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【代表インタビュー】医師で難病患者の創業者が描く未来 "誰も取り残さない医療を目指して"

Mediiは2023年2月に設立4年目を迎えます。Mediiが目指すのは、難病や希少疾患などを中心に、限られた専門医の知見や経験を最大化する新しい医療の仕組みをつくり、専門医が限られたどんな地域に住んでいても、現場の先生を支えてより良い医療を全ての人が受けられる世界を実現すること。

なぜMediiがこの世界を目指しているのか。

今回はMedii代表取締役医師 山田裕揮さんに、Medii創業の原点やこれからの展望を聞いてみました。


代表取締役医師 山田裕揮(やまだ ひろき)
1989年生まれ。和歌山県和歌山市出身。2014年和歌山県立医科大学医学部卒業後、内科領域を中心とした研鑽のため堺市立総合医療センターで研修。膠原病領域の専門性を身に付けるため聖路加国際病院、慶應義塾大学病院で勤務し、リウマチ膠原病専門医となる。慶應義塾大学医学部医学研究科を卒業し、医学博士号取得。2020年2月Mediiを創業。日本リウマチ学会専門医・指導医として臨床でも活動中。

医療の仕組みを変えることでより多くの患者を救いたい

ー山田さんはMediiの代表であり、医師でもありますよね。医師になりたいと思ったのはいつですか?

医療へ関心を持つきっかけになったのは、小学校6年生の時に経験した同居していた曽祖母の死でした。私は母子家庭で祖父母も小さな酒屋で商売をしていたため、母親のように毎日世話をしてくれていたのが曽祖母だったので、亡くなったときのショックが非常に大きく、日々弱くなっていく中で何もできなかった自分の無力さを感じました。

中学校に入学してから、今度は自分が原因不明の体調不良に悩まされ、和歌山県内にあるさまざまな病院をめぐりました。さまざまな検査をしても原因が分からず入退院を4回繰り返しました。結局、厚労省指定難病だと診断されるまでに9年かかりました。

普段の健康時の生活が0として、入院するとマイナス1000になるんです。それまで当たり前だった生活が当たり前ではなくなって、健康のありがたさを心から感じました。自分の大切な人が同じようなことになった時に、マイナスな状態から引き上げられる力を持っていたら、それはとても大きな力であり、医療の専門的知見を持つことの素晴らしさを知りました。

ー大切なご家族の死別と山田さんご自身が身を持って病気の辛さを体感したことが医師を志した原点だったのですね。

ただ私は実は、中学生から高校生の間は、研究者を目指していたんです。小学生の時に叔父が大学で研究していた量子力学の本を読み漁って興味を持ち、いつかノーベル賞をとることが夢でした。ひたすら必要な知識を得るために先駆けて大学受験くらいの内容や量子力学と周辺研究分野の勉強をしたり、わからないことが多かったのでその分野の教授に連絡して大学の研究室に通ったりしていたんです。

ー大学の研究室に行く中高生なんて聞いたことないです。そこまで熱心に突き進んでいた研究者への道から医師に切り替えるまでに何があったのでしょうか。

高校生の時に勉強しまくっている私の姿を見ていた母親から、将来何を目指しているか聞かれたときに研究者になりたいと話したんです。その時に「あんたそれ食べていくの苦労するし、成功する人めっちゃ一握りやで」と言われて・・・(笑)。その時、母子家庭で支えてくれる母を身近に感じるなかでいつか父親としてもしっかり家庭を支えていける人間になりたいとも同時に思っていたので、現実的な視点でも将来の職を模索するようになりました。

医療で困った経験、研究職への憧れ、これまで自分が持っていたものを結びつけた時に「ノーベル賞には医学生理学賞もあるやないか!」と考えました。アカデミックの観点でも医学という領域はまだまだわかっていないことが多く学問としても面白い。かつ実際に働くとなった時に人と多く関わる仕事の方が性に合っていると考え、理工学部から医学部に進路を変更しました。

ー「医療」「研究」「現実」の3つの理由が繋がったのは医師だったのですね。その後専門医の資格と医学博士号も取得したにも関わらず、起業という道を選ぶまでどのような経緯があったのですか。

人生の中で、死ぬまでに一体どれほど社会にインパクトを残せるか、ということが自分の中の命題で、その手段としてわかりやすかったのがノーベル賞だったと子供の頃を振り返って今思います。研究者として貢献できる領域はどうしても専門的なため社会全体で観た時に限定的になりがちで、ややその観点で閉塞感を感じていました。

また、自分も患者として治療のために遠方の病院に通院を続ける中で「自分のような難病患者さんは人口の約5%を占めるとされていて全国に大勢いる。診断や治療に複数の医療機関を受診したり、時間や経済的な負担をかけさせない方法はないだろうか」と考えはじめるようになりました。

専門医の資格をとった後、和歌山で直接患者さんの力になろうと思って日々診療していましたが、私が一人で診ることができる患者さんの数や専門領域はやはり限られています。社会全体で観た時に、全国のより多くの患者さんの課題を解決するためには医療の仕組みを変えなくてはいけないという結論に辿り着きました。

ー医師の立場で患者さんを診るだけでなく、仕組みを作ることでより多くの患者さんの役に立ちたいと考えたんですね。

この結論に至ってからは、どのような手段が良いのかを徹底的に調べて考えました。医系技官として厚生労働省に行く、NPOや社団法人を設立するという方法もありましたが、前者で言うとやはり国があらかじめ予定した以外のことはできないし、ITや革新的な技術を用いた仕組みづくりが重要なのに、構造上それが難しい。後者もイノベーションの事業規模を鑑みて持続可能な仕組みを作ること、そのスピード感に限界がある。最終的に自分の中で残ったのは起業することでした。

そして、今世界で社会を大きく動かして便利に豊かにしているのは、Amazon然り、Google然り、Facebook然り、あらゆるインフラを作っているスタートアップです。日本中の、そして世界中の難病患者のこの構造上の課題を解決するための手段として、スタートアップとしての起業を選択しました。

本質を追求したサービスで医療の未来を創っていく

ーMediiの主な事業である「E-コンサル」はどのような経緯でできたのですか?

日本は世界的にみても医師が不足していて、都市部に集中している偏在傾向があります。さらに、専門性の高い専門領域だとより顕著になります。しかし、専門医の不足や偏在を解消するのはなかなか難しい問題です。8000以上ある病院に今数百人しかいない専門医の絶対数を増やして全国に万遍なくいる状態にするのは現実的ではありません。

また、難病や専門性の高い領域に関しては10年前とは比較にならないほど新しい診断治療方針が出てきており、医師が全ての疾患、専門領域に精通することは非現実的になってきています。

限られた専門医の知見や経験を必要としている医療現場に届ける最適な方法はないかと模索し開発したのがE-コンサルです。

ー患者さんだけではなく医師にも負担が大きい医療現場の実態があるんですね。それまで医師の方は、診断や治療で悩んだとき、どのように対応していたのでしょうか?

今までは知り合いに詳しい専門医がたまたまいれば、属人的にメールや電話等で相談していました。でも当然全ての医師が全ての領域の専門医に無償で相談できる関係性を持っているはずはなく、それには限界があったんです。

私たちのE-コンサルでは、各専門領域の信頼できる専門医にご協力をいただいていて、セキュリティの高いシステムで、主治医と専門医をオンラインで繋ぎます。専門性が高い免疫難病や希少疾患を中心とした解決困難な症例に対して、主治医と専門医をマッチングさせて、専門医の知見を届けるという医師向けの無料サービスです。

ーE-コンサルを立ち上げてから3年経ちましたが、その間の変化を教えてください。

大きく3点あります。
1点目は、サービス観点で仮説検証と社会実装ができてきたという点です。創業当時は仮説の検証が必要なものが多くありましたが、医師同士の質問から回答マッチングが全専門領域でできるようになって、E-コンサルを使ってくれた先生が「これがないと困る!」というお声を多数いただいて、利用医師数がどんどん伸びている点です。そして持続可能な仕組みにするための自治体や製薬企業などとの提携が実現できてきており、現場の先生には無料でサービスを提供していける体制が整ってきていることです。

2点目は、事業戦略に基づいた組織作りと、それぞれの専門性を持つ素晴らしいリーダーを中心とするフラットで機能的なチームができていているという点です。全ては”ひと”で変わると思っていて、Mediiが目指す世界を実現できたときに心から喜びを分かち合えるVisionの共有と、Mediiのカルチャーを体現するValueを発揮してくれている仲間がいることが、何よりも組織にとって大切です。一人ひとりの仲間のストーリーとその想いが綴られたwantedlyの記事も見てもらえたら嬉しいです。

3点目は、私自身がまだまだ未熟ながら経営者として多くの失敗を通じて成長させていただけた点です。振り返って1、2点目も最初は上手くいかなかったのですが、原因として私自身が経営者として力不足だったことが全てでした。誰も成し遂げたことがないことだからこそ最初からできないことばかりなのですが、そこに一喜一憂せずその失敗の原因をできるだけ明確にしてカスタマーの医師であったりクライアント企業、そしてチームの仲間という”ひと”に真摯に向き合い対策するという地道な努力を今日まで続けてこれた延長線上に今があります。そしてそれはこれからも。自分が組織の責任者として、経営者として未来を見据えて成長できるきっかけを数多くいただけていることが本当にありがたく、この考え方ができるようになってから大きく変わった気がします。

ーそれでは最後に今後のMediiの展望を教えてください。

今あらゆる専門領域が細分化し複雑に進化していて、全ての領域で最新の知見を目の前の患者さんに提供し続けることの負担感が私たち現場医師には年々増しています。特に、難病においては患者数が限られるため十分な経験が積めない構造的限界がある。そんな難病患者の多くは子供や私を含めた働き盛りの20-50代が大多数を占めていて、あなた自身や大切な家族友人が急に明日、なるかもしれない。

私たちが目指す世界は、限界を迎えつつある希少難病診療のこの構造的問題を、信頼できる専門医に相談し、解決に導いた専門医もきちんと評価されることを通じて、限界突破していきたい。これらのデータが集まればそれを技術的に活かした次の未来設計もある。そしてその先に、一人ひとりにはあまり日が当たらなかった難病患者さんがより早期に診断され、最新最適な治療を受けられることでその”ひと”の日常を笑顔でいっぱいにしたい。いつかの僕自身が経験した辛く、苦しい想いを、僕でもう最後にすることができるように。

Mediiはラテン語で”本質”という意味があります。今、このMediiの目指す本質的な医療の世界の実現へはまだまだ道半ばですが、成長のための具体的な道筋が見えつつあることから急速に事業を拡大させていくフェーズに入っています。だからこそまだ私たちが出会えていないたくさんの仲間が必要で、この世界観を一緒に実現したいと共感いただけるのであればそんなあなたにこそ、Mediiの仲間になっていただきたいと思っています。

この事業を通じ、患者さんが笑顔でいっぱいになれる未来をより近くに感じて、Mediiに関わっていただくすべての”ひと”と一緒に、共に心から笑い合えると私は信じています。

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