はじめまして。リベンリでプログラマとして働いている大内です。
今日は20歳までプログラミングなどほぼやったことのなかった私が、
6年の間でプログラミングスキルを習得し、6月に新入社員としてリベンリに入社するまでの歴史を紹介させて頂こうと思います。
夢見る青年時代
中学校から好きなアニメに仕事として携わることができたらいいなと考えていた私は、工業高校卒業後東京のとあるアニメ関係の各業種について学ぶことのできるアニメーション専門学校の漫画科に新聞奨学制度という新聞社が提供している制度を利用し、東京の新聞社が提供する寮に暮らしながら通学をし始めました。
最初東京の竹ノ塚駅近くの寮にて勤め始めることが決まりましたが、木造でカーテンがブルーシートでドアの鍵がなくてとほんとに地獄みないな場所でした。
※刑務所に入ったことはないですが、絶対独居の方がましだといえるレベルでひどかったです。その後すぐに新聞社に文句を言って市ヶ谷の寮に変えてもらいました。
市ヶ谷の寮から秋葉原を中心に神田の新聞配達をしていたのですが、当時は約450部ほどの新聞バイクの前後に山盛りに載せ、雨の日も風の日も配って大変だった記憶があります。
そんな中新聞配達中秋葉原のど真ん中で事故を起こしてしまい、もう続けていられないと漫画家の夢を諦め、学校をやめ地元に帰ってきました。(絵の才能もそんなになかったため、今では早い段階で見切りをつけることができてよかったと思っています。)
ライン作業員として
その後とりあえず働かねばと、すぐ日立の工場でライン作業員として契約社員として働き始めます。ライン工として2年ほど仕事をしていましたが当時は仕事で失敗が多く迷惑ばかりかけてしまっていました。
ライン作業の仕事や現在その仕事をやっている方に大変失礼な話ですが、私は昔からつまらないと感じたことをやっていると全く別のことを考えてしまったり、仕事中気が付いたらやりたいなと頭の中で考えていたことをいつの間にかやってしまっていたりする癖(※仕事中気が付いたら数学をしていることもありました...)があり、
それが問題で生産部品の不良品を見逃してしまったり、高価な部品を落としてしまったりで当時会社に相当迷惑をかけてしまって、上司にも何回も怒られたことをいまだに覚えています。
プログラミングの世界へ
仕事中別のことを考えてしまう癖が全く抜けず、同じことを長時間し続けることに向いていないのかなと悩んでいた私は、プログラマーならクリエイティビティな仕事で楽しそうだし、これなら俺に向いてっかも!という超絶安直な考えから20歳の時仕事をやめ、職業訓練校という求職者向けに訓練を通じて就職をサポートする学校のプログラミング科に通い始めました。
ポリテクセンター茨城という場所が職業訓練学校になるのですが、場所が本当に田舎で家から片道約3時間(計約6時間)かけて行き来していたため、周りからは大変であることを何度も心配されたりしましたが、交通手段が電車だったため「行き来しているときは寝ればいいじゃん」とか思っていました。
※自分はどんな場所でも寝れるのが唯一の特技(新聞配達時代は集金のため滞納者の家の前で寝たこともあります。)で、交通費は補助金のため行き来するのは苦ではありませんでした。
C言語による組み込みソフトウェアの開発をメインに授業で勉強し始めましたが、めちゃくちゃ面白いと思いプライベートでも勉強してRaspberry Piでブラウザとの通信機器を作ったりまたwebサイトを作ってみたり手当たり次第にいろいろな言語を勉強していた記憶があります。
6か月の勉強期間を終え、最初にハードウェア開発をしている会社に入社しました。
2年半の間に車のCSV関係のソフトウェア開発、駅制御関係の開発などいろいろさせていただきました。
そしてリベンリへ
入社して6か月が経ち、今は地元の茨城からリモートで仕事に参加させて頂いています。
新入社員としてレベルはまだまだですが、いきなり仕事を任せてもらい新しく経験することだらけで今までにないくらい日々楽しく仕事させてもらっています。
他ではできないような経験をリベンリではすることができますよ!
また私自身髪を染めたりピアスを空けてたり、リベンリは服装が自由な会社です。
新入社員の私でもリモート勤務させてもらったりこんな自由に仕事させてもらって...、
柔軟なワークスタイルを希望しているそこのあなた!には本当におすすめできる会社だと思います。
こんな会社であなたも働いてみませんか?ぜひ応募してみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(__)m