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「自分の言葉」でできる仕事を。ライフイベントの中でもキャリアの軸を見失わない強さの秘訣(前編)

株式会社MUSUBU 事業推進部の山本です。

今回は、AS(人材紹介)事業部のRA(法人営業)マネージャーとして活躍する亀子さんにインタビューしました。

ロシア語も話せて、子育てをしながらフルタイムで働く亀子さん。大手人材紹介会社でのキャリアを経て、創業期のMUSUBUに転職した理由やMUSUBUの魅力を伺いました。

前編・中編後編の3つに分けてお届けします。

今回の前編では、新卒は外向官という異例のキャリアの亀子さんが、なぜ「営業職」を選んだのかご紹介します。

映画で憧れていた外交官という夢を叶えながら、現実的に働く中で大切だと気付いた、亀子さんの働く軸とは?

是非ご一読ください。

目次

  • 憧れの外交官になるも現実を知り、地元で営業職に

  • ―まずはキャリアを教えてください。新卒ではどのような仕事をしていたんですか?

  • ―ナカジツの営業に転職したんですね。外交官から営業というと、ギャップが大きそうです。

  • ―実際に営業をやってみてどうでしたか?

  • 「お客様に最適解を提案する仕事」に魅力を感じ人材業界へ

  • ―その後、MUSUBUと同業の人材業界でマイナビに転職されていますが、なぜ人材業界に転職されたのでしょうか?

  • ―今は法人営業(以下、RA)なので、CAをしていた亀子さんが想像しにくいです。

  • ―マイナビさんでRAに異動したのはどんなきっかけだったんですか?

  • ―外交官をやめるタイミングで思い描いていた営業職という観点ではどうでしょうか?

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憧れの外交官になるも現実を知り、地元で営業職に

―まずはキャリアを教えてください。新卒ではどのような仕事をしていたんですか?

新卒では外務省の仕事、厳密に言うと外郭団体で働いていました。

幼い頃から海外での仕事に憧れていて、外交官になりたいと思っていたんです。

大学では国際学部という、授業は英語で実施し、必ず留学に行かなければいけない学部に属していました。当時は交換留学でラトビアという、公用語にロシア語が含まれる国へ留学しました。

外務省に入省すると、海外に配属されるには2~3年の下積みが必要ですが、外郭団体へ入るとすぐ海外へ行けるルートがあったので、嘱託社員として3年ベラルーシに勤務しました。

ところが、働いてみると憧れていた外交官のイメージと違い、普通に公務員だなぁ、という仕事でした。

まず自分の言葉で話すことはできず、全て本省にお伺いを立ててからでないと何も意見したり伝えたりできない環境です。前例がないことはもちろんできません。

憧れていたけれど、リアルってこんなに違うんだ、と目の当たりにしましたね。

任期を終え外務省に転籍できる権利もあったのですが、愛知県に戻り、グループ会社である不動産SHOPナカジツに転職しました。


―ナカジツの営業に転職したんですね。外交官から営業というと、ギャップが大きそうです。

元々、営業がやりたいとは思っていなかったです。

ただ、外交省は年功序列かつ入口主義(国家1種、2種など)という環境で、入社経緯や勤続年数で全てが決まってしまう点に疑問を感じるようになっていました。

外交官として働いていたときの上司は尊敬していたのですが、大使は執務中に寝ているような人でした(笑)。それでも上司よりも大使の方が圧倒的にお金をもらっていて、働いている人がお金をもらえないのはどうなんだろう、納得感がいかないなと思っていました。

そのような疑問を感じる中で、自分の貢献度がわかる、納得感のある仕事をしたいと考え、営業への転職を考えるようになりました。


↑外交官時代の亀子さん


―実際に営業をやってみてどうでしたか?

営業自体は楽しかったです。

当時私が配属されたのは注文住宅の請負営業の部署で、今はない部署ですが入社したときがちょうど立ち上げ期でした。

会社としてもやや見切り発車で事業を始めていた部分もあり、現場で起きる日々の出来事は自分の判断で対応しなければならないことも多く、責任も重かったです。

また、請負営業は足の長い仕事で、商談の初期にお伝えしていた金額イメージと、実際に受注して具体化したときの金額の相場が変わってしまっている、ということもありました。

営業の楽しい部分としんどい部分の両方を経験できましたね

「お客様に最適解を提案する仕事」に魅力を感じ人材業界へ

―その後、MUSUBUと同業の人材業界でマイナビに転職されていますが、なぜ人材業界に転職されたのでしょうか?

ナカジツに入社するタイミングで、実は人材業界の会社からも内定が出ていたんです。

そのときからもともと、「モノ」の営業では自社にあるものしか提案できないけど、人材のような無形サービスであれば「マッチングする」「お客様に最適解を提案する」ことができるので、自分の中では営業としてとっつきやすいなという印象がありました。

自社商品しか売れるモノがない、でもお客様はそれを要らないと言っている、という状況は嫌だなと思ったんです。

マイナビにはキャリアアドバイザー(以下、CA)として入社しました。純粋に人材紹介なら様々な求人がある中で、CAとして本人の希望から提案できるのがいいなと思いました。


―今は法人営業(以下、RA)なので、CAをしていた亀子さんが想像しにくいです。

CAも楽しかったですね。人生の決断を迫る場面に立ち会えるという点でもやりがいは感じていました

でも、RAも経験した今考えると、CAとRAは全然違う仕事だなと思います。

お客様から報酬としてコンサルティングフィーをいただくRAにもやりがいがありますし、責任の重さも感じます。


―マイナビさんでRAに異動したのはどんなきっかけだったんですか?

コロナの影響で配置転換が積極的なタイミングがあり、枠があったので「チャンスだ」「新しいことをやってみたい」という思いで挑戦しました。CAも2年やっていると一巡してしまい、目新しい取り組みも少なくなってきたタイミングでもありました。

異動はできたのですが、コロナで企業は求人募集を控えるタイミングでした。なので、引き継ぎを受けた企業との初回接点は、「求人クローズですね。いつ頃再開予定ですか?」というコミュニケーションばかりでした(笑)。その中でも求人がオープンになっている企業にアポを取り、営業をしていました。

初めての法人営業だったので、法人に対するコミュニケーションの取り方を学んだり、お金を請求する重みを感じたり、大変でしたが、やりたかった業務なので楽しく取り組んでいたと思います。


―外交官をやめるタイミングで思い描いていた営業職という観点ではどうでしょうか?

私は人材紹介のビジネスモデルが好きなんです。完全に成功報酬で「良い方が採用できました、ありがとう」という気持ちの良い言葉と共に、報酬も支払っていただけます

逆に言うと、成功報酬が故に成約するまでは1円もいただいていない、という点で、お客様と「採用」に向けて対等な立場で話せるパートナーでいられます。人材紹介のこの部分が自分の中ではとてもフィットしています

マイナビのときから、「決定」はもちろんですが、プロセスの中での「一生懸命さ」を評価いただける企業もいらっしゃりありがたかったですね。

マイナビは結構どろくさい営業をするので、「一日完結型選考会」を計画して、それに向けて「何人ご紹介できるように頑張ります!何人以下ならキャンセルしましょう……」などと前のめりに提案する文化でした。大手の中では規模の小さい人材紹介会社だったのもあると思います。

もちろん「採用決定」に向かってもがんばるのですが、その「プロセス」もお客様から感謝されることがあり、「採用決定になれば」本当に一緒に喜べる。その2つが自分の中でも人材紹介にやりがいを感じるポイントでした。

ーありがとうございました!

次回、中編では同業であるMUSUBUに転職した経緯、MUSUBUならではの魅力について伺いました!次回も是非ご一読ください!

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