最近、ふと立ち止まる瞬間が増えていた。
子供の頃はゲーム(DSやPSP)を「これがあれば一生楽しんで暮らせる」と思うほどに楽しんでいた。特にモンスターハンター2nd, 2ndG, 3rdは計3,000時間ほどを費やしていた。
しかしどうだろう。大人になって「仕事」はあの時の熱量で取り組めているだろうか。私が今29歳なので、仮にこの先の30歳から65歳まで働くとして、一日8時間でも大体7.3万時間くらい働くことになる。24倍の7.3万時間だ。
あまりにも長すぎる。自分の好きな仕事をしないでその時間を費やすことはできる気がしない。だから、仕事は子供心の「モンハン」よりも24倍面白い必要がある。
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、
何事かを為すには余りに短い」
中島敦『山月記』
そう思って、自分が心から「面白い」と思えることを探してきたのが25歳くらいだったと思う。そこから4年くらいは手を動かせる能力をつけたり、その力を試したり。
その過程で、いろいろな領域を走ってきた。起業家支援、Webメディア、広告運用、メディア立ち上げ、デジタルマーケティング、事業開発。独立して会社をつくり、クライアントの事業支援をしながら、自社プロダクトの開発にも挑戦してきた。
できることは、確実に増えてきた。
それなのに、ある時から強く感じるようになったことがある。
「自分は迷子かもしれない」そして、「この先は今より面白くなるのか」
「迷子」と表現すると「やりたいことがない」と勘違いされるかもしれないが、心の中では「目的地」はむしろはっきりしている。自分がやりたいのは、事業を成長させることだし、その過程でブランドやデザイン、マーケティングの力を使って価値を届けることだ。
問題はそこに至る経路だった。
道筋は見えている。ただ、その道がほとんど絶壁に見える。どうやって進むんだろう、と立ち止まってしまう。そんな感覚が、ずっと頭の中にあった。
非・連続的だが串に刺さってはいるキャリア
ここで、私がセブンデックスという企業に入る前のフーテンなキャリアを紹介させて欲しい。一見「半NGO所属→起業→上場企業→起業 」という非連続的なキャリアだ。しかし、「日本のマーケをどうにかする」という串でキャリアを渡ってきたので、自分なりには物語があるつもりだ。
私を、29歳で迷子にせしめた最初の大きな転機(でありファーストキャリア)は、世界最大規模の社会起業家コンペティションの日本運営に関わったことだった。日本大会の拡大や国際大会の運営を通して、起業家、学生、企業、投資家など多くの人と関わる経験をした。社会課題を解決するために事業をつくる。その現場の熱量に触れたことは、いま振り返っても自分の原点だと思う。
最初は「起業」に興味を持って始めたが、次第に(雑にいうと)日本と海外のマーケティングに関するスタンスとクオリティの違いに愕然とし始めた。
その危機感もあってか、次に飛び込んだのは、上場企業のWebメディア・広告事業だった。月間1,000万PV規模のメディアで媒体側の広告管理を担当しながら、メディア改善・立ち上げや開発、データ分析などにも関わった。
その後、「もっと事業に直接貢献できる力や視野が欲しい」と思い、会社を立ち上げた。事業戦略、ブランド設計、デジタルマーケティングなどを横断しながら、クライアントの事業成長を支援する仕事だ。必要であれば開発やプロダクトづくりにも踏み込む。とにかく「事業を前に進めるために必要なこと」をやり続けてきた。
一人で事業をやるということ
そんなキャリアの流れで、独立してからは当然「全部自分でやる」ということが必要になった。
営業もするし、戦略も考える。マーケティングもやれば、制作や開発に手を動かすこともある。事業を前に進めるために必要なことは、とにかく全部やる。
それがとても面白かった。アイデアが浮かんだらすぐ試せるし、意思決定も速い。(クライアントがいる場合は別だが)誰かの承認を待つ必要もない。自分の頭で考え、自分の手で動かす。そんな環境は、純粋に楽しかった。
ただ、続けていくうちに裏返しの感覚も生まれてきた。
一人でできることには、どうしても限界がある。
今の仕事を取り巻く構造に疑問を持ってしまった
もう一つ、強く感じるようになったことがある。
マーケティングの構造を理解すればするほど、業界全体に対して違和感を持つことが増えてきたのだ。それは、ブランド設計とマーケティング運用が、あまりにも分断されていること。
本来であれば、ブランドの思想とマーケティング施策は一心同体として設計されるべきなのだ。しかし実際の現場では、業務効率や組織構造の都合によって、ブランディングとマーケティングが完全に切り離されていることが多い。(会社の縦型構造が起因してる面もあるのかな)
その結果、「事業にとって本当に有用な仕組み」よりも、「業務として回しやすい構造」が優先されてしまう。
これはクライアントワークを通して、何度も感じてきた違和感だった。
私は、ブランディングには単なるビジュアルや認知を広げる以上の力があると思っている。
例えば、ブランドが整うと、マーケティングの施策を強力にするだけではなく、ステークホルダーがその事業に誇りを持てるようになる。働いている人が、自分たちの仕事に意味を見出せるようになる。
ブランドが事業を推進させる。そういう瞬間を、僕は何度も見てきた。
だからこそ、ブランディングは単なるデザインではなく、事業作りそのものに関わる行為だと思っている。事業全体のさまざまな視点で仕事をしてきた自分だからこそ、自分が信じるブランディングと共に、しかし枠は閉じず、事業そのものを伸ばしていくことまで関わりたい。
その理想を実現するための経路が、「一人で戦う」中ではなかなか見えなかったのだ。
私が進むために必要としていたもの
迷子になった中で、壁を越えるために自分が欲しかったものは三つあった。
一つ目は、ブランディングやクリエイティブを単なる表現で終わらせず、事業を前進させ、利益を生む仕組を設計・内包させる力。
二つ目は、その設計を実際に動かす駆動力。圧倒的に高い視座から事業を見渡し、本質的な意思決定と手を動かす事ができる個々のメンバーがいること。そうした人たちと議論しながら事業に向き合える環境。
三つ目は、そのメンバーを束ね、高難易度のチャレンジに耐えうる強度を持つ個人をチームへ昇華させるマネジメント。個人が優秀であることだけではなく、その力を束ねて前進する組織の構造がなければ、大きな挑戦は続かない。
しかし、とても悔しいことに、自分にはそれを作り切ることができなかった。「覚悟」「賭ける時間」「お金」「能力」「体力」。何を言い訳にしたらいいかもわからない。途方もなく遠く感じた。
そんなことを考えていた時に、セブンデックスと出会った。
なぜセブンデックスだったのか
最初にセブンデックスのことを知ったとき。実績や会社の成り立ち、そして掲げているスタンスを見た瞬間に、自分が求めていたものに最も近い場所かもしれない、と感じた。いや、自分が思い描いていた到達点のさらに先を、すでに走っていた。
セブンデックスは、「社会に熱狂を生み出す企業をつくる!」という志のもと、2018年に創業しました。 日本にはもっと可能性がある。もっとイノベーティブで、もっとエネルギーに溢れた、世界を席巻する国になれる。私たちはそう信じています。 現在は、 「統合的なマーケティングとブランディングを行う、ビジネス・クリエイティブ・スタジオ事業」 「人・キャリア・組織を最適化する、HRソリューション事業」 の2事業を展開。 あらゆる産業に新しい可能性を次々と提示する、「時代を席巻する会社」を目指しています。
会社リンクは記事の最後にまとめますね
セブンデックスは、私が遠くに見ていた「仕組み」「人」「チーム化」を持ってして絶壁のように見えていた道の「ここから登れる!!」をよじ登っていた。
ぶち抜く思想と姿勢でクライアントと向き合い、仕組みを作り込む。そして、「このくらいのメンバーじゃないと、そもそもこの思想は実現できないよな」と思わされるほど、一人ひとりがとても強い。その一人一人がきちんとチームとして機能している。
私が壁を越えるにはここしかない。
ここなら、自分が見えている目的地に向かって本気で進めるかもしれない。
残りの7.3万時間を遊べるかもしれない。
そう思い、私はセブンデックスへの入社を決めた。 END
恵比寿にあるセブンデックスオフィス