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人生の折り返し地点で、”魂が震える”とは思わなかった。元リコーの広報室長が取り憑かれたベクノスの魅力とは。

日本発のハードウェアスタートアップで世界を獲る。そんな夢の元に集まったベクノス初期メンバーたち。彼らはなぜ大企業の安定よりも、成功が難しいハードウェアスタートアップを選んだのか。

今回紹介するのは、リコー入社後一貫してコミュニケーション領域の業務に携わってきた橋本です。
すでに50歳を超え、人生の折り返し地点を迎えた橋本が、あえてゼロイチのスタートアップに飛び込んだ理由とは。

話を聞く中で見えてきたのは、常に新しいことに挑戦しようとする彼の変わらぬベンチャーマインドでした。

リコーを選んだ理由は「海外事業が伸びる」と直感したから


ーー橋本さんがリコーに入社したきっかけについて教えてください。

もともと、大学を卒業後すぐに就職するつもりはなかったんです。大学3年の時に経験したアメリカ滞在が元になり、卒業後に海外留学を考えていました。

そのため就職活動はせず留学のための勉強をしていたのですが、当時は空前のバブル景気。製造業の会社に勤めていた父から、会社に入ってから留学などをあらためて考えた方が良いのでは、とアドバイスをもらいました。そこで、遅ればせながらいくつか会社を訪問し、リコーから内定をもらいました。

リコーを選んだ理由は二つあって、一つは父親からのアドバイスです。リコーと取引のあった会社に勤めており、「あの会社は人を大切にする会社なので、良いのではないか」と助言をもらって決めました。

もう一つは、働くなら海外関係の仕事が良いと思っていたこと。でも、当時リコーの海外売上比率は20%程度と競合に比べて低かったんですよね。

ーー海外比率が低いのになぜ、リコーにしたのでしょうか。

自分なりに競合との違いを調べたときに、リコーの技術力は他社に比べても優れていると思ったんです。ちょうど日本ではグローバル化が叫ばれている真っ最中で、競合と引けを取らない技術力があれば、まだ海外での伸び代があると。

また、これから成長させていくフェーズであれば、組織の仕組みもまだ整っておらず、組織づくりから関われるのではないかとも思いました。もしかしたら、その頃からベンチャー気質があったのかもしれませんね(笑)。

結果的に読みは的中しました。リコーの海外比率は現在65%となり、自分も米国駐在を含め一貫して海外関連の仕事に関わることになったんです。

タイムズスクエアで経験した人生最高の挑戦と最大の失敗


ーー入社してから一貫して広報・宣伝などコミュニケーションの業務に携わられてますよね。コミュニケーションの仕事にはずっと興味があったのでしょうか。

ありました。大学時代に受講していた授業で、この先は商品力だけでなく、宣伝や広報活動が重要になってくると聞き、コミュニケーションを中心にすえた仕事をしようと思ったんです。

ーーコミュニケーションの仕事ではどんなことをしていたのでしょうか。

入社直後に広報部に配属となり、最初は英文の海外向け社内広報誌や英文年次報告書の制作から始まり、国内外の製品広報なども担当しました。その後、IR室での投資家向け広報業務や、宣伝部での国内外広告制作業務を担当した後、2005年からはリコーの米国法人Ricoh Corporationに駐在し、6年間米国でリコーのコーポレートコミュニケーション活動を行いました。帰国後は広報室に異動し、最終的には室長まで務めました。

ーー米国駐在の中で一番印象に残っている仕事について教えてください。

ニューヨークのタイムズスクエアに100%自然エネルギーで発電する看板を設置する、というプロジェクトですね。このプロジェクトが始まる5年ほど前に、日本ではすでに同じ取り組みがされていて、アメリカでもできたら面白そうだと思いました。

当時のアメリカはオバマ大統領が選挙戦に出る直前で、環境問題に対する関心が高まっており、これは好機だと。

単に看板を設置するという宣伝の仕事だけでなく、有力媒体への記事掲載も仕掛ける、という広報的なアプローチも組み合わせて実施したところ、ニューヨークタイムズが記事として取り上げてくれたんです。すると、他の媒体も次々と掲載してくれました。

さらに並行して企画したのが看板のオープニングセレモニーでした。当時環境政策を強化していたニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグ氏が呼べないか、ダメもとで市の担当者に直接看板の意義などをご説明し、市長のセレモニーご列席を相談してみたんです。すると、二つ返事で出席が決まりました。流石に驚きましたね。しかも、それが呼び水となり、在ニューヨークの日本政府の方々も出席する運びとなったんです。

これは、僕の人生の中でも一大プロジェクトになる。そう思っていた矢先に事件が起きました。

ーー何が起きたのでしょうか。

発注していた風力発電機が予定通りに作れなくてオープニングセレモニーができなかったんです。人生の一大プロジェクトどころか、最大の失敗です。原因は風力発電機の発注先にありました。結局看板を設置するのに1年も予定が後ろ倒しになり、風力発電機の市からの設置許可も取り消されてしまったため、現地社員と知恵を絞りなんとか100%太陽光発電の看板に切り替えて完成させたんです。

ただ、看板の設置を最後までやり切らせてくれたリコーにはとても感謝しています。普通であれば、途中でプロジェクト中止になってもおかしくないところを、自分の上司が「とにかくやり切ってみろ」と背中を押してくれたんです。その上司は常々「今の若者は昔に比べ失敗をする機会が少なくて可哀想だ。失敗から這い上がることが重要なのに。」と言っていました。その言葉通り、この失敗からたくさんのことを学べました。

また、大企業なのに随分とベンチャーマインドがあるのだとも思いました。こういう文化だからこそ、生方のような人が出てくるのかもしれませんね。

ーーTHETA(シータ)とはどのような関わり方をしていたのでしょうか。

直接THETAチームに在籍していたわけではないのですが、THETA1号機のドイツでの広報発表を主導しました。現地のPR代理店とタッグを組み、発表ストーリーを作り、記者会見の準備や英語・ドイツ語でのリリース配信、メディアマネジメントなどを行いました。

コピーやプリンターの会社と思われていたリコーが「イノベーティブな挑戦」をしていると印象付けられたのは価値がありました。

発表する言葉一つとってもこだわりましたね。パノラマではない新しい撮影方法として「全天球カメラ」と定義したり。THETAの発表は、新規市場づくりの端緒でもあったので、メディアがどう取り上げてくれるのか、なかなか予測できないところもありましたが、それ以降全天球カメラや360度カメラのパイオニアといえばリコー、というイメージが出来上がったのは嬉しいですね。

ベクノス以上に”魂が震える”企業はなかった


ーーベクノスに入社しようと思ったきっかけについて教えてください。

THETAの広報に携わった後の数年は、広報室長としてリコーの業績不振に伴うネガティブ報道への対処を行っていました。それが峠を超えたとことで、今後の自分のキャリアを見つめ直してみたんです。50代は仕事をするものとしての「仕上げの時期」と捉えました。そして今の職務に関しては後身に道を譲り、自分がこれまで積み上げてきたキャリアを基礎としてもう一度新しい挑戦をしようと考えました。その時、数年前に生方に声をかけられたことを思い出したんです。

当時は広報室長になりたてでタイミングが合わず断ったのですが、もし今チャレンジできるなら関わりたいと思い、生方に話を聞きに行きました。「映像体験で革命を起こしていく」という新会社の構想を聞いたとき、魂が震えたんです。

現在のリコーは基本的にはto B向けのビジネスの会社で、THETAのようなプロダクトは売り上げに大きなインパクトを出しているわけではありません。もちろん、リコーの画像機器を中心とするプロダクトでオフィス業務の効率化を提供していくのは大事です。でも、THETAの広報を担当したとき、まだ世の中にない新しいものを作り、効率や便利を超えた個人の感情に向き合う姿勢にワクワクしたんです。あのワクワクをもう一度体験したかった。

ーー室長の立場を降りて、ゼロイチでスタートアップに飛び込む決断に不安はなかったのでしょうか。

不安しかないですね(笑)。朝起きてから寝るまでずっとベクノスのことを考えています。でも、それは健全なプレッシャーだと思います。不安の中でも、グローバルに市場を取っていく方法を考えるのは楽しい。

それに、ベクノスに勝ち目がないとは全く思っていません。何もノウハウがないゼロから出発した会社ではなく、技術的な裏付けを担保した経験値に基づいた戦略を立てています。

ーーベクノスでは対内的、対外的にそれぞれどんな挑戦をしていきたいと考えていますか?

スタートアップ企業としてのコミュニケーション業務を深化させるとともに、それ以外の分野を積極的に勉強し、現場から情報も得て、会社の成長を支えたいですね。

また、これまでの会社生活で自分が一番大切にしてきたチームワークを、ベクノスでも同様に大切にしたいです。お互いが信頼感をもちながら、自由闊達に議論し、業務を進める組織を作っていきたいと思います。

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