「当期純利益の15%を、そのまま社員へ山分けします」
この言葉を見て、あなたはどう思いますか?
「どうせ、大して利益の出ていない零細企業の、見栄えだけいい口約束だろ」
そう思ったなら、大正解です。ビジネスの世界において、経営者が語る「還元」ほど怪しい言葉はありませんからね。
財布の紐を握っている人間が、綺麗事を並べて労働者を都合よく働かせようとする。
そんな光景はこの日本のいたるところで見受けられますから。。
そもそも、日本には会社と呼ばれるものが約270万社あります。
その中で、ボーナス(賞与)を支給している会社は全体の約8割。
意外と多いな、という印象を持たれるかもしれませんが、金額的には20万円から100万円以上までピンキリで、中には「これはお年玉かな?」と首を傾げたくなるような寸志程度のところもあるでしょう。
ちなみに、日本の給与所得者の年収中央値は、だいたい386万円程度と言われています。
これは先程はなしたボーナスを含めての額です。
で、本題。
身も蓋もない話をしますが、会社を選ぶ上で「収入」は絶対に無視できない要素です。
お金、大事ですよね。私だってもっと稼ぎたいです。
ただ、多くの人が「金額」ばかりを気にして、
「そのお金をどういう仕組みで、どういう納得感で貰っているか」
というプロセスを無視しがちです。
なので、今回は、私たちがなぜ「当期純利益の15%を現場に還元する」という、少し変わったボーナス制度を大真面目に運用しているのか。
その裏側にある、既存の評価制度に対する強烈な違和感と、私たちのこだわりをすべてお話しします。
既存のシステムとしてはあまり見ないものだと思いますので1ミリでも興味を持っていただけたのなら少しだけお時間いただけると幸いです。
では、話を続けます
「経営者目線で働け」と言うくせに、報酬が変わらないのはバグである
ボーナス。
貰えれば誰だって嬉しいものですよね。
しかし、世の中の多くの会社において、ボーナスの額というのは「会社の業績」や「個人の本当の貢献度」と、驚くほど連動していません。
もっと正確に、かつ意地悪な言い方をしましょう。
会社の業績が悪化した年は「会社が危機だから」という大義名分で容赦なくボーナスカットが断行される。
そのくせ、業績が最高潮に跳ね上がった年は「将来の投資と内部留保のために」と言い訳されて、貰える額にガチガチの上限キャップが掛けられる。
これ、、
シンプルに理不尽だと思いませんか?
よく、経営者は労働者に対して、耳にタコが自生するほどこんな言葉を投げかけます。
「経営者と同じ視点を持って働け」
「会社を自分ごととして捉えろ」
「この組織を押し上げることが、君たちの成長に繋がるんだ」
だったら。
100歩譲ってその高い意識を要求するのであれば、会社の業績と、現場の個人の収入は、ダイレクトに連動していなければ絶対におかしい。
都合のいい時だけ「仲間」扱いして、果実を分ける時だけ「ただの雇用関係」に戻る。
そんな二枚舌が、私は昔から大嫌いでした。
私には、10数年ほど前にアパレル業界で働いていた、中の良い女の子の友達がいました。
彼女は本当に泥臭く頑張る真面目な子でした。
年に数回ある大型キャンペーンの時期には、声が完全に枯れて出なくなるまで、店頭の最前線でメガホンを持って呼び込みを続けていました。
その執念と努力が実を結び、ある年、彼女は全国100店舗以上ある中で、個人の売上ランキング「全国1位」に輝いたのです。
風の噂でその快挙を聞いた私は、自分のことのように嬉しくなって、彼女に聞きました。
「全国1位ってすごすぎるじゃん!やっぱり、そうなるとボーナスとかインセンティブもガツンと貰えたの?」
すると、彼女は少し寂しそうな、諦めたような苦笑いを浮かべて、こう言ったのです。
「ううん。社長賞として、3万円貰っただけだよ」
頭の中が一瞬、フリーズしました。
1人でキャンペーン中に何百万円、何千万円という売上を会社にもたらして、喉を潰してまで貢献した結果が、たったの3万円。
電卓を叩くまでもなく、会社の利益に対して現場へのリターンが不条理の極みです。
もちろん、これがフルコミッション(完全歩合制)のゴリゴリの営業会社であれば話は別でしょう。
しかし、日本の多くの「まともな顔をした企業」において、こうした構造は決して珍しくありません。
どれだけ現場が血の小便を流すような努力をして会社を稼がせても、その果実のほとんどは、現場からは見えないブラックボックスの中へと消えていく。
この話を聞いた時、私は心の底から思いました。
もし、自分がいつか経営者という、ルールを作る側の立場になるのであれば、この理不尽な構造を根底からぶっ壊せる人間になろう、と。
生み出したボーナスをどれだけ手にするかは、現場の「多面評価」が決める
そんな背景があって、現在の弊社弊社(株式会社Fereple)では、メンバーに対して「冬のボーナス」と「年度末のインセンティブボーナス」という、2つの銃弾を用意しています。
まず、冬のボーナス。
これは上半期の全体の売上や利益を考慮して、役員陣でしっかりと予算を決めます。
弊社は4月決算なので、10月の終わりに上半期の振り返りを行うのですが、ここからが少し変わっています。
一般的な会社のように、あなたの評価を「上司」や「社長」が一方的に下すことはありません。
なぜなら、一方向からの評価には、どうしても「好き嫌い」や「目立つ・目立たない」といった主観のノイズ、いわゆる忖度(そんたく)が混ざるからです。
Ferepleの評価は、「役員を含めた全員が、役員以外の全員を評価する」という、360度多面評価を採用しています。
「ビジネス(業務実績・スキル)」「チームワーク(周囲への貢献)」「人間性(信頼・誠実さ)」という3つの軸からなる、約40項目の細かい評価シートを、一人ひとりが全従業員に対してガチで記入します。
あの人は、陰でこういうサポートをしてくれた。
この人は、数字は出しているけれど、周囲への配慮が少し足りないかもしれない。
そうして集まった、現場のリアルな声の合計点数(獲得ポイント)に応じて、あらかじめ決めておいた冬のボーナス予算が、役員を除くメンバー全員に、上から順番にフェアに、傾斜配分されていく仕組みです。
過去の実績で言えば、同じ時期の冬のボーナスであっても、一番多く獲得したメンバーが60万円ほど、一番少なかったメンバーが20万円ほど、といったようなリアルな差が生まれます。頑張った人が、頑張った分だけ、仲間からの信頼の数だけ、正当に潤う。
至極真っ当な話です。
そして、もう一つの目玉が、冒頭に伝えた「年度末のインセンティブボーナス」です。
こちらの算出方法は、冬の予算の決め方とは明確に一線を画しています。
【その年の純利益】ー【翌年の予定消費税】=【残った額の15%】
この算式で弾き出された金額が、そのまま「年度末インセンティブ」の総予算として確定します。
つまり、みんなで知恵を絞り、泥臭くマーケティングのPDCAを回し、会社にしっかりと利益を残せば残すほど、この予算のプール金は湯水のように膨れ上がっていくわけです。
会社の財布が太くなれば、個人の財布もダイレクトに重くなる。
貰い方は冬と同様、1年間を振り返ってみんながみんなを多面評価し、ポイントに応じて山分けします。
では?なぜ、わざわざこんな面倒なことをしているのか。
理由はただ一つ。
最初に話した「理不尽」が、ヘドが出るほど嫌いだからです。
会社の業績が上がれば、定量的・自動的にボーナスが増える。
頑張ったら、頑張った分だけ自分の手元に返ってくる。
そして何より、上司という「たった一人の人間」に媚びを売る必要が一切ない環境を作りたかった。
この制度において、社長である私の1票も、入社したばかりのメンバーの1票も、全体のなかの「たった1票」に過ぎません。
どれだけ私が誰かを贔屓しようとしても、現場全員のリアルな評価の前に、私の個人的な主観なんて簡単に掻き消されます。
こうすれば、社内政治なんていう不毛なゲームはそもそも発生しませんし、上司の顔色を伺う必要もなく、ただ淡々と、目の前の仕事を頑張って、チームの仲間に貢献すればいいだけになります。
その方が、ビジネスパーソンとして圧倒的に健全で、圧倒的に成長できると思ったんです。
ただし、一つだけ強い注意点があります。
Ferepleは、業務の実績や数字(スキル)を出すことは当然求めますが、それと同じくらい「人との繋がり」や「人間性そのもの」に重きを置いています。
どれだけ天才的なマーケティングスキルを持っていて、1人で何億円という数字を叩き出したとしても、周囲のメンバーを使い捨ての駒のように扱ったり、他人の足を引っ張って出し抜こうとするような「人間性に難がある人」は、この360度評価において、仲間から絶対に高得点を貰えない仕組みになっています。
一匹狼の暴君は、うちの村では生きていけないのです。
みんなで知恵を出し合い、みんなで会社という船を前に進め、そして上がった利益を、みんなでフェアに分配する。これが、株式会社Ferepleという組織のルールです。
ちなみに、いいことだけ言うのも気持ち悪いので、ちゃんとその側面も話しておきますが、会社が赤字になればボーナスはなくなります。
これは、ちゃんとメンバーに話していますし、採用の際にも話しますが、利益が出ていなくてボーナスが出ない、この辛酸を一緒に舐め尽くすからこそ、ちゃんと利益が出た時にみんなで喜びあえると私は考えています。
これが素直な気持ちです。
会社なんて、自分のためにやるのが当たり前だろ
そもそも論をさせてください。
今の世の中を見渡せば、「従業員には最低限の給料だけを払い、いかに効率よく、限界まで生産性を高くして働かせるか」ということばかりを考えている経営者が本当に多く溢れています。
もちろん、経営の目的が「売上を最大化し、利益を会社の内部にひたすら溜め込むこと」だけなのであれば、それは100%正しい戦略です。
経済合理性という冷徹なモノサシだけで測れば、従業員の感情や、キャリアや、人生なんていう面倒くさい要素は二の次にして、全員をマニュアル通りに動く「精密なロボット」にしてしまった方が、手っ取り早く生産性は上がります。
本屋のビジネス書コーナーに並んでいる小難しい経営本も、有名な経営コンサルタントの偉い先生方も、大体そういう「正しい売上至上主義の経営」を教えてくれます。
ですが。
私はどうしても思ってしまうのです。
そうやって現場をすり潰して、感情を殺して出来上がった、血の通っていない企業に、一体なんの価値があるのだろうか、と。
少なくとも、私はそんな組織の中にいたいとは思いません。
会社なんて、私の視点から言えば「人がすべて」です。
もし明日、うちの十数名の仲間たちが一斉に「こんな会社、もう辞めます」と言って出ていったら、残された私は、ただの学歴も職歴もない、30過ぎまでバンドをやっていた中身のない男に逆戻りです。1人では何もできない、ただの無力な人間です。
だから、会社=人なんです。それ以外の何物でもない。
株式会社という法律上の仕組みの都合上、100%の株式を持っている私のものとなっていますが、それでもなお、このFerepleという会社は「ここにいるみんなのものだ」と断言できます。
だとしたら。
一緒にこの会社を泥にまみれながら押し上げ続けてくれている従業員のみんなが、精神的にも、経済的にも、ちゃんと豊かに、幸せになれる労働環境を目指し続けるべきなのは、経営者として当たり前の「前提条件」だと思います。
働くメンバーだって、ボランティアや慈善事業で毎朝会社に来ているわけではありません。
自分の人生という貴重な時間を投資している人間です。
だからこそ、そこに不平等や理不尽を覚えたのなら、いつでもこの会社を見限って離れていく正当な「権利」を持っています。
私は常に、メンバーから選ばれる側でもあると思います。
もちろん、今のFerepleが、完璧な理想郷だなんて言うつもりは毛頭ありません。
まだまだ制度の細かい歪みはあるし、改善の余地だらけの、発展途上の零細ベンチャーです。
だけど、私たちはどこまでも「正当な収入」「フェアな評価」、そして誰にも魂を縛られない「自由」を泥臭く追い求める会社であり続けたい。
そう考えているのです。