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リコーの最先端技術とスタートアップのスピード感。映像体験の革命に挑む若きマーケターの思惑


「今しかできない道を選んできた」


日本発のハードウェアスタートアップで世界を獲る。そんな夢の元に集まったベクノス初期メンバーたち。彼らはなぜ大企業の安定よりも、成功が難しいハードウェアスタートアップを選んだのか。

今回紹介するのは、ベクノスでマーケティング部長を担当する朝夷(あさひな)。RICOH THETAの立ち上げ期にマーケティング経験ゼロの状態で携わり、ドイツでの発表展示会やJAXAとのプロジェクトなど数々のプロモーションを成功に導いてきました。

RICOH THETAはやり切ったと話す彼が、他の選択肢ではなくベクノスに参画した理由に迫ります。

ベクノス株式会社 マーケティング部長 朝夷 隆晴
埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。慶應義塾大学・法学部政治学科卒。
2003年 株式会社リコー入社。営業職として東京、大阪で地場企業から大手企業まで担当。
新規事業開発部門に異動後はRICOH THETAの立ち上げから事業化に奔走。
2020年からベクノス株式会社での事業立ち上げに従事。

「自分を変えたい」。その思いがリコー入社のきっかけに。

――まず、これまでの経歴についてお伺いできればと思います。新卒でリコーに入社されたんですよね。そのきっかけについて教えてください。

大学時代の一人旅の経験がきっかけです。高校時代に一芸に秀でていたり、勉強のできるクラスメイトに囲まれ、自分に自信が持てなくなってしまい、そのまま大学でも特に何かを成し遂げないまま過ごしていました。

そうこうしているうちに就活が近づき、このまま社会人になって良いのか、大きな不安がありました。今殻を破らないと、これからも自分は変われないのではないか。そう思って、イスラエルへの一人旅を決めたんです。

――行き先にイスラエルを選ぶとは、結構思い切った決断だったのではないでしょうか。

そうですね。ちょうど授業で中東について学ぶ機会があり興味を持っていたのもありますが、どうせ行くなら、日本人が一人もいないところがいいと思ったんです。案の定、現地に着いたら日本人は自分一人でした。イスラエルには「キブツ」と呼ばれる海外の人がボランティアで働く制度があり、それを利用して、観賞用の鯉の養殖の仕事をしていました。

初めはレストランのキッチンで働いていたのですが、これでは日本でアルバイトをしている時と変わらないと思い、別の仕事を探しはじめました。人づてになんとかたどり着いたのが観賞用の鯉の養殖の仕事で。これが天職でした。
面接の際部屋に入ると鯉の魚拓が飾られていて、その横に漢字でグレードが書かれていたんですよね(笑)。それを読みあげると、最初はどこのアジア人だ、みたいな目つきだった面接官の表情がみるみる変わって、『君はエキスパートだ。即採用しよう』と受け入れてくれました。

毎朝5時に起きて15時くらいまで働き、シエスタを挟んで夜はボランティアの仲間と飲みに行く日々でした。英語がほとんどわからない中でも友人を増やし、仕事しながら文化を体感出来た経験が自分を変えるきっかけになったと思います。

滞在中に9.11のテロが発生し、日本に帰らざるを得なくなったのですが、イスラエルから帰る途中、行きに通った経由地の街の景色の見え方が全く変わっていて、自分の視野がグッと広がっていると気づいたんです。それがきっかけとなり、一人旅にハマっていきました。

――いろんな国を回る中で、海外に携わる仕事をしたいと思うようになったんですね。

そうです。商社やメーカーを中心に就活をしていました。その中でもリコーを選んだのは、一人旅中に何度かリコーのロゴがプリントされた箱に出会った体験からです。日本のメーカーといえば車だと思っていましたが、リコーのようなメーカーも海外に進出しているとは知りませんでした。あえてこれまで自分が縁のなかったジャンルを選んだ方が面白いだろうと思い、リコーを選びました。

初マーケターの仕事は、前例のない未知への挑戦


――入社後はどんな仕事をされていたのでしょうか?

入社後営業部に配属となり、東京のリコー直轄部署で3年半、その後大阪のグループ販売会社へ異動し3年半の直売経験を積みました。関西移動後も担当していた大手電気会社の他社機30台を一括で自社機に総入れ替えするなど、大きな案件も担当しました。そんな中、企画マーケティング職の社内公募を目にしたんです。「次世代カメラを作ります」と書かれた応募要項は、THETAの募集でした。

目の前のお客さんへの提案だけでなく、そもそも売っている商品をどう流通させるのかの戦略部分から担いたいと思っていた時期でした。最終的にお客様に何をどう伝えるか、その観点では考える内容に大差ないと思い、異動希望を出してみたんです。結果、異動希望は通り、THETAのプロジェクトへとアサインされました。

――THETAのプロジェクトは初のマーケターの仕事ですよね。挑戦してみてどうでしたか?

360度カメラはそもそも市場にはない商品。右も左もわからないどころではなく、上も下も未知の状態でした(笑)。まず、商品がどんなシーンで使われるのかを考えるところからスタートしました。カメラの種類が増えて、写真が身近になっていった中で、場の雰囲気を共有するコミュニケーションが次に来るのではないかと。じゃあ、どんな人が場の雰囲気をシェアしたいと思うのか。きっとデジタルネイティブで、撮影した写真を加工したり、自慢したい人だろうといった具合に、誰がどう使うのかをつめていきました。

実際に、想定した人がどれくらいいるのかを知るため、11ヵ国で市場調査を大々的に行いました。設問も細かく作って、その解答に合わせ、さらにターゲットを分けていきました。

製品化が近づくにつれ、販売準備やプロモーション関連の仕事が増えていきました。中でも奮闘したのが、THETAのお披露目発表会です。ドイツの国際コンシューマ・エレクトロニクス展「IFA」で行われた展示会を成功させるために現地スタッフとギリギリまで奔走しました。生方が『これがTHETAです』と発表した瞬間は胸にこみ上げてくるものがありましたね。

――THETAのマーケティングの仕事で特に印象に残っているものはありますか?

2018年にJAXAと連携したイプシロンロケットの発射シーンの撮影は印象に残ってます。打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡が、夜光雲(やこううん)として全国各地で観測されたことで話題にもなったのですが、それもバッチリ収まり、Youtubeに上げた動画は反響が良く、THETAの知名度向上に貢献したと思います。

発射場所は気温が低く、寒い中でバッテリーが持続する方法や、熱風に飛ばされないように固定する方法など、一般的な使用シーンとは異なる環境での撮影でした。もちろん苦労もたくさんありましたが、日常では絶対に味わえない体験をすることができたのは、今でもいい思い出です。

ベクノスは最も”ワクワクする”選択肢だった


――ベクノスに参画した理由について教えてください。

商品企画の段階からずっとTHETAに携わってきて、自分の中で一定やり切った感覚がありました。次はどんなワクワクに挑戦しようか。そう考えていた矢先、生方にベクノスの元となる新しい事業立ち上げの話を持ちかけられたんです。

THETAは新規事業ではありますが、所帯が大きくなるにつれ海外のスタートアップのスピード感に後手を踏むこともあり、組織規模が小さくても、爆速でPDCAを廻せる環境に身を置きたいと考えるようになっていました。

そのような時に、声をかけてもらえたので、二つ返事で了承しました。

――他のスタートアップへ転職する道もある中で、なぜベクノスを選んだのでしょうか

大学3年生のあの日、イスラエルへの一人旅を決めた瞬間と同じで、今しかできない経験は何かを考えた結果です。他のスタートアップには今じゃなくても転職できますが、ベクノス創業のタイミングは今しかないですから。

――ハードウェアのスタートアップは成功が難しいと言われていますが、その点にはついてはどう考えていますか?

THETAでの成功体験があるため、望みが全くない無謀な挑戦だとは全く思っていません。むしろ、仮にリスクがあったとしてもTHETAを初めて世に送り出した瞬間のワクワクをもう一度味わいたかった。『映像体験の革命により、人々に新しい感動を届ける』、そのビジョンをこの手で成し遂げたいと思いました。

THETAに関わっていた時、国内外問わず類似製品は数多く出てきましたが、結局THETAの持つ市場は崩されなかった。ベクノスはレンズ設計もプロダクトデザインも一流の技術を持っていると思います。あとは、どう売るかを極めれば、確実に世界を獲れる自信があります。

――最後に、どんな人であればベクノスに向いているか教えてください。

ベクノスの他のメンバーは、THETAで共に仕事をしてきた仲間のため全幅の信頼を置いています。ある意味、阿吽の呼吸で仕事ができると言ってもいい。だからこそ、その雰囲気に新しい視点をもたらす人と日本発のハードウェアスタートアップで世界市場を勝ち抜きたい。もし、困難な状況こそワクワクするマインドを持っていたら、ベクノスはこれ以上なく楽しい環境だと思いますよ。

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