、
とてもワクワクすると思ったのです。

常にその状態であることでワクワクし、
幸せなんだなと実感しました。

つまり、
その”刺激を毎日受け取る環境”
自分にとっての幸せなんだと思いました。

それ以降、
「毎日を非日常に」
というテーマを自分につけました。

また、そのための意思決定軸が、

周りがAという選択をする時、
僕はBという選択をする。

そしてその選択を正解にしていく。

その連続が、一番自分が刺激を受ける事が
できる環境であると思いました。

そして、irodas創業メンバーに
入ることを決めました。

自分にとって、それはBという選択でしたし、
自分が一番幸せになれる選択だと思ったからです。


最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします!

大きなターニングポイントを作って、
人生の解像度を上げて欲しいです。

僕がこのメッセージを伝えたい理由は
2つあります。

一つ目は、これからの社会を生き抜いていくため
二つ目は、自分にとっての幸せを見つけるため
です。

①これからの社会を生き抜いていくため

今の時代は、経団連やトヨタが
「終身雇用・定年制の崩壊」と叫んだり
今までの当たり前が全く当たり前じゃ
無くなってくる時代だと思っています。

今までの両親や人生の先輩と同じような、

「大手に行くことが正解」というような
一般論は通用しない社会になりますし、

決められたレールの上で生きていくことは
難しくなってきていると思います。

これまでは、
小中高大という決まった道筋の中で
意思決定を行ってきたと思いますが、

社会に出てからは、
外的環境というとても変化の激しい世界で
生き抜いていかなければなりません。

その中で、
自分が絶対にブラさない軸と社会の変化に
対応していくポイントを明確にしないと、

何のために自分が生きているのか
分からなくなってしまいます。

だからこそ、
人生の解像度を上げることが重要なんです。

②自分にとっての幸せの定義を見つけるため

自分の幸せの定義を明確にすることで、
自分の欲求や、自分が日々求めているものが
分かるようになってきます。

唯一人間だけが、
自分の求めるものを理解して、それを
コントロールすることができる生き物です。

社長になってお金をたくさん稼ぐことが幸せだったり、
暖かい家庭を築くことが幸せだったり、
幸せとは多様性に溢れていいます。

だからこそ、
その幸せを自分で定義してほしい。

自分の幸せの定義を見つけることが、
自分の人生を幸せにすることに繋がるからです。

今この記事を読んでいる方は、

そこまで人生の解像度が上がっていない人が
ほとんどだと思います。

僕自身も、大学生まではずっと意思を持たずに
流されて生きてきました。

自分自身に責任感も無かったし、
自分にとっての幸せなんて、
考える機会すらありませんでした。

でも、営業インターンという機会を得て
成功体験を作ることができました。

自信だって生まれたし、
価値観も大きく変わることができました。

今までのように、

「勉強をやらなければならない」
「良い企業に就職しないといけない」

のような“当たり前の基準”に囚われず、

「〇〇したい」
「〇〇してあげたい」

のような自分自身の欲求や
自分自身の声が生まれるようになりました。

営業インターンを通じて、自分の人生に
初めて自分が主役になれた気がします。

さらに、
海外経験を通じて、自分の中での大事なもの、
幸せの定義が明確になりました。

非日常な選択をし、常に自分の思考や
脳内の景色をアップデートし続けることが、
自分にとっての幸せの定義であり、

そのような環境を"当たり前"にすることが、
自分の使命なのだと実感することが
できるようになりました。

だからこそ、
この記事を読んでくれているあなたにも

人生の解像度をあげるターニングポイントを
作ってほしいと思っています。

時間はいくらでもあります。
挑戦する時間はたくさんあると思うので、
いろんな事にチャレンジしてみてください!


安本さん、
本日はありがとうございました!

彼は今もirodas SALONでキャリアアドバイザーとして、日々学生と向き合っています。

「話してみたい!」

と思った人は、
ぜひ一度ご連絡ください!

お待ちしています!!

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