「優秀そうですね」「すごい経歴ですね」。
学歴やこれまでの経験から、そんな言葉をかけられることがあります。
でも僕自身は、留学先でも仕事でも、行く先々で自分より優秀な人たちに出会ってきました。自分には思いつかない発想をする人。自分が時間をかけて身につけたことを、いとも簡単にやってのける人。
そんな人を前にすると、純粋に尊敬する一方で、悔しい、負けたくないという気持ちも生まれます。
自分より優秀な人がいたら、あなたはどうしますか?
もっと努力しようと思う一方で、「この人がいる中で、自分にはどんな価値があるんだろう」と考えてしまう。そんな経験はないでしょうか。
僕自身、幼い頃からずっと、その問いを抱えてきました。そして、自分という存在だけでなく、そもそも人間の価値とは何なのかを考えるようになったんです。
振り返ってみると、その問いは、僕の仕事や人との向き合い方にも深くつながっています。
今回は、そんな僕のこれまでの経験と、その中で考えてきたことについてお話ししたいと思います。
プロフィール
父のように優秀ではない僕に、どんな価値があるのか
大学卒業時の写真
僕が自分という存在について考えるようになった原点には、父の存在があります。
父は、僕から見てはるかに優秀なところが多い人でした。幼い頃の僕はそんな父を見ながら、父のようにできない自分には、いったいどんな価値があるのだろうと考えていたんです。
おそらく3歳頃、物事を考えることを覚え始めた時期から、そんな疑問が自分の中にあったように思います。もちろん、当時からこれほど明確に言葉にできていたわけではありません。それでも、「自分とは何なのか」、「何のために存在しているのか」という問いは、いつの間にか僕の思考の根底にあるものになっていました。
僕は香港で生まれ、その後、イギリス、アメリカ、日本と、異なる文化や社会の中で過ごしてきました。
国が変われば、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなります。ある社会では正しいとされている価値観が、別の社会ではそうではない。同じ物事でも、置かれた環境や、どこから見るかによって、その意味は大きく変わるんです。
そうした経験を重ねるうちに、目の前にある「正しさ」や「優秀さ」も、何らかの基準によって決められているものなのではないかと考えるようになりました。
そもそも、その基準は誰が決めたのか。
違う環境に生まれていたら、同じように評価されるのだろうか。
僕が物事の前提を考えることに惹かれるのは、こうした経験も影響しているのだと思います。ただ、さまざまな価値観に触れ、物事を見る視点が広がっても、幼い頃から抱いていた疑問が消えることはありませんでした。
自分には、どんな価値があるのか。
その価値は、何によって決まるのか。
簡単に答えが出るものではありませんでしたが、だからこそ、考え続けることになったのだと思います。
努力すれば報われる。僕は、そう簡単には思えない
そんな問いに向き合う中で、僕が手がかりにしてきたものの一つが哲学でした。
もともと僕は、世界をそれほど楽観的に見ていません。「世界は自然と良い方向へ向かっていく」とはあまり信じていないんです。
努力した人が必ず報われるわけでも、能力があれば正当に評価されるわけでもない。環境に恵まれて成功する人もいれば、優れた能力を持ちながら、それを発揮する機会に出会えない人もいます。
そうした現実がある以上、何でも前向きに捉えようとは、僕にはなかなか思えないんです。ただ、世界が思い通りにならないからといって、何をしても無駄だと思っているわけではありません。自分では変えられないことと、その中で自分が何をするかは、別の話だからです。
そんな世界で、何を大切にし、どのように生きていくのか。
僕にとって哲学は、その問いと向き合うために必要なものなのだと思います。
■ ストア派|自分の価値を、他人の物差しで決めない
幼い頃から自分より優秀な父の存在を意識してきた僕にとって、一つの支えになったのがストア派の哲学でした。
僕が特に惹かれたのは、他人からの評価や社会的な地位ではなく、自分の内側にある「徳(Virtue)」を重視する考え方です。
たとえば、誰かに認められたいと思って努力しても、その人が自分をどう評価するかまでは決められません。どれほど能力を磨いても、自分より優秀な人がいなくなるわけでもない。
もし、他人との比較や評価だけを自分の価値の基準にしていたら、いつまでも自分ではコントロールできないものに左右されることになります。
でも、自分が何を大切にし、どのような判断を下し、どう行動するのかについては、自分自身が向き合うことができる。ストア派は、そうした内側のあり方にも価値があるのだと教えてくれました。
この思想が僕にとって大きかったのは、幼い頃から考え続けてきた「自分にはどんな価値があるのか」という問いに、別の角度から向き合えるようになったことです。
自分より優秀な人がいるという事実は変わりませんし、能力の違いがなくなるわけでもありません。
ただ、自分の価値まで、その人との比較によって決める必要はない。
誰かより優れているかどうかではなく、自分がどのような人間であろうとするのか。
幼い頃から抱いてきた問いに、ストア派はそんな新しい視点を与えてくれました。
■ フランクルの思想|理不尽な現実を、それでもどう生きるのか
一方で、自分がどうありたいかを考えたところで、目の前の現実まで思い通りになるわけではありません。
そこで、もう一つ僕の考え方に大きな影響を与えたのが、精神科医ヴィクトール・フランクルの思想でした。
フランクルは、ナチスの強制収容所という過酷な環境を生き抜いた人物です。彼が自身の経験を通じて考えた、人間が苦しみの中でも生きる意味を問い続けられるという思想に、僕は強く惹かれました。
僕がそこに感じたのは、決して「苦しい経験にも必ず意味がある」という楽観的な希望ではありません。
理不尽な出来事を無理に肯定したり、苦しみを美しいものとして捉えたりする必要はない。自分では変えられない現実があることを認めたうえで、それでも自分はそこにどんな意味を見いだし、どう生きていくのかを問い続ける。
僕には、そうした現実への向き合い方のほうが、ずっと自然に感じられるんです。
ストア派から学んだのが、自分の価値を他人との比較だけに委ねないことだとすれば、フランクルから受け取ったのは、どんな現実に置かれても、自分の人生にどう向き合うかを問い続ける姿勢でした。
どちらも、世界を楽観的に捉えられるようにしてくれたわけではありません。むしろ、世界には自分の力ではどうにもならないことがあると認めたうえで、それでも自分の生き方を考えるための支えになっています。
僕にとって哲学とは、世界が素晴らしいと信じるためのものではなく、世界が必ずしも素晴らしくなくても、自分の生き方を見失わないためのものなのです。
とはいえ、こうした考え方を持っているからといって、現実の問題にいつも答えを出せるわけではありません。
自分なりに考えて行動し、一定の成果が出ていても、本当に重要なことを見落としている場合もあります。前職での事業づくりは、まさにそんな経験でした。
成果は出ていた。それでも、何かを見落としていた。
当時の様子
前職では、音楽大学を運営する学校法人で約7年間、海外留学生の募集や国際交流に携わっていました。
その中で、中国市場を中心とした留学生募集事業を立ち上げ、出願者数を32名から525名にまで拡大。年間約10.5億円規模の収益基盤をつくることができました。
ただ、そこに至るまでの道のりは、決して順調なものではありませんでした。
立ち上げ当初から一定の成果は出ていたものの、最初の1年間は学生が進学先を選ぶうえで本当に必要としているものを捉えられているのか、どこか手応えを持ちきれずにいたんです。
当時、大学の留学生募集は、オープンキャンパスなど、実際に大学へ足を運んでもらう方法が中心でした。しかし、海外にいる学生にとって、日本の大学を訪れるのは簡単ではありません。
そこで僕は、中国で広く利用されているWeChatの公式アカウントを立ち上げ、海外にいる学生にも大学の情報を届けようと考えました。大学の魅力を知ってもらえれば、進学先として興味を持ってもらえるはず。そう考えて情報発信を続けていましたが、期待していたほどの広がりにはつながりませんでした。
そんな中、僕が大学の魅力を伝えることばかり考えていたと気づくきっかけになったのが、学生たちとの何気ない会話です。
僕は中国語が話せるので、オープンキャンパスなどで出会った中国人学生とは、積極的にコミュニケーションを取っていました。堅苦しいヒアリングではなく、仲良くなって、いろいろな話を聞く。そうした会話を重ねるうちに、彼らがどのように日本の大学を知り、進学先を選んでいるのかが少しずつ見えてきたんです。
中国には日本とは異なる情報流通の仕組みがあり、多くの学生が留学エージェントなどの仲介機関を通じて情報を集めていました。ところが、そこで僕たちの大学が十分に紹介されているとは限りません。
それまで僕たちは、大学の魅力をどう伝えるかばかり考えていました。でも、学生たちの話を聞いて気づいたのは、そもそも彼らがどのように進学先を知り、比較し、選んでいるのかを十分に理解できていなかったということです。いくら魅力的な大学でも、学生が進学先を探す過程で出会えなければ、選択肢にすら入りません。
必要だったのは、ただ大学の情報を発信することではなく、学生が進学先を理解し、自分で判断するための情報源になることでした。
そう考えると、WeChatの役割も変わってきます。大学が伝えたいことを発信する宣伝の場から、学生が本当に必要としている情報を届ける場へ。
僕たちが見落としていたのは、情報の届け方だけではなく、学生がどのように意思決定しているのかという、その過程そのものでした。
何を届けるべきかが見えてきたことで、次に考えるべきは、それをどう形にしていくかということでした。
悔しさで終わらせるか、チームの力に変えるか
学生が本当に必要としている情報が見えてきても、それを形にするには、僕一人の力では限界がありました。そもそも僕は、音楽教育やSNS運営の専門家ではありません。
そんな中、翌年に入職した中国人の女性メンバーに、コンテンツ制作や情報発信の優れたセンスがあることに気づきました。
彼女には、僕にはない感覚や能力がありました。
もちろん、僕自身は、自分より優秀な人の存在を何の葛藤もなく受け入れられる人間ではありません。いまでも、自分にはできないことを簡単にやってのける人を見ると悔しいですし、できることなら自分のほうが優秀でありたいと思います。
ただ、その気持ちとは別に、仕事では立ち返るべき目的があります。
「いま、何のためにこの仕事をしているのか」
僕が目指していたのは、自分の優秀さを証明することではなく、事業として価値を生み出すことでした。そう考えれば、彼女と同じ能力を身につけようとするよりも、お互いの強みを生かし、チームとして成果を出すほうが重要です。
そこで、目標や方向性は共有しながらも、具体的な制作や表現については、できる限り彼女に裁量を渡すようにしました。ただ任せるのではなく、何を共有し、どこまで判断を委ねれば、その人の能力が最大限発揮されるのか。そこを考えることが、自分の担うべき役割だと思ったんです。
こうした取り組みを重ねる中で、WeChatは学生が自然に読みたくなる情報を届ける場所へと変わり、出願者数も大きく伸びていきました。僕自身も、メンバーの能力を成果につなげる役割を評価され、最終的には責任者として組織を見る立場になりました。
この経験を通じて、幼い頃から考えてきた自分自身の価値についても、少しずつ向き合い方が変わってきたように思います。
僕は父と同じ人間にはなれない。でも、父も僕と同じ人間にはなれない。
だからこそ、誰かと同じ人間になることを目指すのではなく、自分の強みを磨き、他者の力と組み合わせることで、何を生み出せるのかを考えたい。
自分より優秀な人の存在を、脅威として終わらせるのか。それとも、チームの可能性に変えるのか。
そこには、自分自身の選択があると思っています。
AIが答えを出す時代に、人間が考える意味とは何か
自分にはない能力や視点を持つ人と出会うことで、一人では見えなかったものが見えてくる。これは、僕がいま、AIに感じている面白さにもつながっています。
僕は普段から、仕事の調査や情報整理だけでなく、経営学の学習や、個人的に取り組んでいるSF小説の創作にもAIを活用しています。
ただ、僕にとってAIの魅力は、単に効率よく答えを出してくれることではありません。むしろ、自分の考えを疑い、これまでとは違う角度から物事を捉え直せることにあります。
たとえば、自分なりに立てた仮説をAIにぶつけ、あえて反論してもらうことがあります。自分が見落としている前提はないか。別の立場から見たら、どう解釈できるのか。そもそも、最初に立てた問い自体が間違っていないか。
そんな対話を重ねていると、自分一人ではたどり着かなかった考え方に出会うことがあります。僕にとってAIは、正解を教えてくれる先生というより、思考を映し出す鏡であり、議論の相手に近い存在なんです。
一方で、AIが進化するほど、考えずにはいられないことがあります。
それは、AIが人間よりも優れた判断を下せるようになったとき、人間が自分で考え、選ぶことには、どんな価値があるのだろうかという問いです。
たとえば、AIが膨大な情報を分析し、自分にとって最も合理的なキャリアを提示してくれたとします。収入や将来性、これまでの経験など、あらゆる条件を考慮した、非常に優れた選択かもしれません。
でも、その選択が合理的に正しいことと、自分自身が納得してその道を選ぶことは、果たして同じなのでしょうか。
そもそも、何をもって「最適」とするのか。その基準には、何を大切にし、どんな人生を送りたいのかという、一人ひとりの価値観が関わってきます。
AIがより多くの答えを提示できるようになるからこそ、僕たちは、自分にとって何が大切なのかを、これまで以上に考える必要があるのではないでしょうか。
実は、プライベートで書いているSF小説でも、AIが社会に深く浸透した未来を舞台に、人間の幸福や自由、人格のあり方について考えています。仕事と創作は別々の活動ですが、僕の中ではどちらも、幼い頃から抱いてきた「人間の価値とは何か」という問いにつながっているんです。
AIによって人間が考えなくてよくなる未来ではなく、AIによって人間がより深く考えられる未来をつくれないだろうか。
僕がAIに惹かれているのは、そんな可能性を感じているからなのだと思います。
考え続けてきた問いを、今度は事業で確かめたい
AIについて考えれば考えるほど、その可能性を、実際に人や組織が変わっていく現場で確かめてみたいと思うようになりました。
これまで僕が経験してきたのは、主に人事や教育、事業開発の領域です。IT業界やコンサルティング業界での実務経験はありませんでしたが、次のキャリアでは、AIを事業の中心に据えた環境に身を置きたいと考えていました。
世界が勝手に良くならないからこそ、仕組みをつくる
その中でNINAEに惹かれたのは、AIという技術を通じて、日本を代表する大企業の変革に向き合っていることでした。
僕は、人にも組織にも、それぞれ異なる能力や可能性があると思っています。ただ、その力が自然と発揮されるとは限りません。優れた能力を持っていても、環境や機会に恵まれず、十分に生かされないまま終わってしまうこともあります。
それは、とてももったいないことだと思うんです。
前職の留学生募集事業でも、大学には魅力的な教育資源があり、それを求める学生もいました。それでも両者が十分につながっていなかったからこそ、価値を届ける仕組みが必要でした。
AIも同じように、優れた技術があるだけでは、人や組織の変化につながるとは限りません。実際の仕事の中で使われ、その人たちの力を引き出すものになって初めて、技術が持つ可能性も発揮されるのだと思います。
僕は、世界が自然に一人ひとりの可能性を拾い上げ、良い方向へ運んでくれるとは思っていません。
だからこそ、自分たちでその可能性が発揮される環境や仕組みをつくることに意味がある。
そう考えると、NINAEが向き合っている課題は、これまで僕が大切にしてきた考え方とも深くつながっていると感じました。
自分とは違う才能に出会える場所で
そして、もう一つNINAEに惹かれたのが、ここに集まっている人たちです。
若く、優秀で、エネルギーにあふれたメンバーが、AIという新しい領域で挑戦を続けている。そんな人たちと働けば、これまで正しいと思っていたことが覆されるかもしれないし、想像もしなかった考え方に出会えるかもしれません。
僕はいまも、もっと優秀になりたいと思っています。だからこそ、自分とは異なる強みや考え方を持つ人たちと働くことに魅力を感じるんです。
もちろん、自分自身が成長するだけではありません。そうした仲間と力を合わせながら、AIを導入するだけで終わらせず、実際に人や組織が使いこなし、それぞれの力を発揮できる環境をつくっていきたいと思っています。
これまで僕は、人間の価値とは何なのか、自分には何ができるのかと考え続けてきました。いまも、自分なりの「一番すごい状態」が何なのか、明確な答えがあるわけではありません。
ただ、その答えを頭の中だけで探すのではなく、実際に人と働き、事業をつくりながら確かめていきたい。
NINAEで、これからどんな人に出会い、何を実現できるのか。
いまは、それが楽しみなんです。
もし、ここまで読んで僕の考え方に少しでも興味を持ってもらえたなら、ぜひ一度お話ししましょう。
僕の知らない世界についても、ぜひ聞かせてもらえるとうれしいです。