1
/
5

ピンチはチャンス!総勢45人のモデルが出場、それは日本最大規模の和装のショーだった

火事で和装は壊滅的なダメージを受けた

なんでも、やり続けるということは、気がついたら一番になっていたりするものなのだと気がついたのはショーの後だった。隣接していた実家の漏電で、店舗と実家ともに全焼した2000年の火事で、ほとんどのドレスが消失したのは、今から、もう20年ほど前のこと。和装のほとんどは、煙で黒く変色し、水に浸かって色が落ち、貴重な和装のほとんどが使い物にならなくなりました。数十箱分のそれらの和装をクリーニングに出したら、確か、クリーニング代は数百万円にもなったように記憶している。ところが、クリーニングから帰ってきた和装は、金箔が全て鉛色に変色し、本当に二度と使えなくなった。その時、どういう経緯だったか、紹介してもらったクリーニング業者さんを信頼して出した和装の全ては完全に全滅した。

土蔵に残っていた和装の銘品を、洋服をコーディネートするようなイメージで再生したら、和装のイメージが一新した

鳥取大火、鳥取大地震、鳥取の大水、その全てに耐えて残ったきた土蔵の中には、歴代の大ヒットの銘品が、それ以上傷んでしまわないようにと眠っていた。それをもう一度、よみがえらせるところから、商品づくりはスタートした。

打掛の裾部分の綿の入ったところ、袘(ふき)の部分が、それまでの和装は、ほとんど、朱色か赤と決まっていた。それを、洋服みたいに自由にコーディネートできるようにと、打掛の文様に馴染む色を一色選んで、中に合わせるか掛下という下着の色とコーディネートした。古代色から、魅力的な色を選んで染め上げた色掛下によって、今までの色打掛のイメージは、一新した!和装はなんて素敵でかっこいいのだと、思ったし、それを多くの人に伝えたくなったのがショーのきっかけだった。当時は、白無垢は無価値に近く、無料サービスというお店もあった。ドレスよりもはるかに高額で価値のある和装は、値段を下げても出ないとも言われていて、すごく安い値段がついていた。誰もこの魅力に気づいていない。誰も気づいていないことに火事のおかげで偶然気づいた私は「見つけた!」という感じだった。

今でも、和装の価値に気づいていない人はまだまだ多くいて、和装に対するよくないイメージを持っている人は、少なからずおられます。当時は8割近くの人が、結婚式には白ドレスと色ドレスしか着ない時代。誰も和装の価値に気がついていない時代でした。当時は、魅力を見つけてしまった面白さから、夢中になって、蔵から銘品を引っ張り出しては、どんな風に手を加えれば、この衣装の価値が引き出されるのかというようなことばかり考えていた気がします。

目の前のできることに集中して、そして楽しんでやり続ければ、必ず道は開ける

ドレスは、着替えるのが簡単なので、通常のドレスのショーでは、5、6人もいれば、演出によってはショーは可能になる。ところが、和装の場合は、着替えに、30分はかかる。2006年のショーでは、最初の和装を完全に着替え直して、モデルが再登場するために、どうしてもたくさんのモデルが必要でした。ショーでドレスのパートを作ったのは、和装モデルが着替えるため。お披露目したい和装のコーディネートの数から計算すると、モデルの数は、公募のの素人モデルを入れて45名になった。大阪から、モデルたちは、バス一台を貸し切ってやって来た。あとでわかることですが、こんなにたくさんのモデルが、和装をたくさん着てショー^に出るということは、ドレス全盛の時代にとても珍しいことだったので、誰もやったことがなく、結果的には、かつてない最大希望の和装のショーだと言われることになった。


これをきっかけに、全国33社集まった貸衣装店のグループ「全日本ブライダルメイト」で、和装部長を任されることになった。そして、ショーから2年後の2008年、「全日本ブライダルメイト」主催で、東京でさらに本格的な和装のショーのイメージデレクションをすることになるのです。弊社の最大の特徴である、古代色を再現したその色掛下は、弊社の特徴となり、現在では生地から織ってもらい、刺繍の紋をデザインし、振袖みたいに一枚でも着ることのできる花振袖と呼ぶ商品に発展しています。今では47色になりました。東京でのショーの経験は、さらに多くをもたらしてくれルことになるのです。

あの時の火事がなければ今のうちの商品はなかった、きっとコロナに感謝する日が来るに違いない

不思議な話ではありますが、あとでいかに自分のところの商品が、特徴的で、かつ、他にないのかということをさらにこの東京のショーで時知ることになりました。人口が一番少ない県の、婚姻組数が全国でも最も少ない商圏の、こんなに小さなお店で、しかも火事でほとんどの商品を失ったけれど、こんな展開になるなんて、夢中でやり続けるということは、それなりの結果を生むものなのだと、感じました。火事から8年が経とうとしていました。あの火事がなかったら、今のうちの商品やサービスは生まれていなかった。経営者の仕事は、イノベーションによって顧客を創造すること、そして明日を作ること、そして、強みに集中して、弱みを無きものとすること。コロナだって、きっと、いつかそれがあったから、新しい商品やサービスを生み出すことができタノだって、感謝する日が来る日はいないと思っていいる。

有限会社伊谷商店's job postings

Weekly ranking

Show other rankings
Like sugiko shibata's Story
Let sugiko shibata's company know you're interested in their content