社内報に掲載している社員インタビューのバックナンバー、今回は前回に引き続き社長の岸陽一郎の続編です!MSGnetwork東進衛星予備校の誕生意向を振り返ります!
慶應義塾大学に入学した岸陽一郎は、午前中は大学で講義を受け、午後からは杉田校で仕事に臨んだ。22時すぎに帰宅してからは、大学の課題やレポートが待っている。それらをすべて終わらせてベッドに入るが、翌朝6時前にはビラを抱えて自宅を出る。部活の朝練習の時間帯に合わせ、高校の校門前でビラを配布するのだ。学業のかたわら、株式会社キャリアプランの立ち上げに取り組むという、二足のわらじを履く毎日を送っていた。
合格実績1位獲得
経営者となる
この頃、東進衛星予備校のネットワークには300から400程度の教室があった。そんな中、各教室の合格実績ごとに順位がつけられ、杉田校が見事1位を獲得したのだ。自分を含め、杉田校のメンバーは全員が大学生。そんな教室が1位になったことに、周囲も驚きを隠せない様子だったという。表彰台に立った岸は、高揚しながらもこう確信した。
「自分はこの業界で十分やっていける!」
21歳になり、大学卒業後の進路を決める時期が来ると、岸は東進衛星予備校に関する事業計画を作り、それを見せながら父にこう告げた。
「東進衛星予備校は、自分に任せてほしい。」
この申し出を、父はあっさり承諾した。こうして岸は、会社の運営に本格的に乗り出したのである。
チームとして仕事をする
大学卒業と同時にキャリアプランの代表取締役社長に就任した岸は、がむしゃらに働いた。一から十まで細かく指示を出し、あらゆる場所に顔を出して営業活動まで行った。そんな働き方をしていては、体調を崩すのも無理はない。それでも疲れた体に鞭打って働いた結果、1年間の休養を余儀なくされてしまった。
「自分がいなくなったら、キャリアプランは倒産してしまう。」
ところが、そんな不安とは裏腹に会社の売り上げは伸びていった。社長代行を務めてくれた父は、社員がそれぞれ自分の得意分野を活かして仕事をしていることに気づき、その様子を遠くから見守ったという。その様子を聞き、はじめて岸は「チームで仕事をすることの大切さ」を知ったのだ。
また、体調が戻り始めリハビリを開始した頃、後輩に「あえて苦手なことに挑戦し、チャレンジャーとしての気持ちを思い出したらどうか」と勧められた。体が弱く運動が苦手だった頃の自分を思い出し、岸はボクシングジムの門を叩く。1年間必死に練習したが、思うように強くなれず、悔しい思いをした。あとから入ってきた後輩にも次々追い越され、結局試合に出ることはなかった。
この経験をきっかけに、人にはそれぞれ得手不得手があることを知った。ボクシングで挫折したことで、人の痛みがわかるようにもなったという。
「今までの自分は冷たい上司だった。自分なりに全力を尽くしている人のことは、結果がどうであれきちんと評価しなくてはいけない。」
チームで仕事をすること、そしてそれぞれの得意分野を活かすこと。その重要性に気づいて職場に復帰した岸は、仕事を分業で行うチーム制を導入した。入学説明会、営業、実際の講義……各分野で活躍する社員たちは、それぞれが自分の受け持つ仕事に責任とプライドを持っているという。
社員へのメッセージ
「生徒のために前向きに、まじめに一生懸命働いてくれています。トラブルや失敗については素直に反省し、改善に向け努力する。手を抜く社員は一人もいません。」
社員たちの魅力について、岸はこのように語る。その反面、放っておくと自分が疲れていることにも気づかず、いくらでも働いてしまうのだ。そんな姿が、がむしゃらに働いて体調を崩してしまった昔の自分と重なって見えることがある。休むべき時にはしっかり休んで、メリハリのある働き方をしてほしいと、岸は望んでいる。
そして、今働いている社員にも、これから新しく入社してくる社員にも、共通して伝えたい言葉がある。
「いい先生になるためには、いい生徒になろう。」
生徒と一緒に勉強し、受験するつもりで仕事に取り組んでほしい。高校生の頃の若々しい気持ちに戻り、楽しく前向きに働いてほしい。
皆がそんなふうに働ける体制を整えながら、岸はこれからも、会社を牽引し続けるだろう。