356日目:蘇るキロ5分の悪夢
【場所:ジョブテラス山の畑・事務室】
【時刻:午前8時45分(始業直前)】
パソコンのモニターが放つ無機質な光が、代表けにいの、泥のように沈んだ顔を照らしている。画面には、昨日までの積み上げを示す「355」の数字。そして、今日埋めるべき真っ白なエディタ。
けにい:(独り言) 「……356日。あと10日。……いや、無理だ。何がめでたいんだ。そもそも、毎日毎日、誰に頼まれて書いてるんだ? 僕は自由を愛する男じゃなかったのか……?」
脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。 30代、元旦の佐久市。マイナス10度の極寒の中、鼻水を凍らせながら走っていた自分。 いつの間にか日課は15キロになり、ラップタイムは1キロ5分を切るか切らないかの領域へ。アスリートでもないのに、何を目指しているのか分からないまま、ただ「記録を止めないこと」に支配されていたあの頃。
けにい: 「あの時、1キロ4分59秒を叩き出した瞬間に思ったんだよ。『……あ、これ、僕がやりたいことじゃない』って。今のnoteも同じだ。今、まさに4分59秒の音が聞こえる……!」
ドガシャーーーン!!
けたたましい音とともに、事務室のドアが勢いよく開く。 入ってきたのは、今春入ったばかりの新卒職員、ハルだ。 なぜか右手にバケツ、左手にホウキを持ち、足元は左右違う色のサンダルを履いている。
ハル: 「代表! おはようございま……ッうわああああ!」
盛大に自分の足に躓き、ハルはスライディング気味にけにいのデスクへ突っ込んできた。バケツが宙を舞い、奇跡的にけにいのコーヒーカップの上に逆さまに着地する。
けにい: 「……ハルくん。おはよう。朝からアクロバティックだね」
ハル: 「あ、すんません! 直感で『今すぐ代表に会わなきゃ!』って思ったら、足が思考を追い越しちゃいました! ……ところで代表、今、『逃亡犯』みたいな顔してますね?」
けにい: 「なっ……。失礼な。僕は今、人生の深淵について思索していたんだよ」
ハル: 「いや、分かりますよ。僕のモンスター直感が告げてます。代表、あの『ジョギング投げ出し事件』と同じモードに入ってますよね? 『俺のやりたいのはこれじゃない』って言いながら、全部をリセットして、誰もいない山奥で玉ねぎとだけ会話したくなってる顔です!」
けにい: 「……言い当てすぎて怖いよ。そうだよ! もう嫌なんだ! 毎日投稿なんて、ただの数字の奴隷じゃないか! 僕は人間だ! 揺らぎがあるんだ!」
ハル: 「いいじゃないですか、奴隷! 完走しましょうよ! 365日走った後に、ゴールテープを自分ではさみでチョキンって切って、『やーめた!』って言うのが、一番カッコいい『やりたいことじゃない』の表現ですよ!」
けにい: 「……ゴールしてからやめる?」
ハル: 「そうです! 走ってる途中でやめるのはただの脱走ですけど、ゴールして即座に引退するのは『伝説』です! 代表、伝説になりましょうよ! 仮想現実の僕らだって、その方が盛り上がります!」
ハルはそう言うと、勢いよく立ち上がろうとして、今度はデスクの脚に膝を強打した。
ハル: 「……痛っ! ……とにかく! 今日は僕が隣で監視してますから。書くまで一歩も出しませんよ! ズッコケ新人、直感で動きます!」
けにい: 「……ハルくん。君、さっきから『仮想現実』って自分で言っちゃってるけど。あと、今のその強引な励まし、リアルな求職者が聞いたら誰も来てくれなくなるからね?」
けにい:(心の声) 「……もうやだ。でも、このズッコケモンスターを黙らせるには、書くしかないのか……」
けにいの指が、呪われたようにキーボードに置かれる。 356日目。 タイトルは——『今日、一キロ五分の幻聴が聞こえた』。
(つづく)