最近、不適切が溢れてます。
悪ふざけ動画で有名無名を問わずSNSが炎上し、「そんなつもりはなかった」の不適切発言ひとつで政治家たちは政治家生命を脅かされ、誰もが一寸先にある闇に戦々恐々としています。
不適切発言とは=物議をかもすような発言
物議です。2人以上の人が集まれば物議は生まれます。不適切と類似するものとして不愉快な言動、これがまさに現在社会のハラスメントの根源とも言えます。不適切も不愉快も、ときには発言者側に悪気がないどころか、気づいてもいない場合が多いものです。
この問題を解決するには「コミュニケーションの向上ありき」、そうも思われています。
コミュニケーションはたぶん有史以来(いや、もしくはもっと前から)、人類にとっての最大かつ永遠の課題と言っても良いのではないでしょうか?言語の違いやコミュニケーションの難しさの例えとして宗教を超えて引用されることに多いのが、旧約聖書のバベルの塔の一節で、「神を冒涜するほど天まで届くバベルの塔を建てようとした人間を戒めるため、神が言語に混乱を起こさせた。それまでは人類は同じ言語を使っていた」という有名なお話があります。宗教的な解釈はどうであれ、私たちはお互いが分かり合いたい、伝え合いたいという欲求を持ち、きっとどこかで必ずや分かり合えると信じて疑わないピュアな存在だということです。
人間社会、人間関係は「言い方ひとつ」。本当にそう思いませんか?
私たちは単に異言語や異文化の問題ではなく、同じ言語を使っていても習慣や育ちの違い、さらにはそのときどきの感覚や感情のゆらぎから
言い方ひとつ
で、不適切、不愉快の物議を引き起こしてしまうのです。
問題を起こすのが「言い方ひとつ」なら、それを解決させるのも「言い方ひとつ」。
「言い方ひとつ」と書くと、「言葉巧みに」という意味に取られてしまうこともありますが、「言い方ひとつ」の「ひとつ」は
思いやり(Compassion)をひとつ
と言う意味なのです。
Compassion(思いやり)は、GAFA(Google,Apple, Facebook,Amazon)などをはじめとする世界のトップ企業では、経営の軸やリーダー育成の基本のキとして認識されているレベルの、成功者の常識なのです。どれほど仕事ができても、経歴が華やかでもCompassion(思いやり)が身に着いていなければ、リーダーとしての資質は無し、トップに立つなんて無理、という考え方が主流なのです。考え方というよりも、単に事実としてそういうことなのだと。ふんわりした捉えどころのないものとしてではなく、ビジネスのコアとして考えられているのです。
バベルの塔は人類の驕りの象徴とも言われます。驕りは不適切、不愉快の現況でもあり、驕りの特効薬は「思いやり」です。コミュニケーション向上のため、ハラスメント問題を起こさないための研修、セミナー、トレーニングの根幹にも「思いやり」があってこそ。「言い方ひとつ」で会社の未来だって変わえられるのです。