世の中に交流会や勉強会と呼ばれるイベントは、どこかしらで毎日のように開催されているのではないでしょうか。
なぜ交流会は必要なのでしょうか?
まず、交流会とはなんなのかを検索してみました。
weblioによると「人の交流を目的として催される会合。交流を行うための会」とあります。
また、交流という意味には、
「異なる地域、組織の間で人や物事が互いに行き来すること。行き来して付き合うこと。またその行き来。特に人と人、人と自然などの間に交わされる心的感応、気持ちのやりとりをいうこともある」
どこにも人脈を得るためとは書いてありませんね。
20代の頃は人脈が欲しくて、交流会に出席しては名刺交換をしFacebookで繋がってを繰り返していました。
人見知りなのですが、緊張しながら必死にアピールして頑張っていましたよ。笑。
ですが、その当時繋がって、32歳になった今でも定期的に連絡を取り続けている人は10人いるのかな?
もし相手が何か困っていたとして、全力でなんとかしたいって思える人ってなん人くらいいるのかな?
ちょっと唸ってしまいます。
この頃の僕は、かなり損得勘定で人付き合いをしていました。同じように相手も損得勘定で人付き合いをしている方が多かったと思います。単純に自分の努力不足で知識もスキルもなかったということも認める必要もあります。もらってばかりで、与えることができない人でした。中には、ダメダメな僕に対して手を差し出し引き上げてくださった方もおられます。その方にさえ不義理をしてしまい連絡すら取っていない方もいます。
そんな僕ですが今回、6人という小規模な交流会を開催しました。
20代の頃との大きな違いは、ひとりの人間でやれることへの限界を痛感しているということです。
どんなに勉強してもどんなにスキルを磨いても僕ひとりだと、たったひとりの人すら介護できないことを知っているからです。
不眠不休で働いたとしても、もし事故に遭ってしまったら。もし病気になってしまったら働くことはできません。
むしろ、交代要員がいないということは仕事に穴をあけてしまうので無責任です。
どんなに優秀なヘルパーだったとしても、在宅介護においてひとりの人に依存してしまうことは危険でしかありません。
また、人付き合いの考え方にも変化がありました。4年ほどゆるやかに関係を持ち続けている方と情報交換をしたり意見交換を続けている中で刺激しあったり励ましあったりする存在の有難さを感じました。人付き合いをするかしないか。有or無の両極端ではなく、ゆるやかにつながり続けるという中途半端で曖昧でライトな関係にもお互いに尊敬しあえる何かがある。お互いのことを好きになれる、大切にできるポイントの何かがあることが大事なんだと思えました。そして、互いが経験・実践・勉強してきたことをシェアしあうことは、学習・成長の速度をはやめます。人と人が繋がることで成長し新しく価値を生み出すことができるならそれはとても素晴らしいことだと感じています。
しかし、名刺交換だけをすることは人付き合いをしていることにはならないと考えています。
それと、個人的にはwinwinという言葉は嫌いです。お互いに利益があるようにしましょうねというニュアンスなんだと思いますが、調子が良い時に関係が続くのは当然です。相手が調子悪くなってしまっても助けたい、何とかしたいと思える相手と関係性を深めていきたいし何とかできるだけのチカラは備えていきたいです。ゆるやかに繋がりながらも意見をぶつけ合い互いに困難を乗り越えながら築かれる戦友とも言えるような友を増やしていきたいですね。
6人の交流会にした理由は、僕が1度に顔と名前とどんなことをされているのかを覚えていられる限界数であるということと最低限のおもてなしができるラインであり、全員が自分のことを話す時間・機会があると考えたからです。
結果としては、1次会は緊張感が強く2次会の方がフランクに話せたような気がしてますがこの辺りは回数を重ねながら改良していきたいですね。
最後に、不義理をしてしまったその人は僕が本当にお金がなかった頃にも助けてくれました。
未だに連絡はしていないけども、やっとその方のNPOに毎月寄付できるようになりました。
交流会がなければこんな経験はできなかったと思います。人は裏切るものですが、そうじゃない人もいる。交流会を開催しながら、生涯つきあっていける人と出会えたら嬉しいですね。