自分のバックグラウンドに「デザイン」を掛け合わせる。ノンデザイナーがデザインストラテジストになるまで。
インフォバーンで働く社員へのインタビュー企画。今回は、2023年3月に入社され、イノベーションデザイン事業部でデザインストラテジストとして活躍されている赤嶺侑里香さんです。
インフォバーンはマーケティング支援事業とともに、デザイン支援事業を展開していますが、そこで支援する領域は、Webサイトや冊子のデザインだけではなく、事業開発や組織設計、体験価値の向上などに関わる広範なデザイン領域です。
大学でデザインを専攻していたわけではなく、前職も営業職だったという赤嶺さん。そんな赤嶺さんが、なぜデザインの世界に興味を持たれたのか、なぜキャリアチェンジしてまでインフォバーンに入社されたのか、お話をうかがいました。
沖縄出身、京都在住。趣味は日本の地方巡り。
――このインタビューの前に写真を撮られるのは苦手だとうかがいましたが、あんまり好きじゃないですか?
あんまり……えっ、好きですか?
――いや、実は私も好きじゃないです(笑)。
なんでしょう。家族や友達と集まって「せーの」で集合写真を撮るくらいならいいんですけど、ふとしたときに撮られると「やめて~」って気持ちに(笑)。写真を撮るほうは好きなんですけどね。
――気持ちはわかります。うまく言えませんけど、何か嫌ですよね。
いつカメラを向けられてもウェルカムな人もいますよね。そういう方はすごいなと思います。
――それでは今回の記事では、正面からバシッと撮ったような写真を掲載するのはやめておきましょう! 赤嶺さんは今、京都オフィスに勤務されていますけど、お住まいも京都ですか?
今は京都に住んでいます。出身は沖縄ですね。
――ああ、やっぱり。「赤嶺」というお名前は沖縄にゆかりがありそうだなと。
そうなんです。高校までは沖縄にいて、いったん大学で横浜に住んでから、前職では福岡や沖縄で勤務していました。転職前までは、沖縄にいましたね。
――沖縄は気候的にも、文化的にも、独特なところがありますよね。高校生ぐらいまでは、島を越えて出かけることはあまりないものでしょうか?
修学旅行くらいですね。中学のときは九州を半周しました。
――そんなハードな修学旅行があるんですか⁉
福岡、長崎、大分、熊本あたりの九州北部をぐるっと回るルートで、沖縄ではけっこう定番でしたよ。高校のときの修学旅行は、京都と東京でした。私の学校は、東京は決まっていて、もう1カ所は選べたんです。
――すごく充実した修学旅行! 赤嶺さんは旅行がお好きだそうですね。
そうですね。先週は福井県の鯖江市に行っていて、今週末も青森に行く予定です。少し前には山梨にキャンプしに行っていました。最近はめちゃくちゃ多くて、ちょっと詰め込みすぎだなと反省しています(笑)。
今、デザインスクールに通っていて、鯖江にはそのメンバーと一緒に行きました。鯖江で工房を開くイベントがあって、それにみんなで参加したんです。青森はねぶた祭も見たかったんですけど、タイミングが合わなくて、今回は白神山地に行ってきます。ピンポイントな要望にも乗ってくれる友人がいたので、その人と一緒に。
――私も昔、白神山地に行ったことがありますけど、すごく厳かで神秘的な雰囲気で感動しましたよ。東北はいいですよね。
いいですよね、東北。私は地方が好きなんですよ。地元の沖縄も好きなんですか、目に見えてわかるくらい文化が違うぶん、沖縄県民としては、日本らしい風景、田んぼとか杉がたくさん生えている森とか、そういう日本らしいものに面白さを感じるんです。地方に行くとよりそれが見えて、個人的にすごく面白いんですよ。
▲取材後に白神山地にうかがわれた際に撮影された写真(提供:赤嶺侑里香)
土地ごとに、地理や歴史に紐づいた文化や産業がある
――今はデザインストラテジストとして働かれていますが、もともと大学でもデザインの勉強をされていたんですか?
いや、大学では全然デザインのデの字もなくて、「人文地理学」というものを選考していました。わかりやすく言うと、NHKの『ブラタモリ』のようなイメージですね。「地理学」といっても、地質や地層を見るのではなく、風土や土地にひもづく歴史的な文脈を研究する学問です。
たとえば、農業一つ取っても、沖縄の農業と北海道の農業では、気候も違えば、歴史も違うし、食文化も違うからこそ、何を栽培しているかは変わってくるじゃないですか。北海道には広大な土地があって、ジャガイモや小麦の栽培に適した気温や土があって、開拓してきた歴史がある。一方で、沖縄は赤土と呼ばれる土壌で、パイナップルなどの栽培に適している。
そうした歴史的な背景、地理的な要因が、それぞれの産業や教育、文化などに影響していることを紐解いていくんです。文献調査もしつつ、フィールドワークをメインにしていました。やっぱり当事者、現地に住まれている方が語ることと文献から得られる情報では、少し乖離があったりするので。
――文化人類学にも近そうなところがあって、学際的な感じですね。初めて聞きましたが、面白そう。
いろいろな角度から検証できて、面白いですよ。
――それでは大学までは、「デザイン」との接点は特になかったんでしょうか?
全然なかったです。前職も、IT系の会社に勤めていました。BtoBの営業をしていて、製品やサービスを売るというより、地場の大きい企業を相手にコンサルティングをするような営業ですね。本当に業種を問わずいろいろなお客さんを担当していました。
たとえば、高齢者住宅を運営されている不動産業系のお客さんとは、ご高齢の方が安全に暮らせるように、倒れていないかとか、今日も変わらず生活できているかとか、センシングする見守りセンサーを導入するプロジェクトを進めていました。あるいは、ハウス栽培を営む農業系のお客さんとは、労働負担を軽減するために、温度や湿度を測るセンサーをつけて、ハウスに行く頻度をできるだけ下げられるようなセンシングを検討したり、成長をうながすために、どういう環境制御が必要かを一緒に考えたり。
ただセンサーやシステムを売るのではなく、お客さんの困りごとに対して、「じゃあ、これを組み合わせて、こういうふうなものつくってみましょうか」と一緒に考えて、試しながら改善していく仕事です。
――営業職で技術者ではないとはいえ、技術理解がかなり必要そうですね。もともとテクノロジーへの興味があって入社されたんですか?
いや、全然です。もちろん入ってからは勉強しましたが、最初はインターネットがどういう仕組みでつながってるのかさえ知りませんでした。
技術的な興味よりも、地域や社会がより良くなっていくことに貢献できたらいいなと考えていましたね。私が就職活動していたのは、ちょうど内閣府が「Society 5.0」を出すような時期だったんですよ。そのタイミングでいわゆるIT系・テクノロジー系の企業も、社会に対して「こう貢献していけます!」と強く打ち出し始めていて、「IT技術があれば、いろいろな分野に活かせるんだろうな」と当時は思っていました。
――確かに今の時代には、何をするにも絶対にテクノロジーが絡んできますもんね。実は学生時代に、赤嶺さんはインフォバーンでアルバイトをされていたとか?
卒業前の半年間だけ東京オフィスに通ってました。それこそICT技術を活用した社会貢献を志向する、大手IT企業のプロジェクトがあって、その支援をインフォバーンがしていたんですよ。社会課題解決に取り組もうとしても、1社では限界があるので、社内外に情報発信をしつつ、そうした意欲の高い人たち、興味がある人たちが集まれるコミュニティーを築こう、という考えのもと、オウンドメディアを運営したり、イベントを開催されたりしていました。
今でこそ、ともにつくる「共創」という言葉は馴染みあるものになってきましたけど、当時は珍しい試みだったので、新鮮に感じて興味を持ちまして、その学生向けイベントがあったので私も参加してみたんです。そこから、大本のイベントに参加したり、まったく関係ない横浜市主催のイベントに参加したら、たまたまその企業の方やインフォバーンの担当者の方と出くわしたりと、会う機会が増えて徐々に仲良くなっていったんです。
私はずっと、そのプロジェクトの主旨も、参加している方々のモチベーションや姿勢もすごく好きで、そうこうしているうちに「もうここまで会うくらいだったら、うちでアルバイトして一緒にやろうよ」と声をかけてくださったので、「ぜひやりたいです!」と。
――偶然に同じ場所に居合わせるなんて、きっと同じ感性を持っていたんでしょうね。そのアルバイトでは、どんなことを?
基本的に企画案出しですかね。次のタームの企画として、どこに取材したほうがいいかとか、各クオーターごとに開催するイベントで、どういう人に登壇してもらったほうがいいか、候補をリサーチしてピックアップしていました。実際にはかなり数を出したなかで、いくつかしか採用されなかったと思いますけど。
――それでもアルバイトながら、かなり大事な部分を任されていましたね。
仕事を通じて抱いた「デザイン」視点の重要性
――時系列を少し戻しますと、前職で働かれていたなかで、インフォバーンに転職しようと思われたのはどういうきっかけで?
「デザイン」の話にもつながると思うんですが、仕事をするなかで徐々に自分の中で課題感が芽生えてきたんですよね。
たとえば、前職ではお客さんから、「うちもDXしなきゃいけないんだよね」と口を揃えて言われていたんですけど、それに対して表層的な課題解決に終始してしまってるなという反省があったんです。現状の業務フローをベースにしたまま、単にシステム化して効率化を目指すだけではDXでもなんでもないですよね。でも、世の中で往々に語られるDXというのは、そこまでなんです。
もちろんデジタル技術を使って改善することも大事なんですけど、本当にDXしたいなら、その企業が持っているお客さん、エンドユーザーに対して、今後どういう価値を提供していくべきかをまず考えなきゃいけない。そこを起点に、じゃあこういうサービスを導入したらどうか、組織編成をこう変えていくべきでは、業務フローをこうしたら、と検討していく。そういう本質的なDXを実現して、その会社がこの先10年、20年と続けられるような提案をしたかったんです。
それが自分はできていないし、提案できるだけのスキルもないことに課題感を持つようになって……。「デザイン思考」という言葉も流行りましたけど、「サービスデザイン(※1)」のような、広義のデザインに関する知識やスキルが身につけば、自分自身も成長できるんじゃないかと考えるようになりました。
※1 サービスデザイン
製品やサービスを利用するユーザーの視点に立ち、その顧客体験とともに、持続的に提供するための組織や仕組みも設計することで、新たな価値を生み出すデザインの思考・手法。インフォバーン副社長の井登友一は、2022年にNTT出版より『サービスデザイン思考』を刊行している(トップ画像の書籍)。
――その点でインフォバーンでは、赤嶺さんがアルバイトをしていた時期にはなかったデザイン支援部門(IDL[INFOBAHN DESGHIN LAB.]/現在はイノベーションデザイン事業部に改称)を、2017年に新設していますね。
そうなんです。実は前職に入社したあとも、継続的に当時のプロジェクト・メンバーと、プライベートでもお仕事でも、関わる機会があったので話は聞いていたんです。インフォバーンでは、以前から京丹後でリビングラボ(※2)のプロジェクトをやっているんですけど、私も前職で違う地域のリビングラボに携わっていて、その関連でお仕事をご一緒することもありました。
そうしてインフォバーンのメンバーと自然と話すなかで、「おお、デザイン組織ができたと聞いていたけど、こういうお仕事をされているのか」「こんなプロジェクトを推進されているんだな」と知って、どんどん興味を持つようになりました。私は当時、リビングラボのプロジェクトには社内副業的に関わっていたので、これを本業にできたらいいなと感じていたんです。それでご相談したら、採用面接の機会をいただきまして、2023年3月から入社しました。
※2 リビングラボ
「リビング(生活空間)」と「ラボ(実験室)」を合わせた言葉。研究開発拠点を一般市民に開かれたものにすることで、ユーザー視点に立った新たなサービスや製品を生み出す活動や場の総称。
――入社してみて雰囲気はいかがですか? 赤嶺さんが所属するイノベーション・デザイン部は、ニックネームで呼び合う習慣がありますよね。
私は「不二子」と呼ばれています(笑)。「あだ名は何?」って聞かれて、「友達からは『嶺子』と呼ばれています」と言ったら、「じゃあ、不二子じゃん!」って。
――ああ、赤嶺の「嶺」から、「峰不二子」で「不二子」ですか(笑)。
あだ名を付ける文化は、私はいいなと思います。あんまり上下がない雰囲気なんですよね。私は呼んでないですけど、部門長の辻村和正さん(※辻村への過去のインタビュー記事はこちら)に対しても、「カズ」と呼んでいるメンバーもけっこういます。みなさん尊敬し合いながら、フラットな組織だなと感じます。きちんとリスペクトはしていても、変に敬いすぎない関係で、いわゆる上司・部下のキツい縦関係がないんです。
「自分なりのスタイル」を求めて
――赤嶺さんは入社されてから、どんな業務をされているのでしょうか?
今やっている案件で言うと、コンセプトを一緒に考えるようなお仕事が多いですね。クライアントのデザインチームと一緒に、今後10年、20年先に提供すべきサービスのコンセプトを考えています。
私の入社前から、3年ほどかけて進められているプロジェクトなんですが、今はある程度の形が見えてきて検証する段階です。私はそのなかで有識者リサーチを行っていて、有識者に「こういうサービスについて、どう思いますか」「こういう世の中になっていくと思うんですけど、この課題に対してどういう取り組みが必要になってくるでしょうか」といったインタビューをしています。
――先ほどDXで課題を感じたというお話がありましたが、かなり根本に関わるようなお仕事をされていますね。
はい。あるいは、地方自治体とのお仕事もしています。「シビックテック」と言われる、IT企業にお勤めの技術者とか、デザイナーの方とか、市民がボランティア的にスキルを持ち寄って、地域課題に取り組むプロジェクトなんですけど、もっと会員同士の交流をスムーズにして、デジタル推進を円滑に実行できるようにしたいと相談を受けました。
それに対して、「その会員たちは何を求めてるのか」「どう企画を立てたり、どんな場の運営をしたら促進できるのか」、いろいろとリサーチしながら、一緒に考えています。
――これまで以上に「デザイン」というものについて意識することは増えたかと思いますが、「デザイン」に対して考えられていることはありますか?
日々勉強という感じで、まだ私の中で、「デザインとは何か?」を言語化できるほど落とし込めてないんですが……そうですね。最初にデザインスクールに通っていると話しましたが、そこで「デザイナーは答えを出すんじゃなく、相手から答えを引き出すのが役割だ」という話を聞いて、そのまさに同じ日に、上長からも同じ話を言われたんです。その言葉は私のなかですごく腑に落ちて、ハッとさせられた体験でした。
相手が持っているものを引き出しつつ、それをわかりやすく、伝わりやすい形にデザインする、表現を変える。その役割は難しいなあと思う一方で、面白いとも思うので、日夜努力して、学んでいるところです。
――インフォバーンでは、プロダクトデザインやエディトリアルデザインといった「意匠のデザイン」だけでなく、広い領域として「デザイン」をとらえています。実際にイノベーション・デザイン部には、赤嶺さんのようにいわゆる「ノンデザイナー出身のデザイナー」もいますが、そのあたりはいかがでしょうか?
入社時に辻村さんからは、自分のこれまでの経験やバックグラウンドを土台にしながら、そこにデザインを組み合わせて、自分なりのスタイルを持ってほしいと言われてました。
イノベーション・デザイン部には、ずっとデザインを専門に学んできたデザイナーもいれば、編集職出身のように違う畑から来た方もいますが、みんな「自分なりのデザインとしての解」みたいなものを持たれているんです。もちろん、伝統的なデザインに関する基礎的な部分は学ばなければいけないと思って、勉強していますけど、そうしたデザインを組み合わせた「自分のスタイル」を確立したいと思っています。
――確かに意匠のデザインにおいても、良いデザイナーさんというのは、必ずしもオシャレなデザイン、カッコいいデザインをつくる人ではないですよね。むしろダサいデザインのほうが良いこともあるなかで、その汲み取りや文脈理解にも優れている気がします。デザイナーさんには、「Photoshopを動かして素敵な表現ができる」というのとはまた違ったスキルやマインドセットが求められるのかもしれないですね。
そうですね。インタビューでも、「最初に何でも言える関係性を築くコミュニケーションを取らなきゃいけない」みたいなことは、基礎中の基礎として言われますよね。ただ、初対面でその当たり前のことをして、相手からちゃんと言葉を引き出すには、かなりのスキルが必要だと感じます。
私は前職では営業でしたけど、人となりを知れるようなコアな質問は、なかなか初対面だとしにくい部分もありました。そうしたスキルは、デザイナーとしても求められるスキルだなと思うので、習得したいなと最近も思っていたところです。
――今日お話をうかがって、フィールドワークを大学時代にされていたり、地方で企業支援に携わられていたり、旅行好きというお話もそうですが、そうしたご経験もきっと今後、「赤嶺さんのデザイナーとしてのスタイル」の確立に、活きてきそうだなと思いました。
ありがとうございます。地方に貢献できるようなお仕事は、もっとしていきたいですね。インフォバーンへの転職は、自分にとって大きなキャリアチェンジでもありましたので、不安もありましたけど、最終的に「今のタイミングしかチャレンジできない」と思ったので、一歩踏み出しました。
デザインの領域は今後も求められる範囲がより広がってくると思いますし、デザイン的な素養はデザイナーに限らずいろいろな職種でも求められてくると思います。だから、私のようにノンデザイナーの方でも、少しでもそうしたデザイン領域に興味がおありであれば、一歩を踏み出してほしいですね。その先がインフォバーンだと、すごく嬉しいです。