いい作品が生まれるとき
たまたま、あるオーダーメイドの作品で2019年くらいの作品をさがしていた。
あ、この頃は伸び伸びと線が生きている絵があるな、と自分でも再発見することがある。
絵を描いていく行為は、アイデア出しから始まり、技術的なものをどう取り入れて行くか、完成までどのくらい納期があるか、ないか、など常に頭に入れながら気合いを入れて描いていく。
気合いが入りすぎて130パーセントもダメで作品が没になることもある。逆に気合いが抜けすぎて、70パーセントではいい作品にならない。
20世紀を代表する画家、マティスやピカソの作品も全てが傑作ではない。美術館で我々が目にする作品や、一流オークションで滅多に出てこない名品は、彼らのマスターピース、所謂、傑作に入る部類で、ほとんどはその域にならない作品も多い。
では、どのようにすれば傑作は描けるのか?しかも一点でなく。
この問いは難しく難解で、バリエーションが多岐に渡る作家と、同じような絵を何枚も描く作家で結論が異なる。
バリエーションが多岐過ぎると作風が安定しなくなる可能性がある一方、作品の楽しみが増えるので、高い山を築ける可能性はある。こちらは少数派。
ほとんどの作家は、同じモチーフを多少変えて描く。こちらは安定感が出てくる一方で、最高のマスターピースを目指すのは難しいこともある。つまり、オールラウンドプレーヤーの強い、マティス、ピカソタイプにはならない可能性がある。
つまり、自分はどのレベルのアーティストを目指すか、または、どの程度の実力が現在あり、どういうタイプに向くかを考えないと、結論は見えてこない。
ここで、自分自身を振り返ってみると、やはり色々作品の良し悪しにもばらつきがある。アーティストは、40歳から60歳が一番伸びるとかつていわれていた。日本では、30で美大出身者や、若い頃から制作していた方がほとんどやめてしまう。さらに熟成させて、40まで生き残り、どんどん洗練させていく作家が一流になる。安井曽太郎などは典型的だ。
アーティストも経済的に豊かすぎてもやる気が高まらないし、お金がなさすぎても活動が継続できない。
自分自身はなかなか大変重要な時期に来ていると思っている。どこまで生きるか、わからない不透明な時代ではあるが、傑作の作品の打率を上げて、ホームランも狙いたい。