1
/
5

ボクがやっている社会貢献について(4)あらたなる試練:社会貢献事業や社会起業を目指す方へ

たくさんの方々に読んでいただきました。

「社会貢献事業」というテーマで書いてきて、今回のその4回目です。
「こころのあかり絵画コンクール」の開催するまでの経緯を取り上げたに前回の記事

ボクがやっている社会貢献について(3)立ちはだかる壁

皆さんにもシェアいただいたり、感想をいただいたりしました。
ありがとうございます。

このエピソードの中で、ボクが「ライドオンエクスプレス」さんの事業部長M氏と交わした会話

「平松さん、被災地に行かれるんですよね?SNSで拝見しました。
寄付金も集められているとのことでしたので、弊社から『10万円寄付』させていただきます。」

ここでも取り上げましたが、次に一般社団法人Zipsにおいて、絵画コンクールとともに実施している
「被災地支援事業」が今回からのテーマです。

あの時に何が起こったか。

前回の記事と話が前後します。絵画コンクールについての時系列は以下のようになっていました。

2009年 ノーディフェンス提案→玉砕
2009年~2010年 ウルトラCで資金確保
2010年12月 一般社団法人Zips 設立
2011年3月 ★
2011年4月 絵画コンクール正式提案→承諾→さらに初年度を実質無償にしていただく

↑の★の部分
ここは何が起きたのかは皆さんお分かりですよね・・・?

2011年3月11日 14時46分18秒

東日本大震災発生

その時ボクは神保町にいました。
あの天井が崩落した九段会館の近くの会議室で、
研修を依頼されて、講師をやっていました。

最初の地震で今まで感じたことのない揺れを感じ、
すぐにビルの外に避難。

そこで次の余震。

目の前にある4階建ての小規模のビルが
あり得ない揺れ方をしている。

すぐに研修は中止。
ボクは新宿の事務所に戻ることを選択。

鉄道網は全て止まっており、歩く以外の方法はない。

同様に受講生たちも電車移動が出来ないので、
新宿方面に向かう子たちをボクが先導して、向かうことに。

神保町から新宿なんて大した距離じゃないんだけど、
歩道には人があふれていました。

新宿に着いてから、ボクは社員の帰宅させるために何をするかを
考えて実行することに集中していました。

当時はうちには妊婦さんもいたりしたので。

幸いにも夜には私鉄が再開。
妊婦さんも帰宅させられたし。

とりあえずほぼ全員終電前には帰すことができ、
1人だけ家に帰れないヤツがいたので、事務所に泊まりたいと。

なので、腹が減ってるだろうと
空いていた居酒屋で軽く飲んで、ボクも帰宅の途に着きました。
(車で…ダメじゃん。緊急事態だったのでね)

同じ時刻…東北の現地では

ボクらが「帰宅手段」なんて、ちっちゃなことで悩んでいる頃。
現地の東北では、大きな津波が襲っていた。

当時はあまり情報がなかったのだが、
「大きな津波が来たらしい」「とても大きな被害が出たらしい」という
良くわからない報道だけが飛び交っていた。

次は「原発の問題」。

週明けの3月14日に原発が爆発したという報道がされた。
この件で大騒ぎとなった。

被災地はどうなってる?
福島は?

情報も少なく、何が起きているかわからない。
ただ、未曽有の災害であることだけがわかっていた。

何故このタイミング?それはまるで導かれたよう

先ほどの時系列に照らし合わせると

2009年~2010年 ウルトラCで資金確保
2010年12月 一般社団法人Zips 設立
2011年3月11日 東日本大震災( ★)

ボクらが「絵画コンクール」の開催を目指し、
資金を確保し、社団法人を設立したのは、震災の前年の年末。

ほぼ2か月前というタイミング。

活動資金もある。ボク自身も時間もある。
そんなタイミングで、何か出来ないか?と考えない方がおかしい。

しかし、被災地の支援などはやったことがない。

実は、それまでに起こった震災ではボク自身は何かしたかったものの、
何も出来ていなかった。

「阪神・淡路大震災」の時は、ちょうど父親を亡くした直後。
ついでに言うと、そのこともあって、初めて仕事をお断りしたりして、
結構、精神的につらい時期だった。

「中越地震」の際には会社を立ち上げた直後で、毎日終電まで仕事してた。
全くこころの余裕がなかった。

どうしよう。
何から手を付ける?
分からなかったら、人に聞くのが一番。

そこでこの支援に関して、ボクがこの支援事業の「父」だとしたら、
その「母」となる人物に会いに行くことになる。

実際にどういう支援をしていくか

ここから10年続く「支援事業」を生む出した「母」とも言える人物。
Fちゃんに会いに行くことにした。

当時、民間資格の心理学を勉強していた学校で
彼女は同期たったが、ボクの印象の中ではものすごいキャリアを持った女性だった。

なんと自らアフガニスタンに赴き、
現地の子供たちの支援などをしていた。

たぶん20代とかじゃなかったかな?
ボクはその年代は仕事しかしてなかった・・・。

決して人生なんて比べるものじゃないけど、
度肝を抜かれたというのが正直な印象だった。

当時の彼女はたまたま休職中ということもあったが、
震災の1週間後には被災地へ行き、現地で既にボランティアもやっていた。

現地に行った人の情報

実はここが重要なところで、
当時は本当に情報が錯綜していた。

現地にボランティアに行こうとしても報道では

「地元行政が県外ボランティアを求めていない」
「県外から行くと現地の人の食糧を減らしてしまう」
「移動も支援物資の搬送や工事車両を邪魔する可能性が」

などネガティブな内容も多かった。

何かしようとしていても
正直「何を信じて」「どう行動すれば」何もわからず。

現地に行った彼女に「実際のところどうだったのか?」
ということを聞いてみたい。そんな気持ちからだった。

彼女に話を聞いてみると

・ボランティアは全く足りていない
・県外ボランティアも「寝泊まりする場所」と「食事」を自分で確保すれば歓迎

というマスコミの報道とは全く違う内容だった。

東日本大震災については、阪神淡路大震災や中越地震など
近年で起きた震災の教訓をかなり活かそうとしていた。

実際に阪神淡路大震災では、ボランティアが買い占めて、
本当に届かなきゃいけない地元民が買えないとか。

避難所での炊き出しの食事を食べてしまい、
被災者全員に行き渡らなかった・・・ということがあったようだ。

確かに当時は被災地の支援だとか
ボランティアなんてものは確立しておらず、
相当苦労したであることは想像に難くない。

但し、現地の情報もろくに取れない状況の中で、
過去の経験や一般論なども含めた内容だけでは
個別具体的な対応は難しい。

正直この辺りからボク個人はマスコミ報道というものの
視聴者への情報提供という役割の限界を感じつつあったと思う。

Fちゃんの話を聞いて、
「迷惑がかけない」というのが前提ではあるものの、
「とにかく現地に行って何かお手伝いしよう。」と決意した。

思わぬ提案・・それが10年続く支援の始まり

ひとしきりFちゃんと話して
情報収集もさせてもらったときに、彼女は何気に言い出した。

「現地は本当にボランティアも全然足りてないし。
だから、心理学の同期の子たちを誘って、GWにみんなで被災地にボランティアに行こうと思ってるの。」

そうなんだ。
ん?ボクも同期だよね?w

それってボク誘われてないよね?(そこは重要じゃない

そっか。
ボク1人がボランティアに行っても
そんなに貢献できているとは思えない。

でも、もし現地と調整したり、資金を提供することで
被災地に行きやすい環境を整えたりする。

そんな組織や仕組みを作ることだったら、
たぶん人よりは長けている。
だったら

「ボクという人間がやる意味」は大きいかもしれない。

やることは決まった。
ボクはFちゃんに

「その被災地ボランティアをボクと組んでやらないか?」
とその場で彼女に伝えた。

今日はここまでとします。

今回から一般社団法人Zipsの「被災地支援」についての
ストーリーを書いていますが、まだまだ被災地には旅立てませんw

現在も続いている「鯉のぼりプロジェクト」はどうして始まったのか?
それにはもう少し文章が必要そうです。

そうそう。文中に出てきた「Fちゃん」は
この社会貢献事業の「母」だという表現をしましたが、
それは当時からそう言っていて。

きっかけを作ってくれた彼女には今でも感謝しています。

見た目はだいぶ穏やかなのに
ぶっちゃけ海外ボランティアとかにも1人で行っちゃうような
じゃじゃ馬な面を持っている彼女(失礼。

「結婚だの子育てだの自分には実感ないなぁ・・・。」
なんて話してましたが、今となっては「かわいい娘さんのママ」です。

現在は福岡に住んでいて、ボクが出張するときには
娘さんと3人でご飯食べたりします。

幸せな生活を送ってますよ。
まぁシングルマザーなんですけどねw

重めのテーマで書こうとした今回ですが、
被災地支援に至る経緯を書いただけで、終わってしまいました。

次回は、当時撮影した写真なども出しながら、
当時を振り返りたいと思います。

中にはボクの個人的な思い入れから
初めて出す写真なんかもあります。(気分が重い)

それではまた次回に。

ボクが代表をしている一般社団法人について

2009年に先輩経営者からの話をきっかけに「社会貢献事業」を始めるにあたり、
活動をする上では、別法人にした方が良いだろうということで、2011年1月に設立された今年で活動が11年目一般社団法人です。

主に「児童養護施設」の支援と、設立した年に発生してしまった「東日本大震災」の支援事業を行っています。

主に開催しているのは2つ
①児童養護施設向け支援事業「こころのあかり絵画コンクール」


今年で第10回目となりました。
全国の児童養護施設向けに「絵画コンクール」を開催しております。
優秀作品にはご本人が書いた絵をグラフィックアートにして、素敵な額縁に入れてプレゼントしています。

詳細についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/contribution/concours/

活動報告についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/activity/activity-category/orphanage/

②東日本大震災支援事業「鯉のぼりプロジェクト」

2011年の震災当時より、代表自らが被災地に赴き、支援を続けております。
現在は、福島県相馬市の「みなと保育園」さんにて、子ども達の成長を願い、毎年「鯉のぼり」を揚げるイベントを行っており、東京からお連れしたパフォーマーによるショーを行い、子ども達に喜んでもらっています。
この様子は毎年地元のメディアでも取り上げていただいております。

毎年のクリスマスには、ささやかですが、プレゼントも・・・。
そんなイベントも今年で丸10年を迎えます。

詳細についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/contribution/caresupport/

活動報告についてはこちら↓
http://www.z-ips.jp/activity/activity-category/tohoku-earthquake/

学生インターンの募集内容について

■インターンとしてご担当いただく内容

上記の社団法人と連携しつつ、弊社の社会貢献事業として、その広報・PRとして、広報活動やSNS運用が主なお仕事つぃて担当していただきます。
また、4月に開催予定のクラウドファインディングでは企画から運用までを担当していただきます。

活動については、弊社の学生インターンチームの一員で、グループで実施していただきます。

・社会貢献に興味のある方
・将来、子どもにかかわるお仕事を目指されている方
・クラウドファンディングに興味のある方
・社会起業に興味のある方
・ビジネスと社会貢献の関わりを実体験したい方

他では絶対に体験できない「即戦力のビジネス力」が身に付きます。
「えー?そんなの信じらんなーい」って方は、
ぜひ弊社のインターンミーティングに見学に来てください。

普通の学生だったインターン生たちがどう育っているかがわかると思いますよ。
ぜひぜひお待ちしております。

ぜひ気軽にミートアップや募集へのエントリーを!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

ミートアップは近日オープン!
興味のある方はぜひぜひ。

Invitation from R3corporation株式会社
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
R3corporation株式会社's job postings
1 Likes
1 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like 二三生 平松's Story
Let 二三生 平松's company know you're interested in their content