株式会社アンチパターン 取締役 信田健児
福岡大学工学部卒業後、株式会社日立システムアンドサービス(現日立ソリューションズ)に新卒入社。
インフラエンジニアとして活躍後、28歳のときアクセンチュア株式会社へ転職。
ITコンサルとして国内大手アパレル企業、国内大手半導体企業のITを活用したグローバル進出を支援。
2013年アクセンチュア初となるdigital推進組織(DX)へ参画し、国内大手企業を中心にDX推進の一翼を担う。
その後、開発組織の立ち上げというミッションのもと株式会社イノベーションへ転身。
執行役員、取締役という立場からエンジニア組織を小笹と共に引率。2019年7月株式会社アンチパターンの創業から
携わり、現在は取締役兼エンジニアコミュニティ事業責任者として活動中。
初めてIT技術に触れた学生時代。当時のアルバイト経験がエンジニアリングの世界で生き続ける始まりだった
僕はエンジニアからキャリアをスタートしました。福岡の大学を卒業して、就職のタイミングで上京。新卒では、株式会社日立システムアンドサービス(現日立ソリューションズ)のインフラエンジニアとして、電車などの乗車ICカードのID管理システムの開発を約5年間ほど担当していました。
_信田さんは新卒からエンジニア志望だったのですね。きっかけを教えてください。
はい、僕は学生時代にロードサービスのコールセンターでアルバイトをしていました。主にコールセンターに入ってくる電話のお客様対応、ロードサービスを受けたいお客様の現場へ、救助作業隊のアサインなどを主に担当していました。
ロードサービスを受けたいお客様から連絡が入ったとき、僕の目の前には福岡、いや、九州中の故障対象者のデータが一極集中している状態なんですよね。その状態に僕はただただ驚いていましたね。だって、システムの費用は数億円ですよ。高すぎませんか?(笑)
ただ、システム導入によりコールセンター業務の集約をすることで、業務が効率化され、数億円規模のインパクトを与えられるという事がとても印象的で、僕はその頃からシステム開発に興味を持ちました。
_なるほど。学生時代のアルバイト経験がエンジニアとしてのキャリアを考える原体験になったのですね。
そうですね。僕は福岡県内でエンジニアになろうと思い、福岡県内のIT企業をリスト化して、就職活動をスタートしました。当時は福岡から離れる気持ちは一切なかったので、福岡県内で探していました。
ただ、仕事は東京の方が面白いだろうなと気づいていたので、地方でも東京と同じくらいの環境=情報量で仕事がしたいという気持ちが強かったです。なので、全国拠点のある、いわゆる大企業を中心に受けていました。
あとは、まだ見ぬ未来に自分がどこで、どうなるかなんて全く予想もできないし、将来の選択肢や可能性を広げるためにも全国展開をしている企業にはこだわっていましたね。
『すべてのビジネスをデジタル化する』クライアントの経営者に寄り添い、事業継続をテクノロジーとコンサルティングの側面からサポート
初めての転職先となったアクセンチュアは『エンジニアリング×コンサルティング』というIT技術を活用したファームです。企業の核となる「経営」の課題を定義し、どうすれば課題が解決されるかを、テクノロジーの視点から解決に導くITコンサルタントとして、プロジェクトの組成〜実行までを支援していました。
最初は、大手企業の基幹系業務改革のプロジェクトを担当することが多かったですね。SIプロジェクトでインフラの要件定義から設計構築、その中でもディザスターリカバリーのプロジェクトは特にチャレンジングで面白かったです。
また、アクセンチュアの場合は個人プレーではなく、チームでプロジェクトを担当します。課題解決にとことんこだわり、思考することが好きな仲間が多かったので、20代の僕にとっては自己成長にも繋がり毎日が有意義でしたね。
_現代では、当たり前になりつつデジタルトランスフォーメーション(DX)について、当時のアクセンチュアの取り組みはどのようなものでしたか?
アクセンチュアでは、2013年にデジタルトランスフォーメーション(DX)推進を専門とする組織が立ち上がりました。僕は組織の立ち上がりから参画させていただき、大企業を中心に「企業のビジネス活動の中心にテクノロジーを活用してもらう」ことで新しい体験を顧客に届け、企業価値の向上を支援しました。
_7年前からデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進を支援していた信田さん。ITインフラの再興により企業へイノベーションを起こしていたのですね。
ITを正しく活用することで、業務効率が圧倒的に向上することは学生時代に、身を持って体験しているので、テクノロジーで企業活動を激変させていくことに僕自身は思いが強かったですね。
当時の具体的な案件は、まだ世の中にクラウドサービスが普及してない頃に、AWS(Amazon Web Services)を活用した、企業のインフラ刷新プロジェクトや、国内大手アパレル企業のグローバルEC構築、グローバル企業の製品情報Webサイトの刷新のプロジェクトなどに関わりましたね。
アクセンチュア時代の後半はマネージャーとして、プロジェクトマネジメントや要件定義の業務が多かったですね。その頃から、僕自身が実際に開発することは無くなりましたが、常にエンジニアリングとともに自分のキャリアや将来のやりたいことを考えていましたね。
そして、突然訪れた転機。上場企業の新たな『技術組織の立ち上げ』のために経営幹部候補として参画を果たす
お声掛けを頂戴した時のことは、今でも鮮明に覚えています。当時、おそらくこれは僕の今後の人生に大きな影響を与える出来事になるだろうと、確信していましたからね。
上場企業での執行役員、取締役の経験は、僕にとって大きな挑戦でした。上場企業といえども、当時のイノベーションは90名ほどだったので、ベンチャー企業とあまり変わらない雰囲気だったと思います。
僕は、経営幹部候補として参画しましたが、最初は小笹の部下としてスタート(笑)。僕が、エンジニア組織のグループマネージャーのような立ち位置で、小笹がエンジニア組織全体の責任者だったと思います。
その後、管理本部長=>執行役員=>取締役へと経営に近いところでなんでもやらせてもらいました。当時、小笹が引率していたエンジニア組織の拡大、会社の中心にエンジニア組織を据え置くことが主なミッションでした。そのための活動として、会社の理念の見直し、必要に応じて経営幹部の刷新、経営とエンジニア組織のブリッジ役として努めました。
真の『エンジニアファーストな世界』の実現のために、アンチパターンを創業。取締役として参画するその覚悟と責任とは
僕は、社会を変革に導く力の源泉であるITテクノロジー、そこに関わる『全てのソフトウェアエンジニアへの価値貢献』とは何か?ということを、小笹とともに考え続けてきました。
その結果、僕たちには新たなVisionが出てきました。また、それらを実現するための、独自ルールやカルチャーも新しく生まれ、新会社を設立しゼロから再出発することで、より実現が可能になるのではないか、と考えるようになり株式会社アンチパターンが生まれました。
_ソフトウェアエンジニアによる、ソフトウェアエンジニアのための会社ということでしょうか。
アンチパターンの社員は全員ソフトウェアエンジニアで構成されています。ソフトウェアエンジニアリングが好き、ソフトウェアエンジニアとして一生成長し続けたい人、ソフトウェアエンジニアとして生き続けたい人が集まっています。
メンバーの中には、40代のおじさんが(僕もですが。笑)、新しい技術へチャレンジしていたり、代表の小笹も経営とソフトウェアエンジニア、スクラムマスター として事業推進も兼務しています。
ソフトウェアエンジニアリングに対して、何歳になっても自己研鑽を厭わない仲間が多いです。そして僕たち経営も、周りの仲間も、その姿を応援し全力でサポートをする。
_『ソフトウェアエンジニア』はもはや企業の事業成長に欠かせない存在になっていますよね。
そうですね。だからこそソフトウェアエンジニアは一生成長であり、一生勉強だと僕は思います。システム開発の中から学びを得る、ソフトウェアエンジニアとしての人生を豊かにする場として、アンチパターンが存在すると考えています。
また、新しい挑戦には失敗はつきものです。会社名『アンチパターン』の語源にもなっているとおり、失敗は一切恐れることはないと、堂々と失敗をしていい、そこでの学びを未来に活かせば良いという想いがあります。
[参照記事]
社名の由来については、過去に代表小笹が執筆しています。
当たり前かもしれませんが、新しいことをやるときは大抵の場合、計画通りには行かないと思うので、僕は個人の挑戦の『成功確度をあげにいくこと』を支援したいと考えています。
そして、一番大事にしたいのは『僕自身も、社員ひとりひとりもWork as Playができているか?』を常に意識をして活動しています。
株式会社アンチパターンのVisionと、ソフトウェアエンジニア(個人)としてのVisionに、少しでも重なる部分がある方は、ぜひ一度お話させてください。
ソフトウェアエンジニアにとって良い社会を創る、ソフトウェアエンジニアが不足している日本を少しでも良くするために、一緒に思考し、ソフトウェアエンジニアとして成長し続けられる仲間を僕たちは求めています。
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