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こんにちは!
カンリー採用担当です。カンリーのストーリーを覗いて頂きありがとうございます!
今回は、社員による入社エントリ「5年間の”経営者"生活を辞めて、カンリーに入社します。」をお届けします。
※本内容は2024/5/24に公開された記事リライトした内容となっており、情報は当時のものとなっております点予めご了承ください。
巴山雄太 は、24歳から5年間続けた経営者生活にピリオドを打ち、SaaSスタートアップ企業の「カンリー」に入社します。
どのような経緯でこの意思決定に至ったのか? なぜカンリーなのか? 改めて、人生において何を実現したいのか? なぜ、再起業ではなく、就職だったのか? …今日はそんなお話を、赤裸々に綴らせていただきます。
【プロフィール】巴山雄太|Yuta Tomoeyama
株式会社カンリー 事業開発室 マネージャー
幼少期の吃音由来の自信のなさを、2,000名の男子校で高校生徒会長を務めた経験で乗り越えたことを原体験に、若者が一歩を踏み出すきっかけづくりに使命を持つ。「ブラックな企業」として知られるトゥモローゲート株式会社に新卒入社後、挑戦する全ての人が外的要因で夢を諦めない世界を目指して、2019年に地域サッカークラブ江の島FCを創設・法人化し、2023年5月にM&Aを実施、代表退任。2021年に歴代22物件を展開するコミュニティハウスアオイエの代表に就任し、2024年4月退任。足のサイズは24センチ。特技は、4桁の数字を一瞬で素因数分解すること。
なお、このコラムは、世に放たれている数千もの「入社エントリ」の中で、最も参考にならないものになっているかもしれません。
ただ、ひとりのアホな起業家が挫折を繰り返しながらひとつの意思決定をした記録として、今後の人生について悩んでいる学生、社会人の皆様に向けた小さなきっかけになれればとも思っております。
12,000文字超えのコラムです。
是非とも、貴方の5分間をいただけたら光栄です。
目次
- はじめての転職活動へ
- カーニバルを興したい
- 社長としての在り方
- 再起業か、それとも就職か?
- 辰巳との出会い
- なぜカンリーだったのか?
- 1、企業理念を実現したいと心から思えた
- 2、特殊な組織文化
- 3、代表辰巳の存在
- 「起業家」を辞めるということ
はじめての転職活動へ
「そしたら、次に指名した人は、教科書の119ページの文章を音読してください。じゃあ、巴山くん。」 その瞬間、太鼓のような鼓動が全身を叩きはじめる。時間が止まったような感覚。動悸の中、僕は必死に声を絞り出す。
カーニバルを興したい
僕が人生を通じて実現したいことは、「カーニバルを興すこと」です。
僕は、幼少期に抱えていた難発性の吃音が原因で、漠然とした不安や生きづらさを感じて生きてきました。自分の言葉やコミュニケーションを通して何かを動かすことなんてできないんじゃないかなと、自信を持つことができませんでした。
そんな自分を生徒会長の一年間を通じて克服したことが原体験で、昔の自分のように自信の持てない人が一歩を踏み出すきっかけになれるような場所をつくりたいと考えて、活動してきました。
僕は、世の中のコンテンツには、フェスティバルとカーニバルの2種類があると思っています。
フェスティバルは、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』とか『SUMMER SONIC』とか。発信者と受け手がいるものかなと思っています。
カーニバルは、全員が発信者になれる場所みたいなイメージです。例えば『SHOWROOM』とか『ニコニコ超会議』とか。
全員が発信者になれる場所を、できるだけ障壁低く、熱量のある形式で実現できたら、もしかしたら昔の自分も、自発的に発信する機会が生まれて、変われたんじゃないかなと思って。
オフラインのイベントの主催を通じて、自分の考えるコンテンツを作りつづけた学生時代。そこから、「地域サッカークラブという故郷を運ぶ仕組みが、非連続な出会いを加速させる」と考えて、江の島FCを。「利害関係ではなく応援し合える家族の関係がシェアハウスにはある」と信じて、アオイエを。結果として、ステークホルダーが広いプラットフォームのような事業と、人間の内面のミクロな部分を支援できる事業に携ってきました。すべては、自分の思い描く最高のカーニバルをつくるために。
大学4年時にやった食イベント「断食レストラン」
いま僕は、「カーニバル」の究極は、遊園地だと考えています。遊園地というコンテンツは、映画やドラマのように作り手によって結末を決められていなくて、自分で探索しながらストーリーを展開していける構成であることによって、全ての体験が非日常ではなく日常として落とし込めるようになっているという仮説を持っています。だから、自信のない若者が自分を変えるきっかけになるような遊園地をつくりたい。
壮大なビジョンですが、60歳までに実現できるよう、経験を積んでいきたいと思っています。
社長としての在り方
ここまで読んでいただいてお分かりの通り、僕は、いわゆる「起業家」って感じの人間ではありません。起業家のお面を被った、アホなんです。あくまで作り手として何を実現したいかを考えて突き詰めていった結果として、そこに人やお金が集まってしまって、手段として法人化を選択しました。
だから、組織にとってそれが必要なことであれば、明確に新しい風を取り入れることができる「代表交代」や、大きな資本や知見を獲得できる「グループイン」等も、迷わず選択すべきと当時考えていました。
江の島FCでは、クラブの成長曲線に対する個人のスキルセットに限界を感じたこともあり、資本や経営知見の獲得のためにM&Aを実施し、代表を退任。今は新たな経営陣のもと、引き続き運営されています。
その後、直近の1年間ではアオイエの経営のみを行っておりましたが、10年後に残るコミュニティにするためにどうすれば良いかと考え続けた結果、世代交代や事業の転換に向けて、同じく代表を退任することを考え始めました。
率直に、入居してくる住人との間には大きな世代のギャップが生じ始めていたし、自分自身も江の島FCの退任後は少し人間的に落ち着いてしまって、住人を背中で引っ張っていく巻き込んでいける"挑戦者"のようなライフフェーズではなくなっていたのだと思います。
後述しますが、あの「松下村塾」が創設時の熱量を持って栄えたのはたった2年半だったという言説を、自分はとても興味深く思っています。目的を共にする人間の共同体である「コミュニティ」が残っていくためには、定期的にアップデートされ続ける必要があるのだと感じます。
再起業か、それとも就職か?
2024年2月、会社が8期目を迎える前に、アオイエの代表交代の方針が決まりました。一方で、その後の自分はどうやって生きていけば良いのだろうか、と悩むようになりました。
経営者というのは所詮肩書きに過ぎないと思いますが、5年間を経営者として過ごさせていただいた自分には、「社長という大きすぎる肩書きの外れた自分に一体何ができるのだろう」という不安を抱いていました。
「起業家って大体社会不適合だよね」「起業家として時間の制約のない生活をしてしまうと、サラリーマンには戻れなさそうだよね」というのは、ストレスゆえの自己暗示なのかもしれませんが、同世代の起業家の間でもよく話題になる事柄かもしれません。
確かに、"R社の営業MVP"やら”業界大手K社で5年間勤めた人”とかに比べると、起業家は社長ブーストがはたらく分、専門性が極端に属人的(泥臭く這いつくばって3000万円を作れる、等)で、キャリアに再現性を出しにくいものだと思います。
とはいえ、これまで既に、本当に自分が社会に必要と信じていることを、偉大な社会起業家に揉まれながらも、精一杯やってきました。再び事業を立ち上げるにも、同様のモチベーションで始められる事業があるだろうかと考えた時に、はっきり言ってそう多くは思いつきませんでした。
再起業か、就職か。
うーん。どうしよう。
やがて、自分の将来像と向き合う中で、今の自分がいわゆるスモールビジネス、コミュニティビジネスの経営経験しかないことや、「1億、5億、10億のそれぞれの規模で必要な経営スキルが変わる」と言われる中、5億や10億の壁を経験していないことは、将来もう一度起業をする際には致命的になると考えました。
自分が幸せにできる人を増やすために、できることを増やしたい。
それならば。若いうちにシリーズA~Bくらいのスタートアップをしっかり経験しておきたいと考えるようになっていたこともあり、数社に絞ってまず話を聞いてみて、それから考えてみようと考えるようになっていました。
辰巳との出会い
カンリーとの出会いのきっかけは、for Startupsさんでした。起業後の就職を誰に相談すれば良いかわからないんだよねと起業と転職経験のある友人に相談したところ、「そりゃあフォースタでしょ」と(?)。
そこから紹介いただいたうちの一社が、カンリーでした。
元々アオイエでカンリーから提案を受けていたこともあり、サービス理解はある程度ありました。ただ、興味分野の狭い自分がヴァーティカルSaaSで働くイメージは全く持っていなかったので、とりあえず話だけ聞いてみるか..くらいのモチベーションで、ご紹介いただくことにしました。
一方で、カジュアル面談に現れたCo-CEOの辰巳の第一印象は「もしかしたら俺はこういう人になりたいかもしれない」というもので、一気に引き込まれたのを覚えています。
Co-CEOの辰巳(31)
なぜカンリーだったのか?
結局、業務に支障の出ないよう夜間にヒソヒソと行なった僕の就職活動は、2週間で幕を下ろすことになりました。最終的にカンリーに入社を決めた理由は、大きく3つです。
1、企業理念を実現したいと心から思えた
カンリーのミッションは、「店舗経営を支える、世界的なインフラを創る」です。
僕の両親は、元々夫婦でフィルム写真を現像する写真屋を営んでいました。
今思えば、両親の働く姿を近くで見られるような環境だったので、写真屋を経営している両親の影響を小さいころから受けていたんじゃないかなと思います。しかしながら、僕が小学6年生のときにデジタルカメラが流行してお客さんが減り、店を閉めることになりました。
もちろん、責任を背負っている以上、専門領域ではないところでも一定のリテラシーが求めらてしまう、そういう世界で生きているのが経営者だと思います。でも、経営における一定のリテラシーギャップを埋めることで、経営者はもっとプロダクトの本質で勝負することができると思います。自分の経営の経験も踏まえて、これを支援したいなと考えるようになっていました。
特にカンリーが見据える未来は、短期的なマーケ支援をすることではなく、店舗の課題から逆算して、HR、SCM、バックオフィスなど、統括的なインフラをつくることです。
労働人口の減少による人手不足は深刻化し、店舗と顧客との接点が複雑化する時代だからこそ、これを成し遂げることには大きな価値があるのではないか、そこに向けた今のシリーズBの組織フェーズも、今の自分に合っているのではないかと考えました。
2、特殊な組織文化
「巴山くんの成長に一番必要なのはセールスでもファイナンスでもなくて、人に向き合うことができていない自分にひたすら向き合って、人として生まれ変わることだと思う」
マーケティング部 部長 神田さんの言葉(採用面談にて)
カンリーの採用面談を通じて気づかせてもらったことなのですが、僕は、自分が見渡せる範囲のピラミッド型組織しかマネジメントしたことがありません。
5億、10億、30億と会社を伸ばしていくためにはミドルマネージャーを育成したり、権限を委譲していくことが欠かせないものだと思いますですが、これを経験していないことは、自分の弱点です。
カンリーには、「過去の倒産危機に事業ピボットをした際に、社員が1名も辞めなかった」という、童話みたいな逸話があります。
(参照:https://note.com/canly/n/na4dd8c0b62c2)
定量的に示されている15のバリューや、オープンコミュニケーション文化、照れ臭いほどお互いを賞賛し合う週1回の表彰「WINSESSION」。そのどれもが、共同創業者のもと、良い組織を育むために構成されています。このチームがどんな環境なのかを経験したいと考えています。
3、代表辰巳の存在
最後、やっぱりこれです。
後でくどいくらい後述するのですが、僕はリーダーとして、「楽観的なのに繊細」という謎すぎるバグを持っています。大体楽観的な経営者は9割くらいがブルドーザーのように図太くて、時に周囲に不安な思いをさせてでも推進していく胆力のある人が多いように思います。
また、「人を驚かせたいということと、人を傷つけたくないというどちらもが最優先事項に君臨している」というパーソナリティを生きにくさとして持っています。誰もをワクワクさせるようなデカいことをしたいと思うのに、それを通じて傷つく人の存在がチラついて、ワクワクさせにいく途中なのにそっちに集中力の90%を持っていかれてしまいます。
だけどマネジメントは、悪役になることは決して避けては通れないと思うのです。僕は自分の言葉で人を傷つけることが怖くて本当のことが言えず、マネジメントでこれまでたくさんの失敗をしてしまいました。
そんなこんなで、「なんだよ、経営全然向いていないなあ」と思いながら5年間の経営を行ってきました。自分が経営者として幸せにできた人のことよりも、幸せにできなかった一人一人のことばかりを思い返してしまいます。
他方で、原因の一つとして、ロールモデルの不在が挙げられます。世の経営者のアイコン的な方々はみんな、挑戦!突進!取捨選択!というマインドで、不甲斐ない僕に日々襲い掛かってくるのです。
前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、そろそろ辰巳の話をします。(笑)
辰巳は、「10分話した人全員を仲間にできる」ようなアトラクト力を武器にしながらも、どこかで不器用さや優しさやも併せ持っている、人間臭い人だなと思わせるものがありました。辰巳直下で動かせていただいている今でもその印象は変わらず、僕にとっては、ロールモデルと言えるリーダーのひとりだと感じています。
これからこのチームで、歴史に名を残す会社をつくっていけることがとても楽しみです。
「起業家」を辞めるということ
入社エントリを書かせていただくうえで、前職のエピソードをどれほど書くべきか迷いました。
ただ、これまで結果責任を持って向き合ってきたことについて触れておかないと今後について語ることはだいぶ難しそうとのことで、ここでは起業家を辞めることの困難や、辞めてみて改めて感じていることを綴らせていただきます。
江の島FCは、僕の原点
クラブ創設初年度
江の島FCは、江ノ電沿線を中心とした湘東地域をホームタウンとし、男女チームを持つ藤沢市初のプロサッカークラブです。5年前の創設以来、僕は主に経営全般と、スポンサーセールスを担っておりました。
東京を離れて大阪に住んでいた新卒1年目のとき、何もかもが上手くいかなくなって、幼少期の頃から応援していたFC東京の試合を大阪・吹田で観戦しました。初めて故郷を離れた場所でFC東京を応援したのですが、そこで見たのは、東京の歌を歌い、東京を叫ぶ、東京にルーツがあるであろう大人達の姿でした。
サッカークラブは、"故郷を運ぶ存在"なのかもしれないな。
それから僕は会社員を辞めて、江の島FCを創設することにしました。チーム名から、ホームタウンから、エンブレムから、ユニフォームから、デザインから、選手スタッフ集めから、ビジョンから、何もかもが手作りの、サッカークラブ。
全てがバタバタだったから、チーム登録期限時点で、登録選手数さえ足りませんでした。そこで、プレーするつもりのなかった経営陣の名前はもちろん、それぞれの両親や兄弟、サッカー歴0年の友人たちを集めて規定の16人を集めてサッカー協会に提出したことで、サッカーチームと言えるかわからないサッカーチームが始動しました。(そんな苦労のあった1年目は、昇格をかけた最終戦で提出書類のミスで交代選手をベンチに入れることができず、敗退に終わります)
計上できる売上見込みも属人的で不透明な中、サッカークラブであるためには月100万円を超える運転資金が必要で、カテゴリーを上げるごとにその負担は膨らみます。「崖から飛び降りながら飛行機を作る」というベンチャー組織を形容するその表現はあまりにも的確で、そんなガタガタの組織を、役割も専門性も異なる強化部・事業部で連携しながら成長させていかなくてはなりません。
"危機"なんてものは、何度あったかわかりません。
あまりの変数の多さに、眠れなくなってしまうような人間関係のトラブルが、強化部や選手との間で何度もありました。漫画に出てくるような高圧的なファクタリング業者や個人のビジネスローンに頼らざるを得ないような、キャッシュフローのトラブルもありました。
それでも、選手98名スタッフ30名もの仲間に毎日助けてもらい、活動を続けていくことができました。
2023年のM&Aを機に、創業から関わってきた江の島FCの経営という立場からは離れましたが、いつかサッカークラブの経営にもう一度関われる機会があるとすれば、そのときはもっと成長した姿で、誰かにとっての故郷のようなクラブをつくれることを、今も変わらず夢見ています。
「将来、江の島FCのスタジアムDJになるのが夢なんだよね。」
友達から言われた言葉
数人と始めた小さな活動が、いつの間にか誰かの夢に変わっている。そんな夢を共有するような瞬間を何度も目の当たりにできた毎日は、紛れもなく「青春」だったと思っています。
豪雨の中、みんなで掴んだ初タイトル
これからも、アオイエとともに。
僕とアオイエの出会いは、8年前。学生時代からアオイエの活動を追いかけていた僕は、大阪進出のタイミングで十三のアオイエに入居、退去後に前代表坂元が江の島FCでプレーしていたなかでご縁をいただき、代表としての職を預からせていただきました。創業社長ではなくて、3代目。20代に対してそこそこ認知も取れているような既存事業を、引き継いだ形になります。
自分がコンプレックスがあって自信がないところから始まったからこそ、自信のない人でも一歩踏み出せるきっかけづくりがしたいと思っていました。学生時代に「カーニバルをつくるぞ」と意気込んでイベントやフェスを創っていたけれど、今思い返せばあれはすでに表現できる人しか表現できない場所だったかもしれない。昔の自分のように自信がなくても、環境の力を借りながら踏み出せるようにしたくて…それが、アオイエが創設時から掲げてきた「みんな表現者」という言葉と明確にリンクしました。
また、自分の江の島FCの創業にはアオイエという環境の影響が大きかったように、技術によるイノベーションが出尽くしてきた感がある中で、いわゆるソーシャルキャピタルやコミュニティを通じて応援してもらえる関係性があることが、若き挑戦者にとっては再重要事項なのだと思っています。
アオイエは、東京大阪京都で13軒のコミュニティハウスを展開し、総勢600名が入居。
就任して1週間経ったある日。深夜3時頃、ある物件の大家さんからの電話で目覚めました。「アオイエのお部屋から大量に漏水している。インターホンを押しても誰も出ない。今すぐ物件に来てほしい」。
結論としては、住人の子が無断で宿泊させていたパートナーの女性が、深夜に風呂の水を出したまま入浴中に失神し、数時間に渡って下階の一般住居に浸水。下の階に住んでいた方の家具家電や仕事道具が水没してしまったということでした。(パートナーの女性は、出産後で精神的な問題を抱えられていてパニックを起こしてしまっただけで、命に別状はありませんでした)
しかし、会社として契約している部屋ではなく下の階の部屋への損害だったこと、なおかつ仕事道具への損害であったことで、会社として契約していた家財保険が全く降りず。被害者の住人様・大家さんからそれぞれ数百万円の損害賠償。
そしてなによりも、今回は「水」であったために漏水で済んだものの、事故の原因が万が一にも「ガス」だったら?自分は経営者としてどうやって責任を取れるのだろうか? という果てしない焦燥感。でも、事故を起こしてしまった人にも複雑な背景があったように、全てが順風満帆な人は、アオイエには1人もいないのも事実です。社会的責任の大きさに気付かされる出来事でした。
ちなみに、僕はこの一件を踏まえて、とある決断をしました。
金髪です。
経営者として求められる社会的責任の大きさと、自分の人間性。この二つがまだまだ不釣り合いだなと思っていた中、金髪にすることで折り合いをつけようという狙いでした。社会人なのに金髪にしている奴には、基本的にすごいやつかヤバいやつしかいません。だから、こうやって周囲の期待値を敢えて奇怪なところに設定することによって、自分のパフォーマンスを如何なく発揮しやすくできる、という気づきを得ることができました。(ドヤ顔)
アオイエでは、経営全般のほか、入居者獲得に向けたBtoCのマーケティング、アライアンスセールス、MVVの刷新、新規事業「トーキョーロッヂ」の立ち上げを行いました。
今でも、都市圏に移住する20代の若者の半数以上が望まない孤独を抱えていると言われています。実際に自分自身の夢を描いて、それを社会実装できるような才能と運を持つ人は、実のところ20万人中100人もいないのではないと思います。僕もそうです。
そんな葛藤期の孤独に寄り添うためには、突飛なシステムやテクノロジーは必要ありません。まだ見ぬ可能性を信じ、自分自身のあり方を見つめながら日々行動する人たちにとって、アオイエには肩書きや名前だけの表面的な関係値ではなく、これからも「家族の循環」を通して後押しし続けてほしいと考えています。
僕を育ててくれたアオイエが、これからも夢を描く若者たちの居場所であり続けることを、願ってやみません。
起業家の僕が、できなかったこと。
2つの会社の経営。珍道中のような5年間を思い返してみると、できなかったことがたくさんあるように思います。
まずは、「キャッシュフローの整備」です。
江の島FCもアオイエもそうですが、コミュニティビジネスは、その価値を発揮するためにまず一定のランニングコストを必要とします。でもこれが月数百万円になってくると、僕のようなガサツな人間が管理し抜くには限界があるのですが、これに気づくまでに5年かかってしまいました。今もまだ、月末が来ることに怯えてしまいます。安心して委任できるメンバーを置き、適切な連携を行なっていくなど、財務体制づくりはこれから学ばないといけません。
次に、「チームビルディング」です。
社員が何かを「できない」とき、基本的にその原因は、やり方がわからない・やる理由がわからない・やる気がない の3種類のいずれかしかありません。でも、そのグラデーションの中間に「やりたくないけどそれを言えない」「やり方もやる理由もわかるけど優先順位が上がらない」のみたいな状態があったりして、マネジメントがメンバーと同じ尺度に立ち、そのアラートに気付くためにも、関係構築が必要なのかなと思います。
特に社長を退任してから、フラットに他のスタートアップ企業を観察する機会に恵まれました。カルチャーモデルが浸透し、メンバーが生き生きと活躍している組織の共通点として、1on1などの対話機会を徹底して行なっていること、結果責任と権限の領域が一致していること、メンバーが内発的動機で動いていること、があると感じました。アオイエのコミュニティマネージャー、江の島FCのマネージャー、コーチ、監督など、少し思い返すだけでも、自分がもっと幸せにできたであろう仲間の顔がたくさん浮かびます。ビジネスモデルによる変数も大きいとは思いますが、メンバーが頑張った分だけ報われるチームにするために、リーダーとして何をするか。ここをこれから学んでいきたいです。
最後に、「セルフケア」です。自分自身のメンタルヘルスの話です。
この5年間は毎日が爆速で、心身を削りながら生活していました。この5年間の中で、時間をかけて大切にできなかった景色や人が存在しているように強く感じるのです。これから、文章を書いたり、音楽をやったり、パートナーや家族や友人との時間を大切に過ごしたり、旅をしたりしながら、文化的な生活を取り戻せるように生きていきたいなと思っています。(飲みのお誘いも待ってます)
退路を絶って、駆け抜けたこの5年間。危機ばかりだったかもしれないけれど、これ以上の熱狂があるのかというほど、毎日が熱狂に溢れていたと思うのです。一緒についてきてくれた仲間に心から感謝しつつ、闘い続ける全ての起業家に敬意を持ちつつ、全ての経験をこれからの自分の人生の布石にできればと思います。
6年ぶりの「新入社員」として
江の島FC、そしてアオイエの代表を退任し、カンリーに入社してから、早くも1ヶ月が経過しました。
インバウンドプロモーション関連の新規事業の責任者として、「日本の店舗を世界で勝たせる」ための事業を仕込んでいます。
こんな辺鄙なキャリアを歩んでしまった自分が、本当にちゃんと働けるだろうかと思っていましたが、カンリーには執行役員の石井 を筆頭に元起業家の若手メンバーが多く在籍していることもあり、毎日が刺激と学びの連続で、最高です。最速で圧倒的な結果を出したいです。
カンリー名物のスタンプ激押しSlack文化。
基本的に毎日五反田オフィスまで出社しているのですが、満員電車って大変だなとか、社内ランチとか飲み会ってすげえ大事なんだなとか、一方で社長の名刺が持つ社会資本力って半端なかったんだな〜とか、6年ぶりの新入社員にワクワクしながら日々を過ごしています。
こんな僕でも、夢を追い続けることだって、会社に入り直して再挑戦することだってできる。僕が尊敬している社会起業家の中には、社会不適合だとか、キャリアに再現性がないと諦めている人もとても多いかもしれないけれど、そんなことはないぜ、と伝えたいのです。
人は、どんな挫折経験をしようと、いつだって機会さえあれば何にだって生まれ変われる。その上で、その選択を正解にするために、今何をするかが大切であると、改めて思います。
僕はこれからカンリーと、この組織と、歴史に残る事業を作るために挑戦していきます。
改めて、カンリーの巴山です。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
ここまで読んでいただいたあなたのことが好きです。
最後の最後に、こんな僕が新しく挑戦している「カンリー」について知ってください。
何を目指している会社なのか?
カンリーは「店舗経営を支える世界的なインフラを創る」をミッションに、店舗運営のDXを実現するプロダクトの提供を通じて、店舗経営に欠かせないインフラとなることを目指すスタートアップ企業です。
株式会社カンリー|コーポレートサイト株式会社カンリーは「店舗経営を支える世界的なインフラを創る」というミッションを掲げ、MEO対策・Googleマップの一括管biz.can-ly.com
どんなサービスを展開しているの?
コンパウンドスタートアップとしての展望
Googleマップ・HP・SNSの一括管理SaaS「カンリー」と、マップで探せる福利厚生「フクリー」等のサービスを複数展開しています。
どういうフェーズ感なの?
店舗情報の一括管理システム「カンリー」は導入店舗数55,000店舗を突破!2023年10月には、福利厚生サービス「フクリー」を正式リリース!いずれのサービスも店舗の工数削減や集客支援に寄与しています。1年前にシリーズBの資金調達も完了し、既存事業の深化と新規事業の探索の両軸で爆速成長中です。
最後に
店舗DXによって店舗の課題を解決できるインフラを実現させることに向けて考えると、まだ三合目付近。まだまだ長い道のりです。特に、2030年に600万人の労働人口が足りなくなると言われる「人手不足」の問題や、年間2,500万人もの訪日観光客対応に関する「インバウンド集客の仕組み化」など、解決しなければならない課題は山積みです。
でも、こういう「崖から飛び降りながら飛行機を作る」感覚は僕がまさにスタートアップの環境に求めているものだし、毎日ワクワクしています。
新しい環境へのチャレンジになりますが、これからも前を見据えて挑戦していきますので、読んでいただいた皆さんと、ご一緒できることがあれば嬉しいです。
カンリーのこれからに、どうぞご注目ください!
最後まで読んでくださった皆様へ告知
1、採用めっちゃ募集中(全員と僕がカジュアル面談します!)
カンリーは「全員人事」という思想で、全社員がリファラル採用を積極的に行なっております。新規事業開発・セールス・CS・エンジニア・マーケなど、ほぼ全てのポジションで採用強化中です。このフェーズだからこそ挑戦できることばかりだと思うので、少しでもキャリアに悩んでいたら、ぜひ話しましょう!
2、事業連携できそうな人、ご連絡ください!
改めて、事業責任者として「日本の店舗を世界で勝たせる」をビジョンとして、インバウンド集客支援を行う事業を作っています。中華系のSNSプロモーションに強い方や、訪日外国人向けのメディアを運営されている方、インバウンド対策に関わる各省庁の方など…インバウンド集客に携わられていたり、連携できそうな方がいらっしゃれば、ぜひ一度ディスカッションさせていただけましたら幸いです。
3、#俺に写真を撮らせろ
"写真屋の息子"というルーツを持つ巴山に、1時間ポートレート写真を撮らせてくれる人を5組限定で募集します。公開用でも、保管用でも、用途はなんでも大丈夫。場所は基本的にどこへでもいきます。個人でも、グループでも大丈夫です。(機材はEOS7D MarkII予定)
そういえば、最後の最後までひどい言われようだった似合わない金髪も、どこか勲章のようでひどく気に入っていたことを、黒髪に戻してから気づきました。これから、もっと似合うような人間になれるよう、頑張ります。