こんにちは。ペンタインの採用担当・峯村です。
私は2018年からペンタインに入社したわけなんですが、(それ以前から前職でのお付き合いはあったにしろ)ペンタインの事をそもそもよく知らないよな、と気づきました(営業、広報、採用担当なのに…)
という事で、ペンタインを最もよく知る人物・社長にこれまでのペンタインの歩みを聞いてみました。
日本で見たのは、派遣エンジニアの悲哀
そもそものお話ですが、いつ、そして何故、日本に来たのですか?
私が日本に来たのは1999年でした。ちょうど今年で20年になります。
当時の韓国の情勢は、1997年に起きた経済危機(IMF経済危機、韓国通貨危機)により、経済界は大混乱の時代でした。この時代、多くの韓国人が海外に職を求めて海を渡しましたが、私もその一人でした。
なるほど、そうゆう時代背景だったんですね。来日した当初はどのような仕事をされていたのですか?
しばらくはメーカーの、あるパッケージソフトの開発案件に従事していました。この当時は、後に主力ビジネスになるOracle-EBS案件ではなく、Oracle-Formsを利用した開発案件でした。
Oracle-EBSは2002年に初めて携わりました。当時は大阪まで行って、300時間労働のハードな現場でしたね。リリース直前に機能漏れがあって、皆が必死で修正、テストする中、徐々に手を引くソフトハウスも出始めて…そういったギブアップしていった人たちの作業も自分が引き取ってやっていたから、本当に大変だったけど、お陰でクライアントとの深い信頼関係ができましたね。
2006年4月にペンタインを創業されたわけですが、1999年の来日以降、どういったいきさつがあったのですか?
そもそも自分の考えとして、40歳をターニングポイントとして、自分の能力・その後の人生を全て捧げたいと思える会社に入るか、あるいは自分で会社を立ち上げるか、どちらかを選択しようとずっと心に決めていました。
当時所属していた会社では、取締役でしたが、「全てを捧げるのは、この会社ではないな」という思いがありましたし、クライアントからも「独立しないか?」を言われたこともありました。この時「独立は考えていますが、今じゃないです」と言ったことを覚えています。後に独立後の挨拶の折には「力を貸すよ、何をすればよい?」等と言って頂きました。
また、1999年に来日してから2006年まで、日本のIT業界で働きながら見てきたのは、『派遣』で働くエンジニアの悲哀でした。お給料についても、職場での扱いについても、私が見てきた現実は、決して良いものではありませんでした。
故に、「技術力を持ったエンジニアが、相応の待遇を得て、活躍できる場を作る」という目的、「リーダーを中心としたチームでプロジェクトに取り組むこと」「上流工程からプロジェクトに関わり、下請けではなくプロジェクトの推進役として仕事を請けること」「それができるクライアントとお付き合いすること」という方法も定まって、2006年4月に1人で会社を立ち上げました。
赤字の仕事、ありがたかった
↑社内勉強会の様子。社長自らが社員教育を行っていた
会社を立ち上げてからのエピソードなどを教えてください。
会社立ち上げから半年間は、一切仕事がありませんでした。企業時の蓄えを食いつぶし、ただ座っているだけの毎日の中、秋に同じ韓国人の先輩社長から請負の仕事を頂きました。とある会社のスケジュール管理システムや、テーマパークのシステム開発に携わったのがペンタインとしての最初の仕事でした。
その後、かつて一緒に仕事をしたメーカー系SIerから、Oracle-EBSの案件を頂きました。更に親会社であるメーカーとも直に取引をさせて頂き、会社が軌道に乗りました。社員も徐々に増えていき、30名ほどの規模になっていました。
日本有数のメーカーとプライムでお取引させて頂けたお陰で、品質管理のノウハウなども構築することができ、更に受託開発ができたので、人を育てることもできました。
また、私も常にプロジェクトにアサインし、リーダーとして、自ら社員たちのマネジメントをしていました。若い頃の私はかなり熱くなりやすいタイプだったので、そんな私と合わなくて辞めてしまった社員もいましたが、それでも社員は増え続け、売り上げも上がっていきました。
しかしそんな時に起きたのがリーマンショックでした。
リーマンショックの際、どのような打撃を受け、そして乗り越えたのですか?
当時の、月次の売り上げが3分の1以下に落ちました。そして、クライアント先に常駐している社員たちが本社に帰ってきて、仕事が無い状況が続きました。それでも社員の給与を払い続けるために、私をはじめ、幹部たちが身を切りました。助成金制度等も活用しながら、何とかしのいでいました。
そんな状況の中、先に挙げたメーカー系SIerが仕事を発注してくれて、受注ができました。正直なところ、赤字の仕事でしたが、少しでも売り上げを上げた方が良いので、ありがたくお請けしました。そうやってやれることをやりながら、徐々に業績が回復していきました。
本当に助かりましたね。その他にも、当時発注をくださったクライアント達とは取引が続いています。
ペンタインが設立当初から心がけていたことは、「法律のグレーゾーンは攻めない」です。法令は必ず遵守する、当たり前のことですが、これが海外、とりわけ韓国から来た経営者には当たり前でないことだったりします。当時、韓国では、「税金をまっとうに払ったら、会社がつぶれる」などと言われるような事情もあって、如何に税金額を少なく収めるか...等を考える経営者が一定数いました。そのような考え方を変えずに日本で起業し、結局倒産させてしまった韓国人経営者もいました。
そもそも、法令順守ができないような企業は、大手企業、経営がしっかりした企業から相手にされません。商流が低いロースキル案件だけやるならば、そこまでコンプライアンスに気を使わなくても良いでしょうし、仕事がもらいやすくもなるでしょう。しかし、ペンタインは設立当初の思いを実現し続けるために、上流工程の仕事、プライマリーやセカンダリーのポジションで仕事を請ける必要がありましたから、コンプライアンスについては注意を払ってきたつもりですし、その結果大手企業、経営がしっかりした企業とお取引ができていました。
そのお陰で信頼関係ができ、リーマンショックを乗り越え、今日もお取引が続いている結果につながっています。
私たちが逃げてはいけない
↑受託開発の様子
今でもそうですが、ペンタインは社長をはじめ、韓国から来たエンジニアが多く在籍しています。2011年3月11日の東日本大震災について、影響は無かったのですか?
震災直後は退職者はいませんでした。
しかし震災後、原発事故などについて、日本国内メディアは国民にパニックを起こさせないために、冷静・慎重な報道をする一方で、海外では誇張も含めた過激な報道が繰り返されていたようです。それを見た社員たちの親、親戚、友人たちから「早く韓国に帰ってこい!」「何でそんな危ないところにいるんだ!」等と帰国を促された社員がたくさんいました。
中には、「帰ってこないなら親子の縁を切る」とまで言われて、やむなく退職し、帰国した社員がいました。韓国の文化では『勘当』されるということは、とてつもなく重い話なのです。
また、配偶者から「帰国か離婚か、好きな方を選べ」と言われて、致し方なく退職・帰国した社員もいました。そうやって数人が、震災後しばらくしてから退職していきました。
私の元にも、妻の親が来日し、帰国するよう説得しに来ました。彼らには、東京の生活にはさほど影響がないことを説明した上で、「自分は小さい会社をやっている。その社長が、家族だけでも国外に逃がしたら、社員はどう思うか?不安になるでしょう。だから私たちはブレてはいけないんです。どんと構えていなきゃいけないんですよ」と、何とか説得し返しました。
副産物的な話ですが、後に、私の一家は近隣からとても良い評価をされたようです。「崔さんの家族は、外国人たちが相次いで母国に帰る中、ずっと日本にいてくれた」という事で...。
あの当時は、スタッフが母国に帰ってしまって営業ができなくなった中華料理屋等も結構ありましたからね。
ただ、社員たちの家族については、それぞれの判断に任せていました。家族だけ一時的に母国に帰った人たちもいました。つくづく、私の家族はよく我慢してくれたなと思います。
2008年にリーマンショック、その後盛り返してきたところで震災、2つの危機で社員が減っていってしまいました。
それからは、私も、社員たちも、全員が社員採用に力を注ぎました。毎年毎年、日本・韓国両方で、リーマンショックや震災で会社が倒産してしまった仕事仲間や、転職を考えているかつての仕事仲間等に声をかけ、徐々に社員が増えていきました。人脈・信頼だけでやってきましたが、ようやくリーマンショック前の規模に戻ってきたところです。
今現在の話で言えば、大震災前から所属している社員は片手で数えても指が余るほどしか残っていません。大半が2012年以降の入社社員です。我々の世代でここまで規模拡大ができましたが、これからは峯村さんが倍増させてくださいね。
まじか。頑張ります。
ペンタインを未来に残したい
昨今、会社規模としてはリーマンショック時のピークの頃に追いつきつつあります。今後のビジョンについても聞いてよいですか?
2016年までの10年間は、ペンタインはワンマン経営でした。何をするにしても、私が判断し、口を出していました。しかし、ペンタインは私がいなくなっても残り、成長し続ける会社であってほしいと思い、2017年から組織の再編を始めました。
現在、SI/ERP事業部1とSI/ERP事業部2、営業統括部の3部門がありますが、それぞれの事業部長に裁量を持たせ、営業・採用・承認等、事業部単位での意思決定が可能になっています。
これから先は、社員が50名、100名と増えても問題ない組織体制の強化をしたい。その足元固めの作業を今やっているところです。
また、新しいビジネスをやりたいと思っています。突拍子の無いものを作るのではなく、Oracle-EBSの様に、「〇〇〇の業務ならペンタインに任せてください!」と言える技術を主力としたビジネスです。それも今、当社と付き合いが長くなってきたクライアント達と話を進めています。
組織体制の強化とビジネス拡張が成功し、会社がうまく回るようになったら、ペンタインのために頑張ってきてくれた下の世代に会社を任せ、身を引きたいと思っています。
ペンタインという企業を知る上で、歴史とビジョンは欠かせない情報ですね!
少しでも共感を感じてくださった方は、是非お気軽にエントリーしてください!