2024年も世界では戦争や迫害が続き、日本の総人口とほぼ変わらない、1億1000万人以上の人々が故郷を追われています。今この瞬間にも、ウクライナや中東など戦闘の続く国々、地震で被災したトルコ・シリアやアフガニスタン、今も戦闘が続くスーダンなど、世界で多くの人々が家を失い苦しんでいます。
難民・国内避難民にシェルターを提供することはUNHCRの最も重要な任務の一つですが、深刻な資金不足で提供が追いつかず、多くの家族が間に合わせの仮住まいで雨露をしのいでいます。シェルターは、家を失い苦しんでいる人々の命と安全を守り、心身の傷を癒し、尊厳を取り戻す大きな意味を持ちます。一人でも多くの方に支援を届けるために、どうぞUNHCRの難民支援にご協力ください。
家を焼かれ、夫を失って。それでも、私たちは生きていく。
スーダン難民 ゼイナブさんの物語
2023年5月、スーダンの私たちの家に武装した男たちがやってきて、銃で夫と義理の兄弟たちを撃ちました。夫はお腹を撃たれて亡くなり、数日後に5人の兄弟も死にました。
そして、私たちの家も近所の家もみな焼き払われたのです。
私は子どもたち2人と、どこへ行けば良いか分からないまま、隠れながらさ迷い歩きました。
戦闘が激しくなる中、親戚が私と子どもがチャドへ避難する車の料金を工面してくれました。
食べ物も水もほとんどない、苦しい旅でした。
旅の途中で、武装した男が車を止め、私だけが降ろされました。
「金を払わなければ殺す」と言うのです。
渡せるものは何もなく、子どもたちは泣いていました。
その時、運転手が間に入って、お金を払ってくれました。
私は彼のおかげで命が助かったのです。
チャド国境へ着いた時、私たちは何日も食べていませんでした。 当初は夫が殺された時の悪夢を見たり、絶えず涙がこぼれ、気が狂いそうな思いでした。
国境は過密状態でしたが、数週間後に難民キャンプへ移ることができました。
支援には本当に感謝しています。
シェルターもなく、寝るマットやトイレもなかったのですから。
家や毛布、蚊帳も受け取り快適になりました。
今後は働いて、他の人に頼らずに生活したい。
子どもたちには教育を受けてほしいと願っています。
UNHCRのシェルター支援
私たちにとって、「家」とは何でしょうか。
住む場所、食べる場所、家族とくつろぐ場所、帰る場所、眠る場所……。
生きる上で、すべての基盤となる場所と言えるかもしれません。
難民にとって「シェルター」は、そうした役割を果たす、重要な意味を持っています。
緊急支援「まず、命を救う」
- 一時滞在センター、集合シェルターの設置
- 国境から難民キャンプ等への移送
- 難民・国内避難民キャンプの設置・運営
- 緊急シェルターの提供
- 毛布、防水シート、ソーラーランタン等の配布
2023年10月、アフガニスタン・ヘラート州で大地震が発生した日、フマイラさんは朝に出産しクリニックから帰宅したばかりでした。赤ちゃんを抱いたまま土埃にまみれ、うずくまる彼女を見つけたのは家族でした。家は壊れ、その後2~3週間、一家は屋外で毛布とビニールシートだけの生活に。虫が入り込み、床や毛布は濡れて寒く、赤ちゃんはいつも泣いていました。その後、一家はUNHCRからテントや物資を受け取りました。「この新しいテントで、もっとスペースもでき暖かくなるでしょう」とフマイラさんは安堵しています。
中長期支援「長引く避難生活に対応」
- 中長期の生活に適切なシェルターの提供
- 老朽化したシェルターの補強・改修支援
- 洪水や地震など災害に弱い場所で暮らす難民の移転のサポート
ブナイナさん(26歳)は、2023年にスーダンから子どもたちとチャドに逃れてきました。最初の4か月は、国境の間に合わせのシェルターで暮らすことを強いられました。その後、UNHCRの支援でチャドの難民キャンプに移動し、難民住居ユニット(RHU)※の提供を受けました。ブナイナさんは、離ればなれになっている夫とも一緒に暮らせるよう願いながら、家の周りにフェンスや炊事スペースを作り準備しています。
※Refugee Housing Unit の略。より耐久性、安全性にすぐれ、カギもかけられるシェルター
都市部での支援「誰も取り残さないために」
- 爆撃で破壊された家屋の修復支援(シェルターキットの配布)
- 集合避難所の整備(物資の供給、防寒用の改修、発電機の提供など)
- 難民、国内避難民が家を借りるサポート、 家賃の補助
ウクライナ南部クリヴィーリフに住むセルヒーさん(57歳)の家は、2024年1月にミサイル攻撃を受けました。「何が起こったか分からず、必死でした。窓とドアが吹き飛ばされ、隠れようとして足をけがしました」。「生きているのは奇跡です。わずか数十秒の差でした。家はひどく壊れ、とどまることはできませんでした。外はマイナス10度で、屋根も窓もドアもないんです」。UNHCRから迅速に緊急シェルターや援助物資、心のケア等の支援を受けたセルヒーさんは、少しずつショックから落ち着き、家の再建を始めています。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は 難民の命を守り保護する機関です。
UNHCRは、シリア・アフガニスタン・ウクライナなど世界中で家を追われた難民・国内避難民を支援・保護し、水や食料、毛布などの物資の配布や、難民キャンプなど避難場所の提供、保護者を失った子どもの心のケアなど、最前線で援助活動に尽力しています。1991年から10年間、緒方貞子さんが日本人として初めてUNHCRのトップである国連難民高等弁務官を務めました。
※紛争や迫害などのため命の危険があり、国外へ逃れた人を「難民」、国内で避難している人を「国内避難民」と呼びます。
「私たちは苦しんでいます」
6人の子どもを連れ、チャドから30キロ歩いて中央アフリカ共和国へ避難してきたヘレネさんはこう語ります。
「私たちは苦しんでいます。昨日はテントに雨が入って眠れませんでした。
飲み水や食べ物、ベッド、健康に必要な物がある家を夢見ています。
子どもたちには学校に通わせたいです。私とは違い、まだ間に合います。
もしできることなら、今すぐここを出たいです。
私たちはここでは暮らせません」
国際情勢が激しく揺れ動く時代、今、私たちにできること
フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は「私たちは国際情勢が激しく揺れ動く時代を生きています。現代の紛争は、人々に深刻な苦しみをもたらし、脆弱かつ悲惨な状況を生み出しています」と訴えます。
日本から届ける支援は、避難を強いられた人々を援助するUNHCRにとって、なくてはならない支援です。継続的な支援を続けていただくことにより、迅速な緊急援助、水・食料の安定した供給や、長期の資金計画が必要な学校教育や難民への職業訓練や自立支援などを進めることが可能となるのです。故郷を追われ難民となった人たちは、極限の状況下で支援を待っています。
ひとりでも多くの難民となった人たちに寄付という形で支えていけるよう、私たちは今日も街頭で一人ひとりに声をかけています。
「今日、ここで、あなたと会えたから一歩踏み出すきっかけになった」。新たに国連難民サポーターに参加くださる方からのお言葉です。
ひとつひとつの積み重ねが大きな力となって、難民の命を救うことができる。
日本から届ける難民支援。私たちと一緒に難民支援の輪を広げていきませんか?
/assets/images/658500/original/4c50af79-1b13-4ad1-bfc6-8664da746abc.jpeg?1476948949)