2020年2月、株式会社オプトホールディングは、株式会社デジタルホールディングスになりました。この社名変更をうけて、就活生のみなさんのなかには不安や戸惑いを感じた方がいるかもしれません。
「オプトホールディングは、デジタルホールディングスになって、なにが変わったの?」
それは、私たちデジタルホールディングス自身が、事業や社員を通じて、これからお伝えしなければならないことです。「デジタル」という大きな看板を背負い、ダイナミックに変化するデジタルホールディングスは、これまでにどんな変化を経て、これからどう歩んでいくのか。
かつて小さなベンチャー企業だったオプトに新卒で入社し、今日までの20年間(※)、その成長を見つづけてきた役員2人が、変わらない会社の魅力と若い世代に期待する未来を語り合いました。
※インタビュー実施時の年代です
対談社員紹介
溝川 文在(みぞかわ ふみあり)
2002年新卒入社。営業からメディア部門を経てマネジメントを経験しながら、M&A時のPMIや事業推進などに携わる。その後、オプトグループのクロスフィニティ株式会社の役員、さらに代表として既存事業の成長や新規事業の立ち上げを担当。2019年10月より、株式会社ハートラスの代表を務める。
米谷 昌登(よねたに まさと)
2003年新卒入社。デジタルマーケティング5年、総合代理店(電通)にてマス×デジタルの総合プロデュース5年。動画の新規サービスやメディア立ち上げ、運営5年。現在は株式会社デジタルシフトの執行役員として企業のデジタルシフトを支援中。
20年前から現在まで、オプトは「毎日が前夜祭」な会社
――社員対談シリーズもいよいよ20年目社員に突入です。まずはお二人が入社した当時のことを教えてください。
米谷:僕らが入社した2002年~2003年頃は、新卒採用の選考フローが今のデジタルホールディングスとはまったく違うんですよね。なにしろ、約20年前ですから。
当時、会社説明会と一次選考を兼ねたグループワークに参加したとき、「私服でお越しください」と書いてあったから素直に私服で行ったら、僕以外みんなリクルートスーツ(笑)。そういう時代でした。
グループワークでも目立てなかったので落ちたと思っていたら、なぜか一次選考を通過したんです。後日、選考してくれた社員に合格にした理由を聞いたら、「あなただけ私服だったから」だと(笑)。
溝川:僕も同じです。一次選考が座談会でした。代表の鉢嶺が学生に缶ビールを配って、「学生時代なにをやっていたの?」なんて話をして、それが選考だとも知らないままに通過しました。二次選考は先輩社員との飲み会でしたね。
米谷:逆に、最終選考はいわゆる圧迫面接でびっくりしました。総じて、今では考えられない選考フローですよね(笑)。
――良くも悪くも、ベンチャーらしい新卒採用選考だったんですね。オプトに入社する決め手は何でしたか?
溝川:僕は広告代理店志望で、実はオプトの他にもう1社内定をもらっていたんです。そちらはネットではなく新聞やテレビなどのマス広告を扱う総合広告代理店でしたが、話を聞くと申し訳ないことに明るい未来が見えなかった。それに対して当時のオプト社員の話を聞くと、この会社は伸びそうだなと感じました。ネット広告のことはよくわかりませんでしたが、既存の業界より、新しい業界でチャレンジするほうがかっこいいと思ったんです。
あとは、少ししか年齢の変わらない当時のオプト社員たちが異常なほど高いモチベーションで働いていることも印象的でした。この2点が決め手でしたね。
米谷:僕がオプトに入社した理由も2つあって、1つは当時の会社説明会から今も変わらない一貫した鉢嶺さんの人格、価値観、考え方が素晴らしいなと思ったからです。当時のオプトが打ち出していた「一人一人が社長」というメッセージに共感しました。
もう1つは、面接後に当時の役員からもらったクロージングメール(お礼のメール)に「うちの会社は毎日が文化祭の前夜祭みたいな会社です」と書いてあったことです。僕は高校生のころから前夜祭が好きで、学生生活のように楽しみながら仕事がしたいと思っていましたから、自分がオプトで働く姿がここではっきりイメージできたんです。
怒濤のベンチャー時代、たくさんの「ムダ」を経験して成長した2人
――実際に働いてみて、入社前のイメージと違いはありましたか?
溝川:当時学生だった僕が想像していた華やかな広告代理店のイメージとは全然違いました。当時オプトが扱っていた広告効果測定ツール「ADPLAN」※で広告効果がはっきり数字として出せるので、常に数字と向き合わないといけなかった。お客様に広告メニューをみずから提案しておきながら、結果が数字に出ないと自分で自分の首を絞めているような感覚でしたね……。
※ADPLAN:オプトが長年提供してきたインターネット広告の効果を可視化するお客様用のツール。2021年3月31日にサービス提供を終了
――当時、新卒社員向けの研修は?
米谷:今ほどしっかりした研修制度はなかったですね。僕は入社後すぐにテレアポと、先輩社員のお客様の引き継ぎでした。その結果、1年目で100社のお客様の担当になりました(笑)。
しかも当時は今とは比べものにならないほど業務効率が悪かったので、やってもやっても仕事が終わらなくて。まず、インターネットは有線LANのみ。だから、メールが1日に200~300通届くのに外出中は受信も返信もできない。外出したら一瞬だけ会社に戻ってPCにLANケーブルをさして、一気に受信。次のアポの移動中にメールの返信内容を準備しておいて、会社に戻ったときに一斉に送信、みたいな。
さらに重要な書類はすべてFAXだったので、集計がとにかく大変でした。競合であるA社とB社の書類を間違えて送ってしまって怒られたり……。月末はなかなか帰れないこともありましたね。
溝川:でも、おかげでお客様に提案してから入金に至るまで、どんなプロセスで業務が進むのかがわかりました。今考えると、1年目に業務全体をひとりで管理する経験をしてよかったと思います。
米谷:そうですね。無駄なことが多かったからこそ、どうすれば効率化できるかと考える力も自然と身に着きましたね。
――激動の新卒社員時代を振り返って、当時のオプトに比べて現在のデジタルホールディングスはどう変化しましたか?
溝川:正直、僕らが入社した2002年頃の当時は課題だらけでした。教育制度も整っていないし、社員数が50人程度だったのでひとりの業務範囲は広くて当たり前。でも、それが悪いと一概には言えなくて、当時はそのやり方じゃないと会社として伸びなかったと思います。
米谷:ちょっと悪い意味で「来るもの拒まず、去る者追わず」問題はあったね。
溝川:たしかに。2004年のJASDAQ上場後には会社の知名度が上がって社員数も増えたけど、その分退職者も増えた。上場したとはいえ、社員一人ひとりをしっかり見てあげられるほどの余裕が当時はなかったんです。
米谷:それから2010年頃までには会社の人事制度もしっかり整備されて、マネジメント研修も導入されました。僕はそれまでひとりで突っ走ってきたプレイヤーだったから、この時代に初めてマネジメントの基本を学んで、自分なりにマネジメントスキルを身につけられるようになったかな。今のデジタルホールディングスは人の育成や成長にすごく力を入れるようになったと思いますよ。
溝川:僕も、新卒時代の上司をある意味反面教師にしてマネジメントをしています。当時は上場前の数十人規模の会社で、今とは時代も組織規模もまったく違いますが、今だと間違いなくパワハラにあたるような上司がいたのも事実です…(笑)。もちろん愛ゆえだと思いますし、当時の僕にとっては苦痛ではありませんでしたが、自分が上司になったときには恐怖心で人を動かすやり方はやらない方が良いと学ぶ事ができました。その経験からしっかり相手と向き合って話を聞くマネジメントを意識しています。
20年間変わらないデジタルホールディングスの強みは「誠実さ」の文化
――おふたりが20年近くデジタルホールディングスにいる理由は?
溝川:一番大きな理由は、やりたいと思ったら手を挙げられる環境があるからですね。僕は3~5年周期で違う部署に移ったり、子会社の経営をやらせてもらっていることもあり、ずっと同じ会社に属しながらも定期的に転職している気分です。自分がやりたいことに手を挙げて挑戦してるうちに、気がつくと20年近く経っていました。
米谷:僕もデジタルホールディングスの環境が好きです。変化が激しく毎日が刺激的で、自由な風土があるから色々なチャレンジができる。それに、入社時に共感した代表の鉢嶺の考え方は今も昔も一貫しているので、僕も変わらず一緒に働きたいと思っています。
たしかに僕らのような年齢になると数回の転職を経験していてもおかしくないのですが、ずっと同じ会社にいるからこそわかるおもしろさもあります。そのドキドキワクワク感がどこまで続くのか、自分のなかで実験している最中なんです。
溝川:新卒からずっとデジタルホールディングスにい続ける理由をよく聞かれますが、先ほど言ったように僕自身はデジタルホールディングスの中で様々なジャンルの仕事をしてきたので、ずっと同じことをし続けている感覚は無いんです。
だから最近は「溝川は今デジタルホールディングスという会社を使って、社会にどういう価値を提供しているのか?」という主旨で聞かれるようになりました。僕自身、まだ会社をいい意味で使い切れてないなという思いがあって、辞めない理由はそこにあるのかもしれませんね。
――この20年間で変わらないデジタルホールディングスの文化や考え方ありますか?
溝川:デジタルホールディングスにはミッション・ビジョン・コアバリューの3つがありまして、この20年弱でミッションとビジョンは時代に沿って少しずつ変わっていきました。しかし、コアバリューは僕が入社したときからひとつも変わっていません。
デジタルホールディングスが抱える5つのコアバリュー
溝川:コアバリューとは、会社と社員が持つ価値観のようなもの。その価値観に共感してくれる人を創業時から変わらず採用できている。20年間変わらない「人」の文化。それがデジタルホールディングスの特徴であり強みなんです。
実は、2002年入社当時の社内報をまだ持っているのですが、代表の鉢嶺が言う内容が今と20年前でいい意味で全く変わっていない。これってすごいことですよ。
米谷:単なる言葉上だけではなく、大切なのは誠実さです。誠実とは、思っていること、言っていること、やっていることが完全に一致していること。代表の鉢嶺は20年間ずっと言動に嘘偽りがない、まさに誠実を体現したような人なんですよね。その「誠実さ」という文化が社内全体にも浸透しているような気がします。
社名変更を経て、デジタルネイティブの学生たちがより活躍できる会社に
――オプトホールディングからデジタルホールディングスへの社名変更にはどのような意図があるのですか?
溝川:代表の鉢嶺本人も言っているとおり、日本社会のデジタルシフトの先陣を切るという強い決意表明だと思っています。逆に言えば、「オプト」のままではやりづらい部分があったのでしょう。おかげさまでオプトという社名は浸透し、ネット広告代理店やマーケティングの会社というイメージがついていますから。
米谷:今後デジタルホールディングスがやりたいのは、デジタルに苦手意識がある大人たちに対して、若い人たちが持つデジタルネイティブの感覚を移植することだと思っています。ここ数年、僕はSNS向けの動画を作る仕事が多かったので、若い人たちの「普通」の感覚が大切だとよくわかりました。
学生の皆さんは日常的にスマホで動画を撮って、サクッと編集して、SNSで公開する。これを当たり前のようにやっているけど、大人にとっては難しいしよくわからないものなんです。皆さんの「こんなの当たり前じゃん」な感覚が重要で、そのまま即戦力になるんですよね。
――デジタルネイティブ世代がより活躍しやすい会社になっているんですね。社名変更は会社全体としてのダイナミックな転換であると。
溝川:そうです。今までにないような、新しい事業をつくらなければいけないと思っています。デジタルという看板を背負う以上、それに見合う新しいソリューションやツールをつくって、お客様に満足してもらわないといけない。そこは本気で会社が変わらなければいけないところです。
米谷:誠実さと、日々変化していくこと、ゼロからイチを目指すことに臆さないところ。これらはデジタルホールディングスの創業時からの強みですし、変わってはいけないところです。反対に、これら以外は全部変えるべきだと本気で思っています。
――日々変化するデジタルホールディングスで成長できる人物像は何だと思いますか?
溝川:変化を楽しめるのであれば、自分のやりたいことがわからなくて悩んでいる学生こそウェルカムです。もちろん、学生のうちからやりたいことがある人もすばらしい。しかし、必ずしも希望の部署に配属されるわけではないし、3年後にはその事業がないかもしれないし、もっとやりたい事業が見つかるかもしれない。だから、目先のことにしばられず、ダイナミックな変化を楽しんで対応できるかどうかが大切です。もっと言えば、自分で変化を起こせる人ほど会社を楽しめるんじゃないかと思います。
米谷:僕自身もそうですけど、誰かに決められたことを淡々とやる典型サラリーマン的な働き方をしたくない人ほど向いていると思います。そういう人ほど、変化を楽しめる。デジタルホールディングスは働き方の自由度も高いですし、変化を楽しめる学生が仲間になってくれると嬉しいです。
小さなベンチャー企業だったオプトに新卒で入社し、20年間成長と変化を見つづけてきた溝川と米谷。2人の対談から見えたのは、変わり続けるデジタルホールディングスの歴史。そして、20年間変わらない「誠実さ」の文化でした。
デジタルホールディングスのwantedlyでは、さまざまな立場、経験のある社員のインタビューを通じ、デジタルホールディングスの変化と成長をお伝えしています。そして、これからのデジタルホールディングスをつくるのは、この記事を読んでいるあなたです。
変化を楽しめる学生のみなさん、未来のデジタルホールディングスを一緒につくりましょう!