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前回、社員インタビュー第1弾ということでCSの和田さんへインタビューを行いましたが、今回はBordインタビュー第1弾とのことで、代表取締役社長の大島さんにインタビューさせてもらいました〜🎤👏
創業秘話から大島さんのプライベートまで幅広く伺いましたので是非ご覧ください。
目次
社長のビジョンに惹かれて入社した会社員時代
英語が喋れるようになりたいと渡米
ビジネスの面白さに気付くマンハッタン時代
社長のビジョンに惹かれて入社した会社員時代
🎤:本日は創業当時のお話を深〜く聞ければと思っているのですが(笑)、改めてになるんですが大島さんの経歴?を伺いたいなと思いまして、最初って普通に会社員されてたんですか?
👨:そうですね。僕の経歴は、新卒で株式会社ウェブマネーに入社しました。当時は上場前のITベンチャーだったんですが、電子マネーの認知度があまり高くない時代で、ただ当時の社長のビジョンに共感して入社しました。オンラインで支払いできるサービスを提供しており、自分も使ったことがあって馴染みがあり、社長が「世界共通の通貨を作る」という話があって、魅力を感じ選びました。
🎤:なるほど。大島さんって学生時代の時から、起業願望みたいのってあったんですか?
👨:なんとなくですが起業するしないより『会社の歯車にならずに自分を早く成長させたい』そういった想いはありました。まぁただ僕の時代は就活氷河期でもあり、全然就活決まらない時代でもあって皆がやったからやり始めたぐらいのテンションで、正直就活をそんなにちゃんと考えてなかったですね(笑)たまたま4,5社受けたら2,3社受かってとんとん拍子で決まったのでそこで決めたみたいな(笑)
🎤:すごいですね。スピード内定みたいな感じですか(笑)
👨:はい、みんな苦労してたと思うんですが自分は就活期間は1ヶ月ちょっとぐらいだった気がします。
🎤:早っ。新卒で入られてそこから海外行かれたのってどれぐらいの時期だったんですか?
👨:入社してから2年後ですね。なので新卒で会社員やってた時期は2年しかなかったです。
🎤:ウェブマネーで海外行った訳ではなかったんですね。その2年間は国内で法人営業されてたんですか?
👨:そうです、普通に法人営業してました。
英語が喋れるようになりたいと渡米
🎤:海外志望は最初からあったんですか?
👨:いや、それが全くなかったです。日本人だから日本語喋れれば十分だろうと(笑)
🎤:そうだったんですね。どんな転機というかきっかけがあったんですか?
👨:元々英語は全くできなかったんですが、ウェブマネー時代に海外から問い合わせが来てそれに対して全く対応ができなかったことがありました。また他の時では、海外の方との商談することがありやはりそこでも全く話せない状況でして、これは将来英語が使えないとダメだなととても痛感しました。今後は義務教育で英語が喋れる環境になり、そうなると英語が喋れないことがデメリットになると思い、会社を辞めて海外へ行く決意をしました。笑
🎤:かなり大胆な決意でしたね。辞めて海外行く時には何か計画や算段はあったんですか?
👨:当時はワーホリや留学という選択肢もあったんですが、ビジネス英語をちゃんと喋れないといけないと思ったのとビジネスの中心といえばニューヨークだと思い、特に計画なくニューヨークへ行きました。
🎤:仕事のあてもなく、現地行ったの凄いですね。笑
👨:いやでも本当に英語が分からなかったので、最初の半年ぐらいは語学学校に行きましたよ。
🎤:その時はバイトとかしてたんですか?
👨:半年だったので貯金だけでなんとかなりました。極貧生活でしたけどね(笑)自分の性格的に強制的に身を追いやらないと喋らないなと思ったので、日本人がいない環境で学びました。
🎤:本当に学ばないと意思疎通できない環境ですね。半年通って聞き取りもできるようになったんですか?
👨:聞き取りは1ヶ月ぐらいでできるようになりました。街に繰り出して色んな人と喋って友達を作ったのが大きかったですね。
ビジネスの面白さに気付くマンハッタン時代
🎤:その後は帰国したんですか?
👨:多少は喋れるようになったので、その後はニューヨークに行って就活をしました。就活の掲示板(こっちでいうジモティみたいなもの)を使い、求人票を見ては手当たり次第電話をかけて履歴書を送りました。多分150件くらい電話しましたね。そしたら向こうも結構アグレッシブな感じで「来週から来てくれ」といくつかオファーをいただきました。
🎤:150件。。凄い数ですね。最初は何の仕事をしたんですか?
👨:それが結局VISAの問題に引っかかり働けなかったんですよ。ただ1つだけOKしてもらえたところがあって、そこが働くところになるんですけど、NPO法人の弁護士事務所でした。弁護士事務所だったのでVISAの手続きを何とかしてもらってクリアになりました。けどNPO法人だったんで、営利を目的とした活動行為はNGだったんですよね。でも僕はアメリカでビジネスをしたかったんで、ビジネスさせてくれと懇願しました。そしたら、『君、HPのデザインできるか?』って言われて、本当はできないんですけど「できます!」って言ってwebデザイナーとして入社しました。
(アメリカ時代の大島さん。若い(笑))
🎤:え、じゃあ独学で勉強してHP作ったんですか?
👨:そうです。HPは作れたんですが、僕は弁護士でもなければNPOに興味があったわけでもなかったので、やっぱりビジネスがしたくて、入社後何度もビジネスをさせてくれと打診をしました。そしたら、会社として稼いじゃいけないが、彼ら(顧客)を助けることや潤わせることであればやってもいいと許可を得ることができました。
🎤:NPO法人ですからね。大島さんは最初は何をしたんですか?
👨:そのNPO法人は立場がない人の駆け込み寺的なところだったんですが、ニューヨークって露天商が凄く多いんですね。なので、最初は露天商向けのお土産プロジェクトや広告プロジェクトなどを作りました。
(実際の露天商の様子)
🎤:露天商向けのお土産プロジェクト・・・ですか?
👨:山田さん、ローステッドピーナッツって食べたことありますか?
🎤:ないです。笑 (検索する・・)カルディとかで売ってそうですね!美味しそう。
(実際にカルディで売ってました。笑)
👨:これ凄い美味しいんですよ。露天商の人がこれをビニール袋で売ってたんですけど、これを缶にして売ればお土産になるのでは?と思って缶にして売る提案を彼らにしました。ただ後から分かったんですが、ピーナッツは現地の人には人気だが、お土産としてはわざわざ買わないということがわかり、缶の仕入れ代も利益を圧迫することからこのプロジェクトは大失敗にして終わりました。笑
🎤:なるほど。広告プロジェクトはどんな内容だったのですか?
👨:彼らが出店しているパラソルやテーブル、着ているTシャツに広告を貼ろうとというプロジェクトです。元々広告がなかったのでそこに目をつけて全米から広告募集をかけたのですが、フロリダの大手ジュースメーカーが出してもらったりしてこっちのプロジェクトは結構うまくいきました。自慢じゃないですが、一時期マンハッタンとかを歩くと自分が取った広告が街で見かけることがよくありしましたね。
(当時のパラソル。マンハッタンでは大島さんが受注した広告が一時期並んでたそうです。)
🎤:ちゃんと露天商の人達を潤わしてるし、凄いですね。あれ、でも元々大島さんって英語が喋りたくて渡米したんですよね?笑 広告ビジネスをやるまでに発展した動機って何だったんですか?
👨:何ですかね〜(笑)。なんかお土産話じゃないですが、これやったぞっていうのは欲しかったんですよね。ただ渡米して帰ってきた人ってたくさんいるじゃないですか、でも行ってなんかやって帰ったきた人ってあんまいないなって思って、何かやったという実績を作りたかったんですよね(笑)
🎤:確かに渡米して何かやった人ってあんまいないですね。広告プロジェクトの次は何をしたんですか?
👨:マーチャンダイズプロジェクトというものを作りました。彼ら(露天商)にも卸しがいるので市場規模を調べたら10億ぐらいあることがわかったんです。ただ我々はNPO法人なので利益を出さず純粋に彼ら(露天商)を潤わせるにはどうすればいいのかを考えなければいけませんでした。そうなると自ずと彼らの売上を伸ばすか仕入れを下げるかで検討すると思うのですが、当時は仕入れを下げる方向で色々とリサーチしていきました。するとマンハッタンの一角に大きな卸しのお店(倉庫)を発見し、我々は露天商のコミュニティやコネクションがあったので会員証を見せ、このお店から買うと割引が適用される会員制度をお店(倉庫)に提案したところそれがはまり、露天商の人を潤わせることに成功しました。
🎤:彼らは安く仕入れることができるようになったんですね。でもNPO法人だから利益は0ですか?
👨:はい利益は0です(笑)でもそこでビジネスの面白さに気づきました。彼ら(露天商)を見てると同じ商売でも年商100万円の人もいれば、億を超えてる人もいる。同じ商売でもやり方やマーケティング1つで世界がこんなにも変わるんだとビジネスの魅力に取り憑かれてしまった気がします。
🎤:なるほど。大島さんは起業マインドはこの時に芽生えたんですね。その後は大島さんはどうしたんですか?
👨:マーチャンダイズプロジェクトはその後引き継げる人がいなくて縮小してしまったんですが、広告プロジェクトは形になりビジネスがしたいという目的も果たされたと思ったのでここで日本へ帰国します。
🎤:お、ついに日本に帰られるのですね!その当時が28歳ぐらいでしょうか?
👨:はい。28歳で東京に帰ります。その後は、、、
ということで今回はここまででとなります!この後も面白い話が沢山あるのですが、あまりのボリュームの為前編は一旦ここまで。前編では会社員時代〜渡米〜そしてビジネスをするところまでのお届けさせていただきました。
後編は帰国した大島さんがいよいよ創業し、現在に至るまでを熱く語っていただいてますので続きは是非後編をご覧ください!(※続編を順次公開していきます)
それでは今回もご覧いただきありがとうございました。
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