デザイナーとして働いていくためには、どんなスキルをどのように育てていけばよいのでしょう。そのヒントを探るべく、それぞれ特徴的なデザインを実践するメンバーに、現在の活動を支えるスキルを身につけるに至った背景を聞きました。今回お話しするのは、『なるほどデザイン』の著者でクリエイティブディレクターの筒井美希です。
/登場人物:株式会社コンセント|クリエイティブディレクター 筒井美希
エディトリアル、グラフィック、ウェブ、コンテンツ、映像制作など、媒体を問わず幅広いジャンルの「伝わるデザイン」を手がける。著書に、『なるほどデザイン〈目で見て楽しむ新しいデザインの本。〉』(MdN)がある。講演・ワークショップの実績多数。
「戦略」と「実行」をつなぐデザイナーとして
—はじめに、現在の仕事について聞かせてください。
初回の産育休から復職したタイミングで、ユニファさんのプロジェクトを担当しました。保育施設向けICTサービスのプラットフォーム「ルクミー」のマーケティング戦略から実行まで伴走するというもの。テーマが「保育」だったので、個人的なライフステージとの親和性も感じつつ、クリエイティブディレクターとして携わることになったんです。
プロジェクトの前半は、クライアントと一緒にワークショップを実施して施策の方針を決めていき、後半は決定した方針に合わせてフリーペーパーやDM、ウェブサイトを制作していくという流れでした。私はプロジェクト全体の設計やリードをしつつ、アートディレクター(AD)と一緒に各施策を具体的に実行していく役割を担いました。戦略と実行をつなげる動きをしていたという意味で、すごく今の私らしい仕事でした。
仕事を通じて培ってきた「5つの力」
—これまでさまざまなプロジェクトに参画してきたと思いますが、現在の仕事のスタイルに至るまで、どのようなことを意識してきましたか。
いわゆるハードスキルと呼ばれるような、基礎的な知識や技術、ツールや用語といったものはプロジェクトごとに大きく異なりますが、横断すればするほど「何をやるときにも共通して使っている力」があるなとも感じます。私の場合、それは「観察する力」「言葉にする力」「核を見極める力」「手段から考える力」「抽象化する力」の5つ。最初から自覚的だったわけではなく、いろいろな仕事に携わるうちにその重要性に気づき、だんだん磨かれていったというイメージです。
① 観察する力
「観察する力」との出会いは、私が武蔵野美術大学に入った初日まで遡ります。その日に行われたオリエンテーションで、教授から「5円玉や10円玉を、見ないで描くことができるか」と問われたんです。当然、描けません。自分ではちゃんと見ていると思っていても、本当は全然見ていないものなんですよね。教授は「君たちはプロのデザイナーを目指すのだから、これからはディテールまで観察する力を大切にしなければいけない」ということをおっしゃっていて。
その後、社会人になってエディトリアルデザインの現場で仕事をするようになってからも、先輩たちから同じことをよく言われました。良いデザインをたくさん見たり、「いいな」と思った誌面の文字サイズがどのくらいの大きさなのかを級数表を当てて考えたり、デザイン誌で「あの事務所ではこういう書体をこんな風に使っているんだ」という制作事例を調べたり。
この姿勢は、アウトプットする対象が変わっても基本的に同じです。ウェブサイトをつくるとき、映像をつくるとき、イベントを企画するとき。新しいことを始めるときはいつも、「自分では見えているつもりで、こんなにも見えていなかったんだなあ」と無力感を覚えながら、細部までじっくり観察するようにしています。
イメージとしては、ひとつの対象物からこれまで見出せる特徴が10だったとしたら、それを100まで増やそうとする感じ。目のセンサーの感度を上げて、細かく見るようにする。そうやって解像度を高めていくことで、他の分野の仕事にも通じる力を身につけられたように思います。
一方で、長くデザインの仕事を続ける中で、ただやみくもに解像度が高ければ良いってもんじゃないんだな、という逆の考えも持つようになりました。確かにつくり手としてはディテールの違いに気づける解像度の高い目は必要なのですが、そのデザインを受け取る相手にまで同じ精度を求める必要はない。
例えばある企業やサービスのイメージを頭に浮かべたとき、そこにはごくごくシンプルな特徴しか残らないと思うんですよね。イメージカラーは緑だなとか、ロゴにリンゴマークが使われているなとか、広告でよく見るタレントの顔が浮かぶなとか。つくり手としては100の情報を込めたとしても、相手の記憶は、そのうち最も象徴的な1しか残らないかもしれない。じゃあその1は何を残すべきだろうか? を逆算して考える、みたいな判断が必要だということは、実務の中で学んだことです。
意識的に見ることでつくり手として精度を高める情報を集めつつも、無意識であっても記憶に残る特徴を設計していくという、解像度の調整ができる状態がよいのかな、と今は考えています。
② 言葉にする力
新人デザイナーだった頃、私は雑誌『Tarzan』の編集部に常駐していました。当時ADを担当していたのは荒金大典さん(現Cumu代表)。「デザイナーはADに自分が考えたデザインの意図をしっかり伝えるべきだ」という方で、デザインチェックを行うときも最初からADとしての意見を述べることはせず、デザイナーから説明されるまで待つ、という姿勢でした。
週に何回もADを相手にデザインプレゼンできるような環境だったおかげで、言葉にする力がすごく鍛えられたんですね。その中で、デザインの意図を言語化することは、相手に伝えるためだけでなく、デザインプロセスの検証にも役立つことに気づきました。デザインの意図を伝えることだけがゴールではないんです。
例えば、「ABCのうちAが大事だと思ったので、Aを中心にしたデザインをしました」と説明した場合、Aを選んだことは間違っていなくても、それが相手に伝わる表現に落とし込めていないという問題があるかもしれないですよね。でも、「ABCの中で、AではなくてBを選ぶべきだった」という話だったら、そもそも考え方がズレていたという話になる。
前者は表現力の問題、後者は方向性の問題であって、このふたつにはけっこう大きな違いがあります。デザインの意図や工程を言語化して説明して、その上でレビューを受けていれば、どこに問題があったのかがわかりやすくなるというわけです。
言葉にする力の重要性をさらに感じたのは、幅広い業界や業種の方々と仕事をするようになってからです。出版社の編集者の方とお話をしているときは、業界が近いということもあって共通言語や説明しなくても通じる価値観がたくさんありました。でも、お話しするのが大学職員の方だった場合、言葉の意味から説明する必要があったり、デザインの良し悪しを判断するときの基準も違ったりします。そういう場面が多くなって、「このクライアントだったら、どういう話をどういう言葉で伝えたら納得してもらいやすいんだろうか」ということをゼロから考えるようになりました。
③ 核を見極める力
「核を見極める」というのは、「優先順位をつける」「恐れずにいらないものを捨てる」ということです。実は、これも新人時代に原体験があります。
『Tarzan』でトレーニングギア特集の見開きページを任されたときのことです。通常はADと方向性を相談してからデザインに着手するのですが、そのときはたまたま不在。時間がもったいないので「先にできることをしてしまおう」と、編集者さんから渡された構成ラフや写真素材をもとにデザインを進めました。
そろそろレビューを受けても良いレベルにはなった! と思えた頃、ADが席に戻ってきました。さっそくデザインを見せ、その意図を説明しようとしたところ、ADが説明をさえぎりました。
「構成ラフ通りだね。これだとおもしろくないよね。このほうがいいんじゃない?」
私がつくっていたのは、カタログ的に10個のアイテムを均等に並べた、選んでもらうようなレイアウト。それに対して、ADがコピー用紙にサインペンでサラサラと描いたのは、シンボリックなアイテムを大きく見せ、ページを開いたときにパッと目に入ってくるような魅せるレイアウト。ほぼやり直しだけど、こっちのほうが絶対いい。
新人だった自分にとっては、プロの編集者が作った構成案はそのままデザインの設計図のように見えていたんですよね。でも、表面をきれいに整えるだけでなく、必要があれば骨格にも踏み込む必要があるということを雑誌の現場で学びました。目の前にある伝えるべき内容を右から左に整えて置くのではなく、「全体の中のコアになるところを見極め」「必要ならばバッサリ落とす」勇気も大事なんだと実感しました。
とはいえ、当事者になればなるほど難しいんですよね。実際に自分自身で書籍をつくっているときには、一つひとつが手を動かしてつくったアウトプットなので、バッサリ捨てることができずに苦戦しました。だからこそデザイナーは良い意味で他人事感というか、外野だからこそできる「見極め力」を発揮できるといいんじゃないかと思っています。
これって必ずしもコンテンツのデザインに限った話ではないはずで。組織のビジョンをかたちづくるとき、新しいサービスを考えるとき、ミニマムにプロダクトをつくってテストしたいとき、ロゴやアイコンなどのシンボリックな造形をつくりたいとき。プロジェクトの中には必ず「核を見極め、他は勇気をもって捨てる」瞬間がある。伝えたいメッセージが絞り込まれていればいるほど、強い表現になるというのは、普遍的な原則のように思えます。
④ 手段から考える力
入社3年目くらいの頃、初めて自分ひとりでブックデザインを担当する機会に恵まれました。当時人気だった、イラスト素材が多数収録されたDVD付きの素材集です。
最初の企画説明の際に編集者さんから言われたのは、「カットイラストをそのまま配置するだけで簡単なチラシやお知らせがつくれるような、誰でも使えるイラスト集にしたい」ということ。台割を確認すると、イラストが並んでいるページが続く構成でした。そのとき「この内容だけで『この本を使って何かをつくってみよう』という気持ちになるだろうか?」という疑問が浮かんだんです。
例えるならば、食材だけが並んでいる状態。「素材を見るだけでそれを活用した作品づくりまでイメージできるのは、つくり慣れた人だけなんじゃないだろうか」「レシピや実際の料理のイメージがあって初めて、自分もつくってみたいというワクワクする気持ちが生まれるのではないか」と考えていきました。
そこで、イラスト集だけでなく、作品ギャラリーのようなページを提案し、追加することになりました。実際に収録素材を使ってたくさんの作品をつくり、小物も自前で調達してスタイリストの真似事のようなことをしながら写真撮影をしました。手探りではありましたが、実際読者からの反応は良く、そこから継続してブックデザインの仕事に携わる機会を得ることができました。届けたい相手の姿をイメージし、いま計画している手段で良いのか? から立ち戻って考えることは意識的に続けています。
手段から考えることの重要性をさらに強く感じたのが、中部国際空港の空港サイン現状課題調査プロジェクトでした。開港当初に設置されたサイン、運用によって変更されたサイン、広告や展示物による案内などが共存した結果、利用者にとってわかりやすい案内になっていないという課題意識があり、それを改善するために現場調査を行ったというものです。
株式会社コンセント|事例紹介|中部国際空港 空港サイン現状課題調査(閲覧日:2023/12/8)
空港内で利用者の行動観察を行っていたところ、ある看板の存在が気になりました。チェックインカウンターの近くに立てられたその看板には、複数の行き先(都市)が案内されていたのですが、表現がいまいちわかりにくく、どのカウンターに行けばよいのか混乱を招くデザインになっていたのです。
この状況をどうやって解決したらよいでしょうか? 例えば、矢印や図の表現を見直すことで、もっとわかりやすい看板にすることは可能でしょう。「人の列ができると見えづらくなる」という課題に対しては、もう少し高い位置に設置することで解決できそうです。でも、案内の看板をつくるということは、その看板の情報を整理し、デザインし、備品を管理し、掲示場所を考え、毎日移動させるといった、運用に関する多くの手間が必要になります。
いっそのこと「看板がいらない状態をつくる」ことはできないのでしょうか? この例でいえば、チェックインカウンターの割り当てを見直すことで、看板がなくても迷わずたどり着ける状態をつくり出せそうです。いま現在看板を使っているからといって、その手段を継続しなければいけない理由はないんです。
実はこれに似たようなことが、日々の生活や仕事の中にも隠れているんじゃないかと思うようになりました。たとえポスターをつくりたい、ウェブサイトをつくりたいという手段ありきでスタートしたプロジェクトであっても、その目的に立ち戻って考えるならば、別の手段が存在するかもしれない。自分がいま検討している思考の枠の外側についても、ひろげて考える姿勢を持ち続けたいと考えています。
⑤ 抽象化する力
ADのもとでデザインを担当していた頃、指摘を受けたことを繰り返さないように、メモを残していました。そうすると、だんだんとパターンが見えてくるようになるんです。
例えば「伝えたい内容が絞り込めていないと、どれだけレイアウトを工夫したところで良いデザインはつくれないんだな。お客さんとそこを決めるのを大事にしよう」とか、「情報量が多いページでも、色面をいれるだけで人の目が誘導されて、主役がはっきりするな。スポットライトみたいでおもしろいし、他にも応用できる場面がたくさんありそうだ」とか。
具体的な経験の集合体から抽象的な構造を自分なりに見つけてみる。私の場合はそれらに名前をつけて可視化するおもしろさに気づき、著書という形で世に出す機会にも恵まれました。外に出すか出さないかはさておき、自分の中に蓄えていくことは誰にとっても意味があります。抽象化した知見を、他のプロジェクトでも活かせるようになっていくからです。
これを続けたその先に、その人ならではの仕事のスタイルが生まれるのかもな、と感じた瞬間もありました。先ほども話に出た中部国際空港のプロジェクトでのことです。私は空港を見て回りながら、サインと人間との関係と、雑誌のデザインで実践していたことの共通項を感じていました。
雑誌のデザインには時系列が存在します。最初から全ての情報を隅から隅まで読んでもらう必要はなく、まず表紙や扉のタイトルでパッと認知され、続くリード文などで興味を引き付け、詳細なコンテンツの質量をもって満足を得るといった、人間とコンテンツの関係性を少しずつ深めていくような複数のステップが存在していました。
サインのデザインにおいても、離れたところから目にしただけで伝わる情報と、近づいていく過程で気づく情報、間近で読み込んだときに初めて理解される情報というグラデーションが存在していて、そこには人間とデザインされたモノの間に流れる時間経過が組み込まれています。その類似性がすごくおもしろいと感じたのです。
それ以上に興味深かったのが、同じプロジェクトに関わった他のメンバーが、それぞれの知見をもって類似性を見出していたという点です。
例えばウェブサイト開発においては、ウェブサイトの中で訪問者を「おもてなし」することと同じくらい、ウェブサイトに訪問者を「連れてくる」ためのアイデアが重要になります。これは空港内での快適な体験を提供するための施策と、空港利用者数を増やすための施策との関係とよく似ている、と指摘したメンバーがいました。
空港内で行動観察を担当していたサービスデザイナーは、1人を対象にしたミクロな行動観察だけでなく、大きな人流をつかむマクロな観察を行うことは、全体を「システム」と捉えるシステム思考と言える、と語っていました。
空港のサイン現状調査を行い、何らかの示唆を得るというプロジェクトには、こういう手順で進めれば成功するという解法が存在しません。だからこそそれぞれが自分なりの抽象化を武器として目の前の事象に向き合っていたのだと思います。
もちろん過去の経験の応用だけですべてに対応できるわけじゃないので、過去の成功体験がバイアスにならないように意識することも必要です。でも、全然違う領域の経験から考え方を転用することでオリジナリティのある物の見方につながるかもしれない。そういう意味で、抽象化して物事を捉え直すことは大切だと思います。
自分だけの力で、目の前の現象に立ち向かわない
—最後に、これらのスキルを通じて今後どのような目標に挑戦していきたいと考えていますか。将来のビジョンなどを教えてください。
これは目標というよりも、態度や姿勢といった方が近いかもしれませんが、デザインに関わる以上、どんな広さでどんな深さで仕事をしていようとも、「自分の範囲内だけで、目の前の現象を捉えようとしない」ということを大切にしていたいです。
以前は「越境」を行動の指針としていた時期がありましたが、デザインはそもそも「物事を良い方向に動かすために、何かを計画して実行すること」だと捉えるなら、そこには最初から境界なんてないんじゃないかと考えが変わってきています。ビジネスの現場で職業デザイナーとして実務上の境界はあったとしても、マインドとしては境界なんて最初から存在していなかったんじゃないか、って。
何かしら解決したい課題や生み出したい価値があるときに、まずは「世の中のすべてを自由自在に操れたとしたら、何があればいいのか」という視点で妄想してみる。実現のために必要ならば、誰かの力を借りにいく。その選択ができれば、自分の力を超えたデザインはいくらでもできると思うんです。こういうところは、エディトリアルデザイン出身者として身につけた編集者感覚なのかもしれません。
戦略から考えることも具体的なものをつくることも、どちらも好きなので、その両軸がちゃんとつながるようなデザインをしていきたいと思っています。でもこれが本当に難しくて。ものづくり、ストーリー、世界観を通じて人の心を動かしたいというデザイナーを志した時の気持ちを大切にしながら、今後も試行錯誤を続けていきたいです。
/ 筒井美希のデザイン力の育て方。
観察する力
言葉にする力
核を見極める力
手段から考える力
抽象化する力
インタビュー/柴崎卓郎 butterflytools
写真/牧野智晃 〔4×5〕