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早期退職制度を利用して55歳で転職を決意した原さん。行政の病院から民間の新予防・医療・介護・在宅生活といった分野・事業を展開する豊泉家グループへの転職です。
そんな経験が豊富な原さんですが、豊泉家では新しい挑戦の連続だったとのこと。思い切ったキャリアチェンジへの経緯や、「病院らしくない病院を目指す」ほうせんか病院への想いについてインタビューしました!
原 美穂 / 医療法人成和会 緩和ケア病棟副 看護部長
新卒で大学附属病院に就職して4年、吹田市民病院に転職し30年勤務。独立行政法人の副看護部長となる。55歳で早期退職制度を利用し、2021年4月にほうせんか病院へ転職。入社3年目の副看護部長。
早期退職制度を利用して、定年前に転職!
ーー看護師としては大ベテランですよね?なぜ転職を?
前職では30年も勤務していました。しかし定年が見えて、セカンドキャリアを見つけたいと思ったんですよね。60歳まで待ってからでは遅いな…って感じていました。「早期退職制度を利用して次のチャレンジをしよう!」そんな風に考えたんです。
実は、前職の尊敬する看護部長が先にほうせんか病院に転職されており「新しいチャレンジをしている面白い病院よ」と楽しそうにされていた。そこで思い切って転職に踏み切りました。2021年4月に入社して、現在3年目です。
ーー看護師としてのキャリアを教えてください
看護学校卒業後、大学附属病院に看護師として勤め始めました。新人時代は、産婦人科で助産業務の立ち合いや手術後の看護などを担当。その次は小児科です。ここでのキャリアが一番長く、子どもや母親と接する場面が多かったかもしれません。
ーー看護師として仕事へのこだわりはありますか?
もともと「人のために働きたい!」「そのために看護師になりたい!」と使命感に燃えていたわけじゃないんです。でも恩師から言われて大切にしている教えがあります。それが「看護はやってあげているのじゃないのよ。させていただいているのよ」という言葉です。
私たち看護師は看護というサービスを提供して、その対価として給料を頂いています。やってあげる立場ではなく、お仕事としてやらせてもらっているんです。患者様は、自分ができないから申し訳ないと看護師に気を遣われますが、それが私たちのお仕事につながっておりますので、変に上下関係のようなものを作りたくないんです。恩師の言葉のおかげで、看護師という仕事が負担にならず、面白いと思って仕事に取り組んでこれました。
ーー今までのキャリアの中で印象に残っている経験は?
緩和ケアや終末期が注目されていなかった時代のことです。ヘビースモーカーの患者様が、ほとんど動けない体なのにタバコを吸いたくてベッドサイドに降りようとしていたんです。私は先輩に相談したうえで、車いすに乗せて喫煙スペースにご案内しました。
その方はおいしそうにタバコを吸われて、次の日にお亡くなりになったんですよね。当時は「もしかしてタバコを吸わせたから亡くなったの…?」「この対応で本当に良かったの?」何が正解だったのか分からず、深く落ち込みました。
でも、正直にご家族に話したところ「対応してくれてありがとう」「幸せな最期を過ごせたと思う」と感謝されたんです。規則だからダメ!と言うのは簡単なことですよね。しかし患者様の気持ちをきちんと聞いて、ご要望をかなえてあげるって大切だなと思いました。
もうひとつは、ぜんそくのお子さんがいるお母さんとのエピソードです。子どものお世話をしながら、ケアについていろいろレクチャーやチェックをされる様子を見て「子どものお世話もしながら看護もなんて…これって大変じゃないの?」と感じました。
でも、当時は自分に子どもがいなかったものですから、本当のところはわからない。そこで先輩に「お母様の気持ちがわかってあげられないのはだめなのかな?」と相談。すると先輩から「分からないから聞こうとする、それで良いと思うよ」「大変な状態を理解してあげて、出来ていることを認められたらうれしいと思うよ」とアドバイスをもらえました。それ以降は、まずは理解するために努力し、自分の価値観ではなく、相手の立場に立って接することを心がけるようになりました。
ーー患者様に寄り添う大切さが伝わってくるエピソードですね!大切にしている価値観などはありますか?
特に小児科時代の経験からの学びですが、子どもは言葉で話さなくても敵か味方か直感的に感じていたように思います。子どもがなついている看護師は親も信頼してくれるんです。大人も一緒で、ありのままの自分を認め、話をしっかり聞いてくれる相手には心を開いてくれる。そのことに気づいてからは、患者様の話を丁寧に聞くことで信頼される存在になりたいなと思っています。
ほうせんか病院だからこそできる!転職して気づいた独自性や前職との違いとは
ーーほうせんか病院へ転職したきっかけを教えてください
先ほども申し上げた通り、先にほうせんか病院に転職されていた看護部長に誘われたのがきっかけです。新しい病院だからこそ、さまざまな可能性を感じたのもあります。
面接前にホームページをチェックしたら、病院内なのに宝塚の階段みたいで素敵!って思いました。実際に面接のために訪問したら、ロビーに入った途端いい香りがして、全然病院っぽくない。壁には素敵な絵が飾ってあり、絵を見ながら働くなんて癒されるなって。面接に来ただけでかなりプラスのイメージでした。
宝塚歌劇団を彷彿とさせる豊泉家の大階段
ーーほうせんか病院のどのようなところに魅力を感じたのでしょうか?
大きい組織じゃないので、スタッフ同士の顔が分かるのがいい。それに自由度の高さも魅力的です。お子さんの急な病気などで休まざるを得ない場合も、独身者も子育てを終えた人も嫌な顔をせずみんなでフォローしてくれます。お子さんがいらっしゃる人には非常に働きやすい職場ですよ。
ーー業務内容について教えてください
副看護部長として就任しましたが、2022年7月からは緩和ケア病棟のキャプテンも兼務しています。緩和ケアとは、主に終末期の患者様の苦痛を取りのぞき、患者様とご家族にとって、自分らしい生活を送れるようにするためのケアです。部門の管理業務やマネジメントが中心で、病床のコントロールや入院の調整なども。
実は、兼務した当初は目標数値に達成できず苦労しました。稼働率が60~70%だったのを、今年4月〜緩和ケアの先生2名を加えることで、常勤3名・非常勤1名となり目標達成。新体制では、稼働率80%を超えるまでになりました。
ーー実際に転職してみていかがでしたか?
行政系と民間系の違いもありましたが、それにしても自由度がかなり高いと思います。一般的に急性期の病院では、治療が終われば1ヶ月程度で退院・転院を余儀なくされるなんて話がありますよね。昔に比べて患者様側にも理解されていますが、追い出されるような感覚の方もいらっしゃると思います。
前職では、転院された方のその後を知ることができませんでした。しかし、緩和ケア病棟で働くことで、移ってこられた患者様のそれまでの葛藤や家族とのやり取りを知れるように。より気持ちに寄り添ったり想いを馳せたりできるようになったのが良かったと思います。
ーーほうせんか病院だからこそ出来たと思うエピソードなどあれば
病院のルールも大切ですが、終末期の患者様の希望に寄り添いたいと考えています。コロナ禍ではご家族しか面会ができませんでしたが、患者様にとってご家族と同様に大事な知人がいる場合も。そんな時は、希望や話をしっかりお伺いして、個別に対応をすることもあります。
病院の周りを歩きたいという要望があれば、車いすに酸素吸入できるよう体制を整えて散歩できるように調整する。嚥下できないけれど食事をしたいと思っている方には、しっかり噛んでいただいたあと吐き出していただく、自分でトイレに行きたい方には、3人がかりで補助をしてトイレの介助をしたりなど。その都度医師やチームフェローと何ができるのか、どうすればできるのかなどカンファレンスで話し合いながら、工夫をしています。
ピアノのレッスンをしてみたいと希望を出された50代の方には、体調のいいときに練習してもらい、最後はみんなに聞いてもらうなど、数えきれないほどエピソードがあります。
「病院らしくない病院を目指してもいいよね」に共感!「できない自分」だからこそ学び続けたい
ーー地域医療と連係を取りつつ、必要な時に入院しやすい体制づくりに取り組んでいるそうですね
大切にしているのは「必要な方が必要な時に応えられる病院になる」こと。例えば、在宅の患者様の具合が悪くなった場合にすぐに入院できるような体制づくりなど。訪問看護の関係者の方に病院を見学してもらい、頼っていただけるよう直接お話しさせていただく機会も設けています。こちらが何を大切にしているかを伝え、地域医療をになう医師や看護師と一体となれるよう頑張っています。
ーーほかにも「ワンハンドレッドホスピス」というキャッチフレーズをお聞きしましたが
今までの認識だと、寝たきりやガン末期の患者様であれば「一度入院したら死ぬまで退院できない」といったものでした。しかし、在宅で看護していて「ご家族が疲れてきた」「痛みが強くなってきた」「ご家族が旅行に行く」そんな時に気軽に利用できる病院があってもいいですよね。多様な方法で利用していただいて、長い付き合いができるといいなと思っています。長い付き合い=100日、いずれ100床の緩和ケアを目指しての2つの理由で「ワンハンドレッドホスピス」というキャッチーな言葉が出来上がったんです。
ーー遺族の方が集まる会も催しているとのことですが
たんぽぽの会といって2カ月に1回、ご遺族が集まって話す会があります。緩和ケア病棟で過ごされて亡くなった方のご遺族のケアも大事にしているためです。亡くなられた人を偲ぶことにより喪失感を癒す助けになればと思っています。
働いている私たちも患者様がお亡くなりになった時は落ち込んでしまいます。看護師自身も亡くなられた方を偲んで、癒されているんです。
ーー今後の目標などあれば!
看護部長の「病院らしくない病院を目指してもいいよね」に共感して、一緒に目指しています。宝塚のような室内、ロビーの香り、素敵な絵画からもわかるよう、見た目からもいわゆる病院とはイメージが違うかもしれません。食にこだわって週に1回は豪華な食事にしたり食器にこだわったり。それ以外にもペットの面会やドックセラピーの開催、癒しロボットaibo(アイボ)「緩和太郎くん」を導入するなど、様々な取り組みを進めています。また患者さまだけではなく、フェロー一人ひとりも輝けるよう看護部長の提案で、新人看護師が患者さまに喜んでもらえるような企画を考え提供できるような取り組みも始まっています。
そんなユニークなほうせんか病院の中で、私はマネジメントで力を発揮したいと思っています。在宅医療のサポートにも対応できるよう看護師の定着も重要。そのためにはこれからも働きやすい職場創りを追求していきます。