デジタルマーケティング企業として、成果報酬型モデルの自社メディア事業を運営する株式会社キュービック。私たちが企業理念として掲げる「ヒト・ファースト」は、ただヒトを大切にするということではありません。その背景について、代表取締役社長の世一英仁がお話しします。
弁護士を目指しながら、勉強代を捻出するためにはじめたWEBの仕事
株式会社キュービックは、金融や人材などさまざまな分野で、クライアントとユーザーをつなぐウェブメディアを企画・制作・運営しています。ユーザーが何を求めているかを深く分析・把握することで、WEB上でアクションを起こさせるための良質なコンテンツを提供。データにばかり頼らない「ヒト・オリエンテッドなデジタルマーケティング」は当社の強みです。
企業理念である「ヒト・ファースト」には、モニターの向こう側に、必ず「ヒト」がいるという想いが込められています。その考えは、創業当初からあったものではありませんが、今振り返ると、競合企業以上に重要視していたこと。それが結果として、当社の強み、競合優位性として築き上げられてきたのだと思います。
一巡したかに見えるデジタルマーケティング領域ですが、ここからが本番。創業から10周年を迎えた2016年、私たちは「中小企業」を脱皮して「ベンチャー企業」となるべく、より力強く成長していく決意を込めてコーポレート・アイデンティティの変更を行いました。
今でこそ、100人を超える規模に成長した当社ですが、はじまりは自宅マンションの一室――。当時を思い返してみると、私は大学時代に法学部で弁護士を目指していました。ちょうどその頃は、青色発光ダイオード(LED)やHoneywellの液晶特許訴訟など知的財産関連の話題がホットな時代。タイムリーに知的財産権の講義を受けるなか、「弁護士として、日本の産業を守りたい」なんて漠然と考えていたんです。
大学生のとき、周りが就職活動をはじめているのを見ながらも就職はまったく意識せず……。当時を振り返るとサラリーマンになるつもりはなかったように思いますが、一方で経営者になるなどイメージすらしていませんでした。
卒業後は、司法試験の勉強と塾講師のアルバイトをする二重生活。学習塾では「先生」として生徒を教えているものの、一方ではいくら勉強をしても司法試験に受からない自分をもどかしく感じていました。
本当は勉強に専念したいのに、アルバイトにあてている時間がもったいない……。そこで、はじめてWEBを作る仕事をはじめることにしたんです。それは、勉強代を捻出し、受験勉強に集中するためにはじめた仕事。しかしいつの間にか、その仕事で年間1,000万円を超える利益を出せるほどになっていました。
一方で目の前にあるのは、どんなに頑張って勉強しても、司法試験には3年連続で落ちてしまうという厳しい現実……。「日本を代表する企業の知的財産保護」という大きな仕事ができる大手法律事務所に入所するためには、当時は司法試験に3回以内に合格することが最低ラインと言われていました。これが叶わず、私は弁護士の夢はあきらめます。
そのような挫折のもとに生まれたのが、2006年に法人化した株式会社キュービックホールディングス(現・株式会社キュービック)です。
“家業”から“企業”へ変わった瞬間
自宅マンションを職場にしていたこともあってか、当時からジョインしてもらうメンバーに対しても、自分たちとカルチャーが合うかどうかを何より重視していた気がします。その頃はまだ“急成長ベンチャーの経営者”になろうとは考えてもなかったので、採用基準は「部屋に入れてもいい人」(笑)。
スキル面で魅力的な人が面接に来ても、断ることもありました。優秀な人材はほしいけど、僕らとカルチャーが合わないなら、一緒に働くことは難しい。「ヒトとして合うか」、そもそも「ヒトに興味のある人間か」を何より重視していました。
当初のキュービックは、ベンチャー企業として大きくなるつもりはありませんでしたが、ある日“家業”から“企業”へ変わる転機がやってきました。
それは、奥さんとお子さんのいる、家庭のある方の採用です。そのときを境に、社員のため・さらに社員の家族のためにも、それまでの「個人事業の延長」ではなく、「会社」として従業員に対して責務を果たさなくてはならない……。そう感じるようになったんです。そしてそれは「採用した人はひとりもクビにしない」と腹を括った瞬間でもありました。
その頃の私は、20代の後半。大学の同級生が活躍をはじめる時期でした。結婚式に参加しては、友人の活躍している華々しい近況を聞いて、「自分はいったい何をやっているんだ」と……。このままじゃダメだと危機感も覚えました。
今のスタイルでいくら稼いでいても、それはどこまでいっても“家業”。ちゃんと“企業”としてメディア運営をすることを考えはじめました。また、WEB広告業界に蔓延していた「いい加減な広告運用」に義憤を覚えはじめたのもそのころです。なんせ、私たちは当時からすでに“成果報酬型”でやっていましたから。
はじめてメンバーを叱ったことが、組織としての転換期
「しっかり事業を拡大していこう」。そう決意してからは、メンバーが増えたこともあり、同じ赤羽の中ではありますが、マンションから小さなビルに引っ越すことにしました。2010年のことだったので、創業から4年目になります。
そもそも、赤羽という変わったロケーションに事務所を構えた理由をよく聞かれます。赤羽というのは埼玉の人が都内へ出るのに必ず通る駅です。大宮で塾の講師をしていた頃の教え子をインターンとして集めるにあたり、赤羽はちょうど良かった。思惑通り、彼らの友達・後輩などがインターンとしてどんどん集まり、大活躍してくれました。
採用の中心は正社員よりも学生でした。思いのほか採用はうまくいったため、さらにオフィス拡大をと、赤羽新オフィスから2年経たず2012年2月に上野へ移転。その後は一気に業績が伸びた時期でもあり、2011年6月期(第5期)の売上1.2億円に対し、2012年6月期は5.2億円、2013年6月期には10.6億円と、爆発的な成長期となりました。
ところが、実力以上に売上が大きくなってしまうと、組織がそれを支えきれなくなるタイミングがやってきます。事実、2013年〜2014年は問題が多数吹き上がってその火消しに追われ、一度跳ね上がった業績もぐっと下がってしまっています。
そこから組織力を強化するための採用活動がスタート。採用に知見のある方に社外取締役として入っていただき、自分たちの強みや他社との違いについて考えたり、整えなければならない会社の制度やルールを見直したり……。会社のビジョンや目指す方向などが徐々に見えてきたのは、ようやくこの頃です。
当初からなんとなく感覚で一緒に働く人を選んできましたが、「何をやるかより、誰とやるか」が大事。それを改めて認識させられました。
一方で、当時はまだ少人数ではあったものの、組織としてうまくいっていたかというと、そうではありませんでした。メンバーに辞められるのが怖くて、問題が起きても叱ることができなかったこともあります。
そんな中、私が休みを取って旅行に行ったときのこと。毎日収集していた売上の数字がガクンと落ち込み、危険な水域に達していることに旅行先で気づきました。しかしメンバーはそのことに気づいているのかいないのか、誰が慌てるでもなく淡々と通常のやり取りを続けている……。
私はメンバーの当事者意識の低さに愕然とし、旅先から帰ったその足で当時のマネージャーを全員呼び出し、はじめて思いっきり叱りました。
メンバーを叱り、自分の想いをぶつけるーー。このことがきっかけで、自分も変わらなければいけないと強く思いました。メンバーの顔色を伺って、自分の大切にしていることを伝えないのはとてもカッコ悪いことだと。
彼らは私の叱責の前から一生懸命働いてくれていたことに間違いはありません。私の情報開示が当時かなり甘く、また彼らと向き合い切れていなかったため、会社全体のことにどこまで目を向け手を出していいのかわからなかったのだと思います。
その日を境に、メンバーの意識から「世一の仕事を手伝う」という気持ちは消え、「この会社を自分たちで盛り上げる」という力強い想いが作られていった気がします。ちなみに、叱ったメンバーのひとりは、今では当社のナンバー2として活躍してくれています。
事業面でもコト以上に、ヒトに向かえーー「ヒト・ファースト」を掲げる真意
高校時代に部活を引退した際、部活以上に熱くなれることは、もう大人になったらないんじゃないかと思っていました。しかし会社が100人を超えた今、私はあの時よりも“アツイ”想いを持っています。
たとえば、目標を達成したメンバーと一緒に達成会で喜びあったりとか、未達成だったチームがリベンジのために真剣に勉強や仕事をしている姿を見ると、グッとくるものがあります。自分が作った“会社”という箱のなかで、メンバーが一生懸命に頑張る姿を見る喜びは、自分ひとりでは決して味わえないことです。
その喜びをもっと大きなものにしていきたい。そのために事業の方向性や、企業理念「ヒト・ファースト」、そしてミッション「ヒト・オリエンテッドなデジタルマーケティングでみんなの明日が変わるキッカケを生み出し続ける」を2015年から9ヶ月以上かけて固めていきました。
当社の主な収益源は広告。広告やマーケティングはデータも大事ですが、相手にしているのは、画面の向こう側にいるヒトです。だからこそ、データだけでなく、必ずターゲットユーザーの生の声を直接聞いて、本当の意味でユーザーのためになる、ユーザーにきちんと寄り添えるメディア運営を行っています。
当たり前のようで実は、この部分に注力している企業は少ない。今後、AIなどがどんどん発達していくと言われていますが、私たちはこれまで以上にヒトにしか出来ないコトにパワーを注いでいかなければなりません。「ヒトに対して逃げずに真剣に向き合う」。それは挫けそうなメンバーがいたら、根気よく向き合うということでもあります。事業面でも組織面でも、「ヒト」に本当の意味で向き合う姿勢がとにかく私たちの強みの源泉です。
2016年現在、「コンテンツマーケティング」が全盛となっていますが、キュービックではこの分野で競争力の高い独自のテクノロジーを確立することができました。大量の記事を投稿して薄いPVを獲得するだけのメディアではなく、新規の顧客獲得にダイレクトにつながるメディアやコンテンツの企画・制作能力に自信を深めています。
ただ、その優位性もいつまでも続くとは限らない。そこで今後は、3つの成長段階で会社を成長させていくことを考えています。まずは、既存のメディア事業の縦軸(1メディアあたりの新規顧客獲得件数および効率性)と横軸(メディアおよびコンテンツの数)を伸ばすこと。それにより、すべてのインターネットユーザーがどこかで必ずキュービックを通過してくれるよう、WEB上の「面積」を広げていきます。
次に、有料課金ができるようなサービスを開発すること。そして3段階目として、メディアを横断して、行動履歴や属性などそこで得られたデータを活用したビジネスを開発すること。これらの事業フェーズに次々移っていくとなると、キュービックの成長曲線は、決して“滑らか”なものではなくなると思います。
それでも変わらず大切にしていきたいのは「ヒト・ファースト」。キュービックは、本当にメンバーの仲が良く、事業とともに組織としても成長できる会社です。先ほど3つの成長段階というお話をしましたが、こうした「戦略」そのものには大した意味はないと思っています。大事なのは「実行力」であり、それに耐えうる「組織力」です。
一人ひとりが共に働く仲間と真摯に向き合う姿勢と、ユーザー・クライアントといった漠然としたまとまりではなく「ひとりのヒト」にコンテンツや広告を届けようというマインドセット。事業・組織の両面でこの「ヒト・ファースト」を追求し続け、社会に誇れる企業を作り上げていきたい。それが改めて伝えたい、私の想いです。
「※本記事は〜年〜月時点のものです。キュービックのCIおよびコーポレートロゴは2020年9月に変更されています。」
引用元:PR Table様取材記事https://www.pr-table.com/cuebic/stories/333