エンジニアになって7年。ふとした瞬間に、入社直後の「あの3か月」を思い出すことがあります。
YTT LINKS ICMグループの山内です。私は異業種から未経験でこの世界に入りました。当時の私にとって、社内研修は「学び」というより、目の前の課題を必死にクリアしていく「サバイバル」に近い感覚でした。
しかし、今振り返ってみると、あの泥臭い3か月こそが、今の私のエンジニアとしての土台を作ってくれていたのだと感じます。
今回は、未経験エンジニアだった私が研修を通して過ごした時間と、7年経ってようやく気付いた「本当に学んでいたこと」について書いてみようと思います。これからエンジニアを目指す方にとって、数年後の自分を想像するひとつの参考になれば嬉しいです。
目次
何が何だか分からないところから始まった
「正解」がほしい。そんな葛藤の先に見えた仕事の奥深さ
コーディングは仕事のほんの一部でしかない
一人前になるのに「15年」かかる理由
7年経った今、あの3か月を振り返って思うこと
最後に
何が何だか分からないところから始まった
未経験でエンジニアの世界に飛び込んだ当初、私の周りは「正体不明の言葉」で溢れていました。
入社してすぐの研修。講師や先輩たちが交わす会話を聞いていても、聞き慣れない専門用語が右から左へと流れていくだけ。「何が分からないのかが、分からない」という、文字通りゼロからのスタートでした。
最初の1か月は、とにかく“覚えること”に必死だったと思います。自分なりに理解しようと食らいつくのですが、頭の中は常にパンパン。1日の終わりには知恵熱が出そうなほど疲れ果てていたのを覚えています。
それでも、毎日出される研修の課題と向き合い、説明を聞き続けるうちに、不思議な変化が訪れました。バラバラだった知識の破片が、少しずつ、なんとなくですが、つながり始めた感覚があったのです。
2か月目、3か月目と進むにつれて、「あ、今の話はあの時のことか」と点と点が結びつく瞬間が増えていきました。「全部ではないけれど、なんとなく分かるかもしれない」。そんな小さな手応えを積み重ねながら、私は少しずつ、エンジニアとしてのスタートラインに立とうとしていました。
「正解」がほしい。そんな葛藤の先に見えた仕事の奥深さ
研修が進むと、実際に自分の手でコードを書く時間が増えていきました。画面に並ぶ真っ赤なエラーメッセージを一つずつ消していき、ようやくプログラムが意図した通りに動く。それだけで、当時の私にとっては大きな達成感がありました。
ただ、本当の学びはそこからでした。「動きました~!」と提出したコードに対して、課題別に先輩たちから「レビュー」が返ってきます。その指摘が、レビューをしてくれる人によって驚くほど違うのです。
現場の第一線で活躍する先輩はもちろん、1〜2か月先に入社して同じ研修を受けている少し先の先輩からもフィードバックをもらいました。ある人は「読みやすさ」を重視し、別の人は「将来の拡張性」や「プロジェクトの目的」を重視する。人によって着眼点も、言葉選びも全く違いました。
正直最初は、何が正しいのか分からず戸惑いました。「結局、どれが正解なんですか?」と、正解探しに迷走して心が折れそうになったこともあります。
けれど、何度もそんなやり取りを繰り返す中で、ふと気づいたことがあります。エンジニアの仕事には、学校のテストのような「たった一つの正解」はないのだ、ということ。同じゴールにたどり着くルートは何通りもあって、「正しい」の形も一つではない。
エンジニアは、ただコードを書く人ではありません。プロジェクトの方針や目的、社会やお客様が抱える課題に合わせて、最適な「アプローチ」を選び取っていく。それがこの仕事の本質なのかもしれない。そう分かったとき、パズルのピースがはまったような、この仕事の奥深さに少しだけ触れた気がしました。
コーディングは仕事のほんの一部でしかない
研修中、ずっと心に残っていた言葉があります。それは入社前の面接で、当時の社長からいただいた問いかけでした。
「エンジニアの仕事って、ずっとコードを書いてる時間がほとんどだと思ってない?」
私は少し戸惑いながらも、「はい、そう思っています」と答えました。当時の私にとって、エンジニアはどこまでも“コードを書く人”というイメージだったからです。すると返ってきたのは、「実際は、3割もないくらいかもしれないね」という意外な言葉でした。
そのときは正直、ピンときませんでした。でも、3か月の研修が進むにつれて、その言葉の輪郭が少しずつはっきりしていったのを覚えています。
プログラミングを始める前に、まずはお客様が「本当に困っていること」を紐解き、要件を固めていくこと。それをどう実現するか設計図に起こし、お客様や社内メンバーと何度も言葉を交わして、一つの方向へと目線を合わせていくこと。
コードを「書く」こと以外の時間に、いかに多くの思考が注ぎ込まれているか。それを実体験として学んだ研修3か月目の演習で、あの時の社長の言葉が、すとんと自分の中に落ちてきた感覚がありました。
あれから7年。今なら、あの「3割」という言葉にはもっと広い意味があったのだと感じています。エンジニアの役割は、単に仕様書通りのシステムを完成させることだけではありません。プロジェクトを形にするための交渉や、チームを動かすリーダーシップ、そしてリリース後にお客様の困りごとに寄り添い続けること。
「技術の力を駆使して、世の中の困りごとを解決する」。その目的のためなら、コードを書くこと以外にもできることは山ほどあるし、時には「おせっかい」と言われるくらい踏み込んでいくことも必要です。エンジニアという仕事は、思っていたよりもずっと泥臭くて、そしてずっと自由なものなのだと、今は思っています。
一人前になるのに「15年」かかる理由
もう一つ、今でも強く印象に残っている言葉があります。「エンジニアが一人前になるのに、何年くらいかかると思う?」。これも入社前の面接で、当時の社長から投げかけられた問いでした。
私は少し考えて、「3〜5年くらいですかね」と答えました。なんとなく、そのくらい経てば一通りのことはできるようになるだろう、と思っていたからです。すると返ってきたのは、「少なくとも15年くらいはかかると思うよ」という言葉でした。
7年経った今、その言葉の意味がようやく分かり始めています。
現場で圧倒的な技術力を持つ先輩に出会ったとき。リーダーとしてチームを任され、自分の現在地を見つめ直したとき。ふと立ち止まって「自分はどこまで来れただろう」と考えると、あの「15年」という数字が頭をよぎるのです。
エンジニアの力は「Java歴○年」といった経験年数だけでは測りきれません。どんなプロジェクトで、どんな壁にぶつかり、どう考え抜いて乗り越えてきたか。その経験の積み重ねこそが、エンジニアとしての深みになるのだと感じます。
私たちの会社のミッションには「もっとできる」という言葉があります。「自分はもうできる」と満足してしまったら、成長はそこで止まってしまう。自分の限界の少し上で、もがきながら学び続けること。そうして積み上げていくのは、単に「できること」を増やす作業ではなく、「考えられる範囲」を広げていくことなのだと思います。
加えて、エンジニアの世界は「変化」こそが前提です。一流のエンジニアほど、自分の「知らないこと」を隠さず、むしろ成長の余地として喜びます。15年という月日は、そうやって自分をアップデートし続け、変化そのものを楽しめるようになるために必要な時間なのかもしれません。
7年経った今、あの3か月を振り返って思うこと
あの研修から、気づけば7年が経ちました。
当時は目の前のことで精一杯で、言われたことを理解するだけでも必死でしたし、正直「何を学んでいるのか」を明確に言葉にできる状態ではなかったと思います。
でも、今振り返ってみると、あの3か月で私が教わっていたのは、単なる技術だけではありませんでした。エンジニアの仕事に正解は一つではないこと。コードを書くこと以上に、対話と思考が大切だということ。そして、時間をかけて一歩ずつ積み上げていく仕事だということ。
そんなエンジニアとしての「前提」を、真っ白な状態で最初に教わることができた。それは、その後のキャリアを歩む上で、何物にも代えがたい財産になりました。
現場に出て、すぐにうまくいかないことがあっても、「そういうものだよな」と構えていられること。分からないことにぶつかっても、「焦らず、少しずつ分かるようになればいい」と自分を信じられること。あの研修で得たのは、技術的な知識以上に、この仕事と上手に付き合っていくための「土台」だったのかもしれません。
最後に
エンジニアという仕事は、技術を身につけていくことももちろん大切ですが、それだけでは続けていけない仕事だとも思っています。
誰かと一緒に知恵を絞ること。相手に伝わるように、言葉を尽くすこと。より良い形をどこまでも考え続けること。そういった目に見えにくい「積み重ね」の真ん中に、この仕事の本質があるのだと、今は強く感じています。
最近ではAIがコードを書いてくれる時代になり、不安を感じる人もいるかもしれません。けれど、エンジニアの本質は単にコードを書くことではなく、問題を定義し、周囲の助力を得ながら、最適な解決策を作り上げていく行為そのものです。AIという新しい道具が増えたのなら、それを使ってどう社会の課題を解決していくか。
「何を作るか」以上に、変化を恐れず「どう向き合うか」という人としての姿勢が、より一層大切になっていくのではないでしょうか。
あの3か月の研修は、単にコードの書き方を覚える時間ではなく、そんな「エンジニアとしての生き方の土台」をつくるための、かけがえのない時間だったのだと、7年経った今、改めて思います。