自分の価値は、どこで生まれるのか ─ 成果主義と“存在価値”のあいだ
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「ちゃんと成果出してる?」
「結局、数字がすべてでしょ?」
そんな言葉を、自分自身にも他人にも向けてしまう瞬間がある。
SNSを開けば、年収・実績・フォロワーなど数字で溢れている。
目に見える何かで「価値」を証明している人が、そこらじゅうにいる。
そのなかで、自分が“何者でもない”ような気がしてくる。
■ 成果が出ない自分には、価値がないのか?
仕事がうまくいっていない時期、
転職して間もない時期、
育児や介護でキャリアが一時停止しているとき。
ふと、自分の存在が“役に立っていない”ような気がしてしまう。
周りは動いているのに、自分だけが足踏みしている気がする。
そして思ってしまう。「自分って、今、何の価値もないんじゃないか」って。
■ 成果主義の世界で、私たちは何を失ったのか
確かに、成果を出すことは重要だ。プロとして結果を出す責任はある。
だけどそれがすべてになったとき、“人としての価値”と“役割としての成果”が混ざってしまう。
・成果を出せている自分=価値がある
・成果を出せない自分=意味がない
この構造に巻き込まれると、
どんなにがんばっても安心できないし、
何かが崩れた瞬間に、自分ごと否定されたように感じる。
■ スピノザはこう言った。「すべては、そのままで完全だ」
哲学者スピノザは、「不完全」という言葉自体が人間の幻想だと説いた。
何かが“欠けている”ように見えるのは、勝手に理想を想定して、そこに足りないと判断しているだけ。
すべての存在は、ただ“そのように”在る。それでいい。
人も同じだ。
成果を出していないときも
何者にもなれていないときも
それでもちゃんと“存在している”ということ自体に、意味はある。
■ 存在価値は、静かに積もるものかもしれない
チームの空気を和らげる人。
何気ない一言で誰かの背中を押す人。
誰かの隣に、ただいる人。
そんな「成果にならない関係性」が、
長期的にチームや組織の“熱”を保つ潤滑油になっていることもある。
それが評価に直結するとは限らない。
でも確かに、存在しているだけで場が変わる人はいる。
そんな価値は、いつも静かで、数字では測れない。
■ “役に立たない”時間にこそ、人の価値が宿ることもある
今、あなたが目に見える成果を出せていなかったとしても。
誰にも評価されない時間を生きていたとしても。
それでも、あなたの存在には意味がある。
成果主義の世界にいるからこそ、
“自分の存在そのもの”を見失わない感覚が必要なんだと思う。
だから最後に、こんな問いを置いておきたい。
「あなたの存在価値はなんだろうか?」