オシャレさには、種類があると思う。
例えば、DJ的なオシャレさというのがある。
これは、組み合わせのオシャレさで、既にある曲を選び、並べ、つなぎ、沸かせる。
評価されるのは、「何を組み合わせたか」。
つまり、編集力のセンスである。
アパレルで言うと、BEAMSみたいな世界だろうか。
高いものと安いもの。
新しいものと古いもの。
Tシャツにロレックス。
スーツにスニーカー。
過去には交わってこなかったものを組み合わせて、「いい感じ」をつくる。
もうひとつのオシャレさは、
川久保玲や山本耀司のような世界だ。
全身ギャルソン。
全身ヨウジ。
そこには「抜け感」も「外し」も必要ない。
それだけで成立してしまう。
前者は、組み合わせのセンスが評価される世界で、
後者は、そのもの自体が評価される世界だ。
自分はこれを勝手に"貫通力"と呼んでいる。
もちろん、編集力にも憧れる。
でも、貫通力にはまた違う難しさがある。
「それ自体がいい。」
そう思われるところまで辿り着かなければいけない。
編集力は、経験や知識で磨ける部分もある。
でも、貫通力は時間がかかる。
積み重ねたものしか、そこには宿らない気がする。
最近は、そんなことばかり考えている。