営業部門で働く人材に、セムコの仕事内容についてヒアリングしました。
ー自己紹介をお願いいたします。
31歳のときに営業職として入社して、現在は営業部門で課長代理をしています。
ー営業部門ではどのような仕事をされているのですか?
当社は液面計を製造・販売している会社なので、造船所がお客様になります。新規営業もありますが、既存顧客に対して最適な機器を提案するようなルート営業が主です。
前職でも営業をしていたのですが、当時は新規営業がほとんど。セムコでは造船業界にどっぷり浸かって、お客様と深い関係を築く営業です。困ったときにすぐに相談していただけるなど、頼りにしていただけることにやり甲斐を感じています。長年担当して信頼関係を築いてきたお客様も多く、管理職となった今もプレイヤーを兼ねておりますが、2022年春頃からはマネジメント業の割合も増えてきました。
ーセムコを選んだ決め手はなんですか?
実は前職の求人広告の営業で開拓した先がセムコでした。まだ当社が現在の場所に移ってくる前で、街外れの田んぼに囲まれたような場所に平屋の工場がポツンと建っていたと記憶しています。
当時は、そんな町工場のようなセムコから現在のセムコへと脱皮しようとしている時期で、年間休日も徐々に増やしているところでした。「この会社はこれからどんどん変わっていくんだな」という印象がありましたね。
このように、セムコのことは入社前から知っていたのですが、入社の決め手となったのは1社1社と深く付き合えるという点でした。
前職はほとんどが飛び込み営業で、飲食店からコンビニ、いろいろな業界の会社の店長や経営者と、広く浅くお会いするスタイルの営業でした。その反動もあり、「腰を据えた長いお取引を経験してみたい」という気持ちが大きかったです。
ーセムコがより良い組織作りのために行っているチームコーチングの効果をどのように感じていますか?
意思決定のスピードが段違いに上がりましたね。チームコーチングを取り入れてから、部署をまたいだ経営変革ミーティングが行われるようになったので、その場で意思決定がスムーズにできるようになったんです。決裁権限に関しても、課長レベルで決裁できる幅が広がって、時宜を捉えた判断を下せるようになりました。
また、以前の「本当に大丈夫?もう一度確認しよう」という意思決定のスタイルから、「たとえ失敗しても修正すればいい。走りながら考えよう」というスタイルへと変化しました。
「トライしていいし、トライしないといけない。どんどん新しいことに挑戦していこう」という認識へ刷新できたのは、チームコーチングのひとつの成果だと思います。
ー今後の目標を教えてください。
死ぬまでに「思い出貯金」をできるだけ沢山集めたい。これが私の目標です。確かに未来に向けて仕事で努力したり、物質的にお金を貯めたりすることも大事かもしれません。
でも、仕事にせよプライベートにせよ、「ああ、楽しかった。いい経験をしたな」と振り返ることができるような心の財産を集めたいと思っています。
大げさなものでもなく、ささやかなことで構わないので色んなことを経験してみたいし、色んな場所に行ってみたい。人との出会いや経験を通して、最期に「楽しかった」と思い起こしながら死ねる、そんな思い出貯金を貯めておきたいです。
ー学生時代に熱中したことを教えてください。
サッカーに熱中していましたね。小学3年生から高校まではかなり本格的にサッカーに励む毎日でした。社会人になってからも30代前半まではサッカーとフットサルのチームにそれぞれ所属して、両方でプレイしていました。ちなみにポジションはキーパーです。
中学まで住んでいた福岡では、幼馴染の姉の影響で90年代の洋楽ロックバンドの音楽を聴くようになりました。オアシス、レディオヘッド、ニルヴァーナ、フーファイターズなどです。
今でもそれらの音楽が好きでフジロックやサマーソニック等のフェスにも行くことがあります。
ーセムコで働いてきた中で、特に思い出深いエピソードはありますか?
アルバムを1枚だけ出して解散してしまったSUMMERCAMPというアメリカのバンドの、一夜限りの再結成ライブに立ち会えた夜の思い出です。これこそまさに、いくつかの出会いが重なって実現した瞬間であり、なおかつセムコで働いていなかったら得られなかった思い出です。
先ほど90年代のロックバンドが好きだという話をしましたが、私が洋楽を聴くようになったきっかけが、このSUMMERCAMPでした。解散までにライブを見に行くことがかなわず、「一度くらいは観たかった」という願いを10年以上抱き続けていました。
時は流れて、セムコに入社した私は担当エリア変更で九州を担当するように。あるとき、出張で訪れた長崎で幼馴染が営んでいる飲食店に立ち寄り、20年ぶりの再会を果たしました。
その際に話の流れでFacebookアカウントを作るように勧められ、しぶしぶ作ったんです。それでふとSUMMERCAMPのメンバーを検索してみたら、いたんですよ。ダメ元で友達申請してみたところ承認され、メンバーとつながることができました。
その1~2年後、タイムラインに流れてきたライブのフライヤーが目に入り見てみると、「Return of SUMMERCAMP」と書いてある。驚いて、メンバーにDMを送ってみたところ、あるクローズドイベントで再結成ライブをすることが分かりました。「どうやったら行ける?」と聞くと、「日本から来るのか!?それなら、ゲストで入れてあげるからおいで」と招待してくれてアメリカ行きが決まりました。
叶わないと思っていたライブを観られただけなく、終演後もメンバーとバーカウンターで話したり、友人として参加していたフーファイターズのクリスを紹介してもらったりと、とにかく忘れることができない夜になり、メンバーとは今も交流が続いています。
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ーあなたにとって、セムコとは?
セムコに入社したからこそ幼馴染と再会できましたし、それでFacebookを始めてこの再結成ライブのような最高の思い出を作ることが出来ました。そういう意味ではセムコへの転職が人生の転機になりました。
また、そんな経験ができた背景にはセムコのリフレッシュ休暇制度があります。5連休を取得できる制度で、前後の土日と合わせると9連休になります。当時はこのリフレッシュ休暇は年に1回でしたが、今は年2回に増えました。
アメリカ行きはその制度があるから実現できたので、こんな良い制度がある会社を守っていかないといけない、という気持ちがモチベーションに繋がっています。
アメリカでの体験のような心に残る出会いや経験はお金では買えません。そんな思い出をこれからも集め続けるためにも、私はセムコで働き続けたいですし、セムコが利益を拡大、発展していけるように貢献していきたいです。
セムコには、個人がやりたいことをしながら働き続けられる制度が整っています。社員はその制度の恩恵を受けながら、会社はセムコに集まってくる人の能力を活用させてもらいながら社会を発展させていく。そんな好循環が生まれれば、皆がハッピーになれると私は信じています。
今の私は、社長や管理職層と若手社員とのちょうど間の立場にあります。若手社員たちも「セムコに入社して良かった」と思えるように橋渡しをしたいですね。