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私のストーリー

Photo by Sichen Xiang on Unsplash

私は父が医師でもあり、将来は医師になることを期待されて育ちました。

でも親の敷いたレールを歩むというような画一的なことが嫌いな子供でした。ひろみちゃんはお医者さんんになるんでしょ、と言われるのが嫌でしたが、高校生になっていよいよ職業というものを真剣に考えた時、医師という仕事って人の役に立つし私の性格的にも向いてそうだなと思い始め、初めて前向きにこの医師という仕事に向き合いました。

実際にボランティアなどをして病気の人に触れ合いました。

きっとこの道に行ったら誰かの役には立てるかもしれない、そんなところから大学に入りました。


医師になってからは毎日鬼のように忙しかったですね。仕事して夜は先輩方と飲み会で、、病院てそんな時代でした。激しい毎日で鍛えていただきました。

病院時代も楽しかったです。日々の急な事態に対応するのも得意でした。

処置も好きだったし内視鏡なども面白くてずっと病院で働いて、大学病院にも行って研究もしてバリバリやっていくものと思っていました。


ある関連病院先で、週1回の研究日をもらえることになりました。


その時に私は結婚していて、0歳の子供がいましたが、夫が保険会社の営業マンだったのですが勉強して医学部に入学することになったので、私が稼ぎ頭になることになりました。

割りのいいバイトを探さねばなりません。それで巡り会ったのがプラタナスの関連の施設を預かる管理医師のお仕事でした。病院を出て施設に行くのも初めて。夜にも急変があったら対応する仕事で忙しい中にさらにいつでも連絡が来るバイトで大変でしたが、病院以外にも医療現場があることを知りました。

そこの事務長さん達とも親しくなり、プラタナスを私のメインの職場にすることになりました。


病院を辞めると、まずは有床診療所の緩和ケアのお仕事でした。

そこで緩和ケアのスペシャリストの先生や、技術をもった看護師さん達に出会えました。

緩和ケアのことは医師になってずっと興味があった分野で呼吸器内科では切っても切れない仕事。その時の経験を生かしながら在宅での緩和ケアが始まりました。

病院でやっていたものとは、でも違っていましたね。数値だけでみていかないやり方や、モニターなどのない環境でのお看取り。新しい経験ばかりでした。

その頃第二子妊娠中だったので、出産してからいよいよ本当の就職という感じでした。


在宅医療はやはり普通のお家に行ってなんぼのところがあります。家と施設もまた違う。家の方が個性が濃く出るので面白いです。家の間取りやインテリア、置いてあるもの、片付き方、全てに本人の好みやなぜこの人が病気になったのかがわかります。

その環境で医療を行うことはとても面白い経験ですっかりハマってしまいました。

桜新町アーバンクリニックは法人の中でも最も忙しく、ICTを利用した革新的な医療を行うクリニックです。そこで恩師に出会い、仲間に出会い楽しい毎日を過ごしました。




しかし実家を継がないとならないことや、夫が医学部を卒業し初期研修が始まることもあって住む場所を決める時がきました。将来を考え実家のある栃木県に移住することになりました。

関医院は祖父の代からある小さなクリニックで、外来のみをやっている状態でしたが、祖父はいわゆる赤髭先生的な感じで往診して治療をする医師でした。

原点回帰のような形ですが、図らずも私がやりたいことでもあったので、関医院でも少しずつ訪問診療を行うことが決まりました。


並行してアーバンの遠矢先生の勧めもあって、スウェーデンのカロリンスカ研究所とシルビア女王が始めた、内科医のための認知症ケア講座というオンラインの大学院を開業して学び始めました。オンラインでしたが世界中の仲間と英語を使って認知症について議論したりレポートを書く生活は、育児と臨床しながら大変でしたがなんとか形になって、最後はスウェーデンにも赴き卒業証書をいただくことができました。





少しずつ患者さんも増えて今では訪問看護ステーションを併設し、医師も増えて少しずつ拡大傾向です。これからもたくさんの方をお受けして自宅で生活しながら医療を受けることを希望するみなさんに質の高い医療が提供できるようにしていきたいです。


これから、、、


常勤医師が4月には3人になります。

訪問診療、外来、どんどん幅を増やしていきたい。

訪問診療はこれから先ニーズの高まる医療です。病床が少なくなるので地域に帰ってくる人が増えますし、家でできる医療もたくさんあるので入院しなくてもがんの末期の方が過ごせる仕組みが構築できます。その関わりは非常に濃厚で人間性が現れる医療の現場です。その部分の勉強はしっかり自身も学んでいきますしスタッフが学べるように、定期的な勉強会や学会などの参加も当院ではサポートしています。



地域づくりにも関わりたいので、一般の人と繋がれる場を作りたいと思っています。

具体的には、健康について発信できるようなオーガニック食材の量り売りショップ、カフェを開業したいと思っています。そこでは、地域の人がいつでも買い物やお茶しに来れてそこで時々健康相談や介護について、栄養について相談ができて、発酵食品についてのワークショップとか、運動とか、そういうことができる場所が作れたらいいなと思っています。

病気になる前の段階でならないようにしないといけません。これからは予防の時代。

病気も美容も予防の時代です。


美容といえば、美容医療もやりたいことの一つです。

今、美容も学べる皮膚科で週1回勉強に行っています。ずいぶんいろいろな美容医療を経験させてもらいできるようになってきました。

当院にはフォトフェイシャルがあり、一番長く基本的な肌質を良くする治療が提供できます。追加メニューも考えていますのでお楽しみにして下さい。


私はいろんなことに興味が湧いてしまうので、仕事も上記の如く多種多様ですが、それぞれ1人ではできません。

思えばこれまでもたくさんの人と出会って、助けてもらってやってきました。

これからの夢の実現にもきっとそれが必要。。。

料理の作れる人、漢方の詳しい人、緩和ケアができる人、美容医療のできる人、リハビリができる人、それらをマネージして私の思いつくアイディアを形にしてくれる人、そんな才能のある方が仲間になってくれたらいいなあと思います。

以上、なんとなく私のこれまでを書いてみました。

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