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1枚のマスク

2020年、地球ではヒトという霊長類の代表が、コロナウイルスという微小な存在に翻弄され続けています。もちろん私たちの小さな診療所も、混沌の真っ只中です。チームワークで生物界の頂点に上り詰めた(と思っている)ホモ・サピエンスは、彼らが誇るそのコミュニティの中で、自慢の大脳皮質をフル回転させながら、慰め合ったり、恨み合ったり、それはもう大騒ぎです。その一人である私はこう思います。これは人類対ウイルスの戦いであり、個体同士の力技では、確実に人類は負けてしまう。ウイルスは甘いものではありません。ヒトは微生物をコントロールできる、というのは、ヒトの奢りだと思います。犠牲になった仲間を忘れ、医学史上の栄光のみを妄信してはいけません。現代の人類は「集団免疫」という概念を地球規模で共有していますし、ワクチンを開発するという強力な「人知」を持っています。ヒトはその組織力でウイルスに勝つしかない。そして勝利の途上での犠牲者を最小限にしなくてはならない。ヒトの組織力が、ウイルスに試されているという表現がふさわしいでしょう。

私にできることは、個人レベルでは感染して苦しむ覚悟を決めること。医師としては、医学の知恵でヒトの仲間に犠牲者を増やさないこと。今診療所に足りないものは、マスクと、消毒薬です。一般の家庭と何ら変わりありません。吹けば飛ぶような小さな診療所では、これらを入手は極めて困難で、確保に向けて日々全力で情報を集めながら、ストックの残りを数える毎日です。

そんな中、驚くべきことに、ある患者さんが、私の外来でマスクをプレゼントしてくれました。医者が診察室で患者さんからマスクを貰う。これはおかしいだろう、と頭の中では躊躇しながらも、右手は迷うことなく受け取ってしまいました。たった1枚の話です。

彼女がどんな思いでプレゼントしてくれたかは、分かりません。しかし、彼女にとっても必要なものですし、入手は難しいはずです。帰り道、私は「喜捨」という仏教の言葉を思い出しました。余った財を手放すのではなく、自分にも本当に必要なものを、手放す。私は勝手にそう解釈しています。もちろん仏教に限らず、世界中にこうした発想はあるようです。私は人影のまばらな4月の夜の地下鉄で、胸にこみ上げるものを感じました。受け取った私の方は「餓鬼」なのかも知れませんが。

パンデミックな感染のさなか、集団の利益より、個の利益を優先するのがヒトの本能です。マスク問題は医療機関を優先すれば済むような単純な話ではないだけに、私たちも、じれったさの持って行き場がありません。ですが、最前線に立つ医療従事者が、プライベートで「感染源」扱いされ毛嫌いされると、さすがに私もモチベーションが下がります。事実、私たちのスタッフも職場の外では差別を受けていますし、私自身もコロナ以前に悲しい思いを随分したものです。うんざりしつつも、ただ逃げ出せないというだけで、医者をやっていた時期もありました。

マスク1枚の直接的な効果はたかが知れています。そして彼女の行動の真意を探るのは野暮だと思います。しかし、その1枚が、私をどれだけ奮い立たせたか。「全ての医療従事者を代表して、感謝します」と、狭い診察室で、思わず口にしました。医療従事者は、この気持ちを、何百倍、何千倍の優しさに変換して世の中に配ることが、仕事です。

悲しいことも、嬉しいことも、統計上の意義を超えて、人を動かす。これが「現場」だ、と久しぶりに思い出しました。大脳皮質で作り出された机上の理論と、大脳辺縁系の奥深くへ突き刺さる現場の温度が交わる場所。それが臨床です。

医者から1人の中年ホモ・サピエンスに戻った私は、季節外れの寒さも忘れ、自宅の玄関を開けました。まだまだ頑張らないと、この仕事は当分やめられないな、と思いました。初めて白衣を買った若い頃を、ほんの少しだけ思い出しました。そして、今年初めて医療を始めた私の仲間も、同じように感じてくれたら嬉しいな、と心から思いました。

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