人生は「できるできない」ではなく「やるかやらないか」だ
毎日のように雑誌が創刊していたネームバリューが必要なのは、自分にはまだ実力がないとわかっている時25歳で上京したてころ、朝日新聞出版のブライダル雑誌を編集するプロダクションで、編集者として働いていた。朝日新聞社は、東銀座にあったが、確かマガジンハウスは、朝日新聞社から、そう遠くないところにあったから、入稿の度に、何度か前を通った様に記憶している。まだ、バブルが崩壊する前だったかと思うので、当時は、毎日の様に、あまり中身のなさそうな雑誌が、今日はコレ、明日はアレというめまぐるしさで、次から次に創刊されていた。広告を出したいスポンサーが、目白押しだったからだと思う。雑誌は、記事の魅力を感じた...