(この記事は DeNAヘルスケア事業本部サイトからの転載です)
昨年DeNAヘルスケアに誕生したCMO(チーフ・メディカル・オフィサー)室。立ち上げと同時に、この部署の中心人物としてジョインしたのが、田中 俊郎です。
厚労省の医系技官から転身した三宅邦明CMOとともに、ヘルスケア事業部の事業経営を推進するのが、その役割です。
そんな田中も、実は去年まで総務省に席を置いていた“元官僚”――。
なぜ彼は霞が関から渋谷へ、メガベンチャーへと、フィールドを移したのでしょうか?
転身のストーリーと、変わらぬ志を伺いました。
「世の中のために何かを」と思っていた
――田中さんがいるCMO室の役割は?
田中俊郎(以下、田中):IT企業には珍しく、DeNAにはCMO(チーフ・メディカル・オフィサー)という役職があるんですね。
CMOには今年、厚労省の医系技官から転身し、医師資格を有す三宅邦明が就いたのですが、三宅の専門性を活かし、ヘルスケア領域において「新規事業のインキュべーション」や「官学との連携」をはかる。
その2つが、CMO室の主な役割ですね。
――そのなかで田中さんは、具体的にどういうお仕事をされているのでしょう?
田中:たとえば、健康保険組合向けアプリ『kencom』というものがあります。
――健康診断の結果やライフログなどのデータが1つになっており、ゲーム感覚でヘルスケアイベントや、運動を促してくれるスマホ用の健康促進アプリですね。
田中:ええ。ここでは大勢の方の極めて貴重なヘルスケアにまつわるデータがとれます。
このデータを精査、分析していくと「どんな行動がより効果的はヘルスケアにつながるか」「どんな属性にどういう健康リスクがあるか」 などの、エビデンスを作れる可能性があります。
結果は、健保組合の保健事業に役立てることやkencomサービスのブラッシュアップを目的に活用していきますが、この先、さまざまな産業のヘルスケア化やイノベーションにも役立てていただけるはずです。
――ひいては、多くの方の健康寿命が伸びる。さらには社会問題になっている医療費や社会保障費の課題解決につながる。さらに日本経済を活性化させることにもなるわけですね。
田中:そのとおりです。そうしたヘルスケア領域の次の施策、これからの事業を育んでいくのが、私や、私たちの仕事だと思っています。
――前職は総務省にいたと伺っています。まさにそのようなヘルスケアの新しい領域、あるいは産業に携わりたいと考えて転身を?
田中:うーん……どうでしょう。むしろそういう意味では、そもそも総務省に入ったのも、DeNAに入ったのも、まったく同じなんです。
「世の中のためになることがしたい」という漠然とした意思が、学生の頃からあったんですよ。
数字を追ううち、人が見え難くなっていた
――では、あらためて公務員になられた経緯から伺えますか?
田中:高校生の頃から、「官僚になりたい」と思っていたんですね。青臭いのですが、世の中のために、社会のために役に立ちたい、という漠然とした志があったからなんです。
――総務省を選ばれたワケは?
田中:総務省の領域には地方自治行政があるんです。そこに興味がありました。
原体験としてあるのは、両親の実家である長野県の南信で過ごした日々。東京からは遠く、ほぼ名古屋文化圏の南信地域なのですが、お盆になると毎年家族で帰省していました。
最高だったんですよ。自然がそのまま残っていて、食べ物もおいしい。祖父母ふくめて優しい人たちがいました。
ただ年をおうごとに人口は減り、自治的にも経済的にも課題がある、ということがなんとなく見えてきた。同じような地域が日本中にあって、そうした地方の課題になにか貢献したいな、という思いがあったんです。
――入省後、地方自治関連の仕事を?
田中:そうですね。具体的には「財政」や「地方税」の仕事、そして「消防」の仕事などをしました。
――噛み砕くとと、どういう仕事をされていたのでしょう?
田中:基本的には制度設計や改革になりますよ。たとえば財政でいえば、来年度の地方の歳入歳出を見積り、地方交付税の総額を決める担当者としていろいろな論点を整理したり。消防では、救急隊の基準(救急車に乗る隊員の資格が法令できまっているんです)を見直したり......。
また、地方税の部署では、様々な理由により固定資産税の軽減があるのですが、そういった特例措置の見直しなどもやっていました。
▲ (左)山梨県で初めて導入されたドクターヘリの視察。(右)県警航空隊の視察風景。
▲ 山梨県議会議事堂(傍聴席)にて。議案の説明に向かう途中。
――実際に地方でお仕事をされたこともあったとか。
田中:はい。山梨に5年ほどいました。山梨県ではいろいろやらせてもらいましたが、医療関係の施策も手掛けていました。
わかりやすいものでいうと「医師確保」や「病院の統合」ですね。
――医師不足などの問題はとくに地方でこそ深刻と聞きます。具体的にはどんな施策を?
田中:とくに産科の医師が少ないという課題があったので、医学部でも産科に進む学生への奨学金を設定することがメインでした。
実際に産科の学生が増え、目に見える成果が出たことは達成感もありましたね。また、病院の統合もとても印象に残っています。当時、地域の住民の方々は、病院が統合されれば病院の数が減ってしまって、医療が受けられなくなるのではないかと心配していました。そこで、夜な夜な地域の公民館で開かれる地元説明会にお邪魔して、「経営統合により医師は増えるし、外来も再開できる。ぜひご理解いただきたい」と説明して回って、最終的には経営統合という結果を出すことができました。
その他にもあらゆる地方自治に関連した仕事を手掛けてきましたが、やはり地方の現場にいた課長の頃が、最も充実感があったかな。住民の皆さんと直接会話し、さまざまな主張を受け止めつつ施策を行っていく。これこそ自分のやりたいことだと思いました。
――地方から霞ヶ関に戻っていますが、その後、転職のきっかけはあったのでしょうか。
田中:戻ってからは先に言った税制改正の仕事についたんです。極めて大切な業務で、世の中のためになることも間違いない。
ただ、制度改正のための法律改正案を作ったり、予算要求をして、国会審議を経て法律が成立して.......というサイクルを繰り返すことに、少し違和感というか物足りなさを感じたんです。
――それが転職の契機に?
田中:理由のひとつです。
あとは良くも悪くも、霞が関では「仕事が降ってくる」ような側面があります。それは忙殺になりやすいだけではなく、自分の意思でこんな政策をやってみたい、立ち上げたい、と思っても、簡単に動けないんです。
もちろん、意義のある仕事ばかりですが、私個人の「人生の幅をひろげる」意味では、もう少しチャレンジしたくなりました。
あえて熱くいうなら「もっと全力で生きたいな」と。そこで昨年、30代のうちにDeNAへ転職をした、というわけです。
――そうはいっても、DeNAはIT企業です。なぜ選んだのでしょう?
田中:そうですよね。実際、省庁出身、とくに総務省からの転職者はパブリックセクターを手掛ける戦略系コンサルに行く人が多いですからね。
ただ、私はもっと幅広な仕事をしてみたかったんです。DeNAが持つ「何をやっても良さそうな雰囲気」にまず惹かれた面はありますね。
ゲームなどのエンタメ系はもちろん、横浜のまちづくりやスポーツチーム、オートモーティブ事業、そしてヘルスケア事業と、本当にいろいろと挑戦している企業ですからね。全力でぶつかるには、実に魅力的に見えました。
当たり前のように「本気」で社会と向き合う
――実際、DeNA入社してどうでしたか?
田中:どこの所属でも特に感じたのは、DeNAの社員1人ひとりがどの部署でも本気で「お客様のデライトのために何ができるか」と考えて行動していることでした。
売上、利益ももちろん大切なのですが、しっかりとお客様を見据えて、サービスやプロダクトを考える。経営企画の数字をみる局面でも、プロダクトの利用者の方々1人ひとりを考えて思案していた。それはすこし感動しましたね。
――かつて、地域住民の方々の声を受け止めて、どうやっていけば生活がうまくいくのか考えていたのと少し似ていますね。
田中:そうですね。だからこそ、1人ひとりの人生に寄りそうような事業を手掛けたいと感じ始めました。総務省時代に馴染みのあった、医療関係の課題を扱い、何物にも代えがたい「健康」を提供することができるヘルスケア領域へとうつってきたわけです。
さらに大きな視点で言うと、医療費適正化や医療制度改革といった、課題ははっきりしていても中からは変えることが大変なことを、本気で人と向き合い、社会課題と向き合うDeNAならやりとげられそうだと感じた。外からゆさぶることで、大きく日本の今ある課題を変えられると考えました。
――なるほど。学生の頃から変わらぬ「世の中のために」という志を、よりはっきりとカタチにできるかもしれないと。
田中:あとは私個人の視点ですが、社会人としての「幅」みたいなものも、ここでならより広げられると感じた面もあります。
――成長ができると思われたんですね。ところで、省庁からDeNAに移って、ワークスタイルや組織運営などの面で驚いたことははありましたか?
田中:やはり圧倒的にフラットで自由なところは驚きました。省庁では、ラインが明確にあって「この案件はどこのだれに話を通す」というのがはっきりしているんです。
DeNAでは、声をあげたら「いいね」「やってみたら」と話が進むことが多いです。
「あれ、これ本当に進めていいの? 動いていい?」と迷うこともありますが(笑)。
――逆に省庁のスタイルの中から、DeNAに取り入れたいことはありますか?
田中:多少あります。
たとえば「ゼロからイチをつくる」ことは、やはりDeNAにいるような尖った人材が得意とするところだと思うんです。一方で、私のような役人経験者はそれはとても苦手だけど「イチを10や100にするための手立て」については得意です。
アイデアをカタチにして、事業にして世の中に使っていただくためには、事業が大きければ大きいほど、法的な整備や、公共機関との折衝などが不可欠ですからね。ただ、ゼロからイチをつくるというのも、全然あきらめていませんよ(笑)。
――そうした橋がけの役割は心強いですね。
田中:DeNAのような本当に多彩な事業を手掛けて、デジタルを飛び越えてリアルの世界までひろげるような業態であれば、なお私のような橋渡し役も必要になると思っています。
そして、そういうチャレンジに身を投じていみたい人に、ぜひ参画してもらいたいですね。
――そして「全力で生きてみたい」という人ですかね。
田中:そのほうが人生は面白いと思う方ですね。少なくとも、私はそう思っているので。
田中 俊郎(たなか としろう)|DeNAヘルスケア事業部CMO室 室長
1980年、横浜生まれ。2004年、東京大学法学部卒業・総務省入省。総務省自治財政局財政課、山梨県リニア推進課、医務課、財政課、総務省消防庁救急企画室、自治税務局固定資産税課等において、新規施策の立案から制度改正等に携わる。2018年8月、DeNA入社。趣味は旅行と旅行先での写真撮影。
執筆:箱田 高樹 編集:八島 朱里 撮影:杉本 晴
※本記事掲載の情報は、2019年8月8日時点のものです。