大久保旭紘(AS事業部・キャリアアドバイザーマネージャー)
グループ会社の不動産SHOPナカジツで不動産営業を経験後、MUSUBUへ出向。現在はCA(キャリアアドバイザー)組織のマネージャーとして活躍中。
株式会社MUSUBU 事業推進部の山本です。
今回はキャリアアドバイザーのマネージャーとして安定的に高い成果をあげている大久保くんにインタビューを行いました。
前後編にわけてお届けします。
親会社である不動産SHOPナカジツから出向者として、MUSUBUの人材紹介サービスの初期から事業に関わってきた大久保くん。
前編である今回は、出向の経緯と、MUSUBUの業務をキャッチアップしていったプロセスをご紹介します。
普段はお父さんのような落ち着いた雰囲気でみんなを支えてくれていますが、親会社の不動産SHOPナカジツで悩んでいた時期もあったようです。
そんな大久保くんが今、MUSUBUで前向きに仕事をできている理由とは?
是非、ご一読ください。
目次
親会社の不動産SHOPナカジツの退職を考えていたところ、予想外の提案としてMUSUBUへ出向
―まずは経歴を教えてください。新卒ではなぜ不動産業を選んだのでしょうか。
―そんな中、MUSUBUに出向が決まったきっかけはありましたか?
人材紹介の事業すら知らない中でMUSUBUへ出向。結果として、MUSUBUでしか出来ない経験も。
―MUSUBUへの出向を提案されたときはどんな気持ちでしたか?
―元々は転職という選択肢もあった中でしたが、振り返るとどうでしょうか。
優秀な年下メンバーからの刺激を受け、がむしゃらに取り組む。
―MUSUBUに出向してきてからはまずは何に取り組みましたか?
―立ち上げたばかりの会社での新規開拓は大変だったと思いますが、頑張れた理由はありますか?
担当エリアの変更をきっかけにCAとして自分だからできることを模索。
―今はCAとして活躍していますが、最初はRAだったんですね。
―CAに異動していかがでしたか?
―他のエージェントのことも意識し、”人材紹介”とは何か考え始めたんですね。
―成果も上がってきて、キャリアアドバイザーという仕事に対する感覚も変わりましたか。
―「もっとがんばる」ためには何をしたんですか?
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親会社の不動産SHOPナカジツの退職を考えていたところ、予想外の提案としてMUSUBUへ出向
―まずは経歴を教えてください。新卒ではなぜ不動産業を選んだのでしょうか。
単純に「楽しそう!」「稼げる!!」と思って入社しました。
僕は岐阜県出身で、大学では経営学部だったので、就活ではなんとなく岐阜の地銀など金融機関に入社するのかなぁ、と思っていました。
当時の新卒の就活は12月に選考が開始するスケジュールでしたが、銀行は4月からだったので、それまで練習で選考を受けようと思い、合同説明会で声かけられて、面白いなと思ったのが不動産SHOPナカジツに入ったきっかけです。
両親も固い社風の会社に勤めていたので、若い社員が多く活気のある不動産SHOPナカジツは新鮮に感じたのを覚えています。
ただ、入社してからMUSUBUに出向するまでの6年は全く活躍できませんでした。
全く売れない、というわけではないものの、高い成績を残すことはできずにいたので、後輩が支店長になったり、全社で表彰されていたり、どんどん抜かされていくのを感じ、正直、逃げたかったです。
ただ、周りの人に恵まれていたので、なんとなく「辞める」という意思決定ができず、ずるずると続けていました。
営業として良い成績をあげたこともありますが、継続的とは言えなかったですね。
―そんな中、MUSUBUに出向が決まったきっかけはありましたか?
実は、MUSUBUに出向する前に転職活動をしていて、稼ぐよりも楽をしたいから「ルート営業かな」と安易にルート営業の求人を受け、内定も出ていました。
転職先が決まったので、退職を申し出たところ、その時の直属の上司はOKだったのですが、1年目にお世話になった上司から引き留められました。
妻もいる自宅に19時頃に来て、夜中の1時頃まで粘られました。たまたまですが、一緒に出向してきた小島もその上司と一緒に家に来ていました。
自分としては、”会社”は嫌いじゃなかったので、ちゃんと話そうというスタンスで対応していましたが、「残ろう」と決めたのは、正直、熱量に負けたからです。
「残る」って言わないと、この人たち帰らないんだなと思いました(笑)。
不動産売買の営業をやっていたのですが、「別の支店で営業をやってみてはどうか」「他の上司についてみたら変わるのでは」など、言われた記憶があります。
自分としては、一度退職を申し出ている以上、「不動産売買の営業はもう熱量をもってやるのは難しいだろう、残るなら別のポジションだな」と思っていました。
会社は嫌いになっていないから、受け入れてくれるポジションがあるならどこでも行こうという気持ちでした。不動産売買営業からの異動先は、普通は管理部など本社のポジションか、仕入れ営業だろうな、と思っていたのですが、会社の執行役員との面談をして、提案されたのがMUSUBUでした。
↑左:大久保さん、右:同期の小島さん
人材紹介の事業すら知らない中でMUSUBUへ出向。結果として、MUSUBUでしか出来ない経験も。
―MUSUBUへの出向を提案されたときはどんな気持ちでしたか?
その当時は全く抵抗はなかったです。
会社に残ることについては腹をくくっていて、どこになるんだろう、仲介かな、と思っていたところで、正直、グループ会社として立ち上がっていたMUSUBUのことはほとんど知りませんでした。
イメージとしては「役員の引地さんと、当時最初に出向していた坂本さんのいる部署」くらいの認識です。人材紹介の事業すら知りませんでした。
何をやっているかもわからない中、好奇心で飛び込んでみた、という感じです。
今振り返って考えてみると、MUSUBUへの出向を決めたのは、すごい決断だったなと思います。当時の役員には、「引地さんの下なら成長できるから!」と言って、送り出してもらいました。
―元々は転職という選択肢もあった中でしたが、振り返るとどうでしょうか。
結果的には、会社に残り、MUSUBUへの出向を選んで、よかったと思っています。
あのまま転職していても、転職先でまた中途半端に終わっていたのではないかと思います。
当時の自分は無知だったな、と思いますね。キャリアアドバイザーの仕事をしてみて、ルート営業の求人=楽ではないことは理解できましたし、土日休み等の条件や「将来の幹部候補」と言うキャッチフレーズに惹かれて決断したことも反省です(笑)。
今は、MUSUBUでマネージャーポジションも担っていますが、きっと転職していたら、その先20年平社員だったんじゃないかと思っています。
マネージャーを任せてもらえるというチャンスは、不動産SHOPナカジツにあのまま残っていても無かったと思うので、MUSUBUで経験を積めて本当によかったです。
振り返ってもよい選択でした。
優秀な年下メンバーからの刺激を受け、がむしゃらに取り組む。
―MUSUBUに出向してきてからはまずは何に取り組みましたか?
最初はずっと電話ですね。
かんたん採用サイト制作ツールである「MUSUBU+」を売ろう!と、新規開拓の架電を介護系企業をターゲットに一日200件、300件していました。
正直、アポは全然とれず、前課金のサービスにお金の出せない企業も多かったので、アポに行っても受注までは難しかったですね。
その後、人材紹介の求人獲得で新規開拓に取り組みましたが、リストの上から順番に、何をやっている企業かもわからず、とにかく電話をかけていました。
人材紹介の方がアポは取りやすかったですが、不動産業時代はお問い合わせのお客様への追客がメインだったので、ゼロベースでの電話が初めてで、そこから数字をつくる大変さに絶望しましたね。
―立ち上げたばかりの会社での新規開拓は大変だったと思いますが、頑張れた理由はありますか?
MUSUBUに出向して衝撃を受けたのが、リクルートから入社した芦川さん、岩佐さんが自分よりも1つ年下だったのですが、全てにおいてレベルが高く、違いに絶望しました。
「ここでこいつはだめだと見捨てられたら終わりだ!!」「とりあえず、がむしゃらにやるしかないな!」と思い、がむしゃらに取り組みました。
不動産も頭は使いますが、人材業界は頭の使い方が違います。とにかく行動をして、結果で示さないと!という気持ちでした。
担当エリアの変更をきっかけにCAとして自分だからできることを模索。
―今はCAとして活躍していますが、最初はRAだったんですね。
RAとしてはだんだんアポがとれるようになり、芦川さんと商談に行ったり、CAの岩佐さんの力もあって、初決定ができました。
でも正直、自分の中でしっくりきてなかったです。
決定ができたのは周りの力が大きく、自分は企業との連絡係として伝書鳩をしていただけ、という感覚でした。
RAとしても「自分はやっぱり中途半端だな」と思う中で、CAへの異動の話があり、もともと個人営業だったので、「ちょっと、こっちでがんばってみよう!」という気持ちで異動しました。
当時CAは4人だけだったのですが、その中で自分は東海エリア以外に在住のカスタマーとの面談担当になりました。
―CAに異動していかがでしたか?
当時は月に50人くらい面談していて、正直、記憶がないです。自動的に面談が入ってくるので、忙しさをコントロールすることもできない状態で、13時、14時、15時、と毎時間面談でした。
ずっと会議室にこもって、面談して、オフィスの席に戻ったらもう誰もいない、ということもよくありました。
面談したカスタマーの方の転職活動の状況も把握しきることができず、50人面談して月に1名決定が出せている、という状況でした。忙しさの中で、やることに常に追われているので、仕事に対してもやもやしたり、考える時間すらもありませんでした。
そこから、東海エリアのカスタマーの担当に変更になり、面談が減って、「時間がこんなに使える!」と嬉しかったのを覚えています。時間ができたので、カスタマーととにかく接点をたくさんとることを意識し、何時でも電話していました。
それまで、MUSUBUに出向してから1年弱の経験の中で、”人材紹介をしている”と自信を持って言えるサービスは出来ていなかったと思います。
そんな中、他のエージェントも使っているカスタマーとの面談を重ね、自分は何ができるかを考え、「まずは、そのカスタマーのことをしっかり考えよう」そして「接点を増やそう!」とできることは全部やるようになりました。
ここから、”人材紹介”として自分ができるサービスを考え始めたと思います。
―他のエージェントのことも意識し、”人材紹介”とは何か考え始めたんですね。
不動産SHOPナカジツでは、東海では知名度もある会社なので、「売ろう」と意識しなくても、買ってくれるお客様がいました。
MUSUBUは、カスタマーから会社名すら間違えられてしまう知名度の低さです。「転職活動をしよう」と思って、「まずMUSUBU使おう」というカスタマーはいないですよね(笑)。
そんな中、大手エージェントを使ってから登録してくれるカスタマーに対し、大手ではどのような対応をされたのか、何を求めていて、どうしたら大手に勝てるのか、勝てるところがあるんじゃないか、と考え始めるようになりました。
他のエージェントで「書類も見てくれなかった」「面接対策をしてくれなかった」「求人が自動的に送られてくるだけだった」「メールでの事務的なやりとりだけだった」という声もあり、これは勝てるかも!!と考えるようになりました。
初回面談では、自分なりにカスタマーが思っていることをちゃんと聴くことを大切にしていて、実際に面談後のアンケートで「ちゃんと聴いてくれました!」と感想をもらったこともありました。
面談数は月20件くらいに減りましたが、毎月、複数名決定ができるようになりました。
―成果も上がってきて、キャリアアドバイザーという仕事に対する感覚も変わりましたか。
月50名面談をしていた時期と、「全然違うな」と思ったのが、「転職が決定した人の経歴や強み、エピソードをしっかり覚えていて語れる」ことです。
月50名面談をしていた時期は、正直、カスタマーのことを応募書類やメモを見ないと思い出せないことも多かったのですが、細かいエピソードも思い出せるようになり、「転職を支援している」という実感が持てるようになりました。
ただ、その時に上司だった岩佐さんとの定例ミーティングで、「ちょっとできるけど、爆発しないよね。このままだと先に辞めそう!また中途半端で辞めるわ!」と言われてしまいました。この言葉にむかついたことで、「もっとがんばろう」と思うようになりました。
―「もっとがんばる」ためには何をしたんですか?
決定する確率を上げたいと思い、カスタマー紹介をもらえるよう意識して取り組みました。決定する確率が一番高いのは、紹介いただいたカスタマーだったからです。
当時は、スカウトなど自分での集客はしていなかったので登録のあったカスタマーへの対応でしたが、受け身で登録者を面談するのではなく、積極的に紹介をもらおうと動きました。今でも定期的に、紹介をもらえるような動きには取り組んでいます。
まず、紹介のカスタマーは他のエージェントを使っていないことも多く、またこちらとしても、紹介してくれた人の顔もあるので、時間をちゃんと使おうという意識で対応ができるのも大きいかもしれないです。
紹介されるカスタマーにとっては、知らない転職エージェントであるMUSUBUを紹介され、面談に来ていただいたからには、しっかり対応したいと考えていました。
実際に紹介いただいたカスタマーからも「自分のことを知ろうとしてくれると感じる」「自分だけに時間を使っている感覚だった」と喜んでいただいたこともあります。
ちょっとずつ、このやり方でいいのかな、と自信がつきました。
ーありがとうございました!
いかがでしたでしょうか。
後編では、キャリアアドバイザーの組織も10名以上に拡大していく中で、現在マネージャーとして活躍する大久保くんのマネージャーとしての考え方や今後に対する思いを伺っています!
後編も是非、ご一読ください。
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