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スパイスの効いた人生を。【01】

株式会社Gear8の代表を担当している水野です。

ここでは僕がなぜ起業しようと思ったのか、今のGear8はどんなことやっているのか、これからどうしたいのかについて紹介します。

Gear8は日本と海外に複数の拠点を持つ、ウェブディレクションチームです。様々なエリアの新しいアイデアを取り入れながら、クライアントのブランディングや自社メディアの開発に日々勤しんでいます。
僕は札幌出身で、新卒入社の小売業からキャリアチェンジし、デザイナーとして数年間働いた後、ウェブマーケティング会社でディレクターの経験を積みました。そして2008年にGear8を創業しました。

ところで連載初回のこの記事は殆どが自分史のようになってますので、どうでもいいぜと思われる方は2つ目から読んでいただくと良いかもしれません。


目次
01 新卒:3年で退職した理由
  転職:短期アルバイトデザイナー
02 役割:ウェブディレクターについて
  独立:金なし学なしコネなし
03 変化:ブランディングの大切さに気づく
  海外:初の自社メディアを立ち上げる
04 拠点:3つのミックスを能動的に実施する
  今後:10x8のメンバーでフレキシブルに


新卒:3年で退職した理由


約20年前、期せずしていわゆる超就職氷河期と呼ばれる悲惨な2000年に卒業を迎えることになりました。今でこそ前後の年と比較して「あの頃は超就職氷河期で」なんて言われますが、その真っ只中にいた本人たちはマイナス何度あるか知らないまま、あー寒い寒い言いながら就活戦線をなんとか乗り越え、安全地帯に辿り着くべく奮闘していました。

そんな中、僕はといえば奇跡的にあっさりと内定が決まってしまい、お気楽に残りの学生生活を謳歌していました。学校の成績も下の中、特別なスキルもなかったのにすぐ勤め先が決まったことを僕もみんなも本当に不思議に感じていました。あれはなんだったんだろう?僕のラッキーな人生が本格的に始まったのはこの頃からかもしれません。

入社した小売の会社では商売のノウハウを学ぶことができました。どうレイアウトすると売上に繋がるのか、混雑する曜日や時間帯に合わせた人員確保、地域イベントと過去の売上を比較した商品の適正発注など。自動発注が一部だったので様々な情報を頭に入れておく必要がありました。これは業界や役割が変わった今でも役に立っている考え方です。

地方の大型小売店は生活インフラとして存在しています、なので何より欠品が最大悪でした。うちが商品切らしたら地域の皆さんが困るんだという使命の元、発注用のバーコード読み取り端末を肩からぶら下げ、日々売場を走り回りピピピッと商品を注文しまくっていました。特に新聞に大きなセールのチラシのが入る週の前半は全員殺気立っていました。

当時は期待の大型新人として売場を担当させてもらい、気張りまくってモーレツに仕事をしてました。体力が無限にあったんですね、しかしさすがに眠気には勝てません。ある時3個の発注で良かった大型家具を33個端末に打ち込むという大失態を犯したのです。この頃にAIがあればアホみたいな注文数に強烈なツッコミを入れてくれたことでしょう。

発注した数日後には商品が入荷されます。倉庫番をしていた熟練の先輩から「ミズノ、ソウコ、ヤバイ」という謎の伝言を受け取り、ヒヤリとしながら走ってバックヤードに向かうと、そこには適正在庫数の10倍ある大型家具が鎮座。「あ、これは詰んだ」と思いましたね。すぐバレるんですよ、デカすぎてどこにも隠すこと出来ませんから。

ヤバイ状況を察してくれたのは最良の同期たちでして、新入社員にも関わらず自店舗への振替を受けてくれました。ただし配送コストをかけることは出来ず、自家用車で休日に道内の各店舗へ自ら輸送するという憂き目にあいました。でも結果的に各店舗のレイアウトを見れたり、他店舗の上司にお詫びと挨拶を繰り返し、名前を覚えてもらえたりと結果的にこれもラッキーなことでした。

思いがけない他店舗への見学がきっかけで、オリジナルでPOPを作るという販促アイデアをゲットした僕。新しいPCを自宅に購入し、illustratorなるソフトで自作のPOPを作り売場を飾る。オススメのポイ
ントはどこか、商品特性をしっかり知ることでちゃんと売れるんですよね。これは嬉しかった、あとデザインすることも楽しみになってました。

もう少し上手にデザインしてみたいという気持ちが先行して、大切な大切な水曜と土曜の休日を、デザイン学校で学ぶ時間に充てました、無謀。休みが無くなることに気づいてなかったんでしょうか当時の僕は。ここで1年間デザインの基本のキを学び、意気揚々とPOP作りに励みました。その後間もなく会社でオリジナルPOPが禁止されることも知らずに。

バイヤー志望の入社当時、先輩からは45歳になったら可能性あると言われ、1年目から悟りの境地に達した22歳、バイヤーになるには生きてきた年数とほぼ同じ23年間かかることを知らされ、結局僕は我慢しきれず入社から丸3年で退職することになります。その時心の拠り所となっていたのは、店舗のオリジナルPOPを作る為に覚えたグラフィックデザインでした。

デザイン業界でなんとか生きてゆきたいと考え、勤め先も決まらないまま飛び出したわけですが、想像以上に世間の風は冷たくて厳しかった、孤独な一人転職氷河期に突入。失業保険を頂きながらもがきまくっていた頃に、以前通っていたデザイン学校の同期から短期アルバイトデザイナーの職があることを聞き飛びつきました。「デザイナー」というワードだけが光りまくり、「短期」と「アルバイト」が全く目に入っていなかった。

深く考えない性格が功を奏し、デザイン業界への第一歩を踏み出したのです。




転職:短期アルバイトデザイナー


よく言えば助っ人デザイナーで、まあ普通に言ったら25歳フリーターの誕生です。短期アルバイトデザイナーとして3ヶ月の契約期間中は、デザイナーと呼べることはひとつもさせてもらえませんでした。やっていたことといえば、ひたすら大型裁断機でポスターのカット・発泡パネルへの貼付け、ネガポジのスキャン・撮影データのゴミ取り。デザイナーという仕事はなんと地味な仕事なのだと落胆しました。

カットが上手かったんでしょうか。短期で終了する契約は謎に延長され、気づけば正社員として会社に採用されました、またしてもラッキー。僕は飲食店の広告をデザインする部署に配属され、四六時中食べ物の写真と向き合うことになりました。どうすれば美味しそうか、なんと表現すれば注文が増えるか等を考えることは、幸い自作POPを作っていた時に自然と養われていた為、苦にはなりませんでした。

「焼き目をつけてほしい」「いやそれだと焦げすぎ」みたいな無茶振りでphotoshopの腕前が格段に上がったのもこの頃でした。右も左もわからない駆け出し&遅咲きのデザイナーでしたから、実務から学ぶことが最も効率的と考え、仕事に全力を注いでいたのです。用途不明の武器と前後逆に装着した鎧で戦場に飛び込んでいくアラサー。とにかく年下のデザイナーに追いつかなくてはいけませんでした。

非常に忙しい部署でしたから、当時はなかなか自宅に帰る時間も取れませんでした。そんな時は社長が労いの言葉と共に、社長室を開放してくれ、普段は絶対座れない真っ白なソファを拝借して仮眠をとっていました。向かいのスポーツジムを法人契約してくれたり気晴らしに食事に連れて行った貰ったり、今は「よお社畜」で片付けられてしまいますが26歳の僕はそれが学祭みたいでホントに楽しかった。

つまり、なりたかった憧れの「デザイナー」として認められたり頼りにされることが何よりのステイタスでした。カットマンじゃなくてハレパネ職人じゃなくてデザイナーとしてお金を貰えているという高揚感が原動力で、加えて他の人よりも回り道をしてきたという焦りがブースターになっていたのでしょう。社長室の白革ソファを小汚いジーパンの色落ちで汚しまくったのは当時の社長と会った時の鉄板ネタです。

顧客先へ説明に出向く機会が増えたのもこの頃、2年目あたりからです。現場を見てクライアントに直接話を聞くことは、何の為にデザインが使われているかを知る貴重な機会でした。客単価を上げたいのか、認知度を高めたいのか、対象者を広げたいのか等。少しだけ自信がつき、デザイナーとしての経験値が増え、ディレクターの素養が身に付いたのは、やりたがりで知りたがりの欲張りだったからでしょう。

デザイン業界のトップランナーと知り合いになるにはどうしたらいいのか。業界の底辺を彷徨っていた僕には仕事で繋がるチャンスがありませんでした。考えあぐねた結果出した答えはクリエイターだけが集まるイベントの開催。一気に顔を覚えてもらうという超わがまま企画です。2005年はSNSなんて便利ツールはなくて、メールでお願いしまくった結果50名のクリエイターが集まるイベントになったのです。

sense sapporoというこのイベントは数回で終了しましたが、今考えれば激務の中、イベント準備から開催まで、よくひとりでやってたなと感心します。知らないから知りたいという強烈な欲求、無知ほど強いものはないですね。このイベントがきっかけで、たくさんの独立されてるデザイナーさんとお友達になれました。僕も触発されフリーのデザイナーとして活動してみたいという気持ちが高まっていったのです。

短期アルバイトデザイナーという謎の仕事からスタートしたデザイナーとしてのキャリアは、一旦ここで一区切りとなります。イベントで知り合った第一線で活躍するみなさんに影響を受け、退職して無謀にも独立することを決めたのです。丸2年勤めた会社に別れを告げ、フリーランスとしての活動を決めた矢先に舞い込んできたのが、立ち上げたばかりのウェブマーケティング会社からのお誘いでした。

2年の実務経験で独立できる程甘くないよなぁという思いもあり、当時の上司から勧めていただいたという恩もあり、ぜひチャレンジさせてくださいといことで面接を受けました。面接当日、オフィスの扉を開けてびっくり。オフィスは倉庫の一角、うなぎの寝床のような細長い空間に、横並びで三人が座れる机と椅子があるだけ。これは会社の立ち上げを経験できる予感!と思い新会社の門を叩いたのです。

いずれ独立することを伝えつつ僕も仲間に入れてほしいことをアピールした結果、無事合格通知をもらい、ウェブも取り扱うデザイナーとして次のステップを上がることになりました。ここでウェブデザインやメディアの立ち上げに関わることができたのは僕にとって大きな財産です。不思議な(ホントに不思議な)先輩たちに囲まれながら新たな道を歩むことになったのは2005年のことでした。


新卒から5年でこんなに多くの会社と経験を積めるとは想像もしていませんでした、ラッキー。

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