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【串本・潮岬】リフレッシュ休暇制度を使ってみた【本州最南端】

技術営業部の大原です。

今回は ビヨンドの福利厚生制度「リフレッシュ休暇」を使って、本州最南端・和歌山県の「串本 / 潮岬」に、1泊2日で観光したときの見所をご紹介します。
※ 写真が多めの記事です。

ちなみに ビヨンドのリフレッシュ休暇とは、ビヨンドに入社してから 5年以上の在籍となるメンバーに「5年ごとに2週間の休暇+10万円の功労金」が付与される制度です。

▼ ビヨンドのリフレッシュ休暇 の詳細については コチラ ▼

https://beyondjapan.com/blog/2019/10/long-vacation

◇ はじめに

和歌山県の串本 / 潮岬には 初めて行ったのですが、先にザックリな特徴・感想をお伝えすると、下記のようになります。ちなみに 大阪 ~ 串本まで 車で行きましたが、片道 約3時間の所要時間でした。

● 本州最南端というだけあって、太平洋の地平線が見えるスポットが多く、絶景の景色が見れる。
● 本州に居ながら 南国の雰囲気を味わえる。
● 東京・大阪などの 都市部の気温のような ジメジメした暑さではなく カラっとした暑さ。
● かなり海が近いので、よく風も吹くため 夜も涼しい。
● 海の色がエメラルドグリーン。(世界最北のサンゴの場所がある)
● 江戸時代・明治時代から、諸外国との関わりが深い歴史がある。
● 魚料理が新鮮で美味しい。また、釣りスポットも豊富。

串本海中公園

まずはじめに「串本海中公園」にやってきました。併設されている「串本ダイビングパーク」ではダイビングも出来るそうです。(ダイビングはスケジュール的に出来なかったです)

串本海中公園 の施設の裏側にやってきました。写真の真ん中にある塔のようなモノは「海中展望塔」です。

看板には「串本には世界最北のサンゴの海がある」と記されています。

サンゴの化石が たくさん海岸に打ち上げられていました。

写真では少し伝わりにくいのですが、サンゴの海だけあって、海の色がエメラルドグリーンでした。

◇ 橋杭

「道の駅くしもと」にある「橋杭岩(はしぐいいわ)」です。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、橋の杭が立っているように見える橋杭岩は、大昔に、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭けをして、一夜にして立てたという伝説があります。

この辺りから、段々と天気が良くなってきました。

とても砂浜がキレイです。太陽の日差しが強かったので、外にいるだけで日焼けしてきました。太陽の日差しは強いですが、周りは海なので よく風が吹いていて、カラッとした暑さで いい感じでした。

田原海水浴場

この日はとても暑かったので 海水浴場で泳ぎました。海水浴場には自分以外、誰もいませんでした。泳いでいると日焼けしました。

潮岬

本州最南端の「潮岬」にやってきました。本州最南端を示す石碑と海を見ながら、遠くまでやってきたと実感しました。ちなみに緯度は「北緯33度26分・東経135度46分」です。

大草原です。

どこかの船です。

見渡す限り 大海原 ばかりです。こうやって大海原の地平線を見てると、本当に地球が丸いことが分かります。

紀州なぎさの駅:水門まつり(食事)

「紀州なぎさの駅:水門まつり」という道の駅で、エメラルドグリーン色の海を見ながら、海から獲れたての魚が盛られた海鮮丼を食べます。

大島(トルコ記念館・樫野崎灯台)

和歌山県 串本町は トルコとの関係が深い町です。

明治23年(1890年)9月16日、トルコ(当時はオスマン帝国)最初の使節団を乗せたエルトゥールル号が、天皇への謁見を終え帰国する途中、当施設沖(船甲羅岩礁)で遭難した際、島民の献身的な救助活動により、トルコと日本の有効の歴史が始まりました。

先ほどの トルコ記念館 がある道を進むと「ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像」というのがありました。

ムスタファ・ケマル・アタテュルク氏(以下、アタテュルク氏)は、第一次世界大戦後、分割占領された祖国解放に立ち上がり、指導者として この戦争を勝利に導いたトルコ国民の偉大な英雄です。アタテュルク氏は初代大統領として、あらゆる分野で改革をおこない、祖国の近代化を成し遂げた建国の父として、いまなお国民が深い尊敬を受けています。

この騎馬像は、日本・トルコの友好の礎を築いた軍艦エルトゥールル号の遭難 120年にあたる年に、更なる両国友好の発展を祈って、駐日トルコ共和国大使館より串本町に寄贈されたものです。

さらに奥に進んでいくと「樫野崎灯台」というのがありました。樫野崎灯台は 日本で最初の様式石造りの灯台です。

樫野崎灯台 と同じ敷地に「樫野崎灯台 旧官舎」がありました。

灯台守が執務室や住居として使用するために建てられたこの官舎は、明治3年(1870年)に英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン氏(以下、ブラントン氏)が、日本で最初に竣工させた石造りの歴史的建造物です。江戸幕府が開国にあたり、慶応 2年(1866年)の江戸条約により 灯台設置が決められたことに伴い建設されたものであり、首長にブラントン氏が選ばれ、洋風石造建築として完成しました。

この樫野崎灯台・旧官舎の建設が、江戸時代に計画され、明治時代の初期に完成したというのは とても歴史を感じます。

樫野崎灯台の屋上まで登ります。

樫野崎灯台の屋上からの写真です。大海原しかないので とても見晴らしが良いです。昔の人は この灯台から、きっと国内・海外から来る船舶に 合図を送ったりしてたんですね。

大島(日米修好記念館・海金剛)

初めて 日本に来日したアメリカ人は、江戸時代の嘉永6年(1853年)に、現在の神奈川県横須賀市浦賀に、日本へ開国を求めて来航(黒船来航)した ペリー提督のイメージがありますが、実は黒船来航よりも62年前の 寛政3年(1791年)に、この串本へ来航してきたアメリカ人が初めてです。

この 日米修好記念館 は、ペリー提督の黒船来航よりも以前に アメリカ商船2隻が日本に寄港し、日本へ貿易を申し込んだ事実を後世に残すために建設された施設です。

マグマからできた岩が 太平洋の荒波によって削られてできた「海金剛」にやってきました。海金剛の展望台からの眺めも良い感じです。

宿泊先

ホテル&リゾーツ 和歌山 串本」というホテルで宿を取りました。ホテルから外の眺めも良く、部屋もとても広かったです。

ホテルの部屋から撮影した 夜明けの写真です。

JR串本駅前

JR串本駅の駅前をブラブラ歩いてみました。

まとめ

今まで行ったことの無い場所への観光でしたが、知らなかったことも多くあり、新鮮で良い経験になりました。また今回の観光では 1泊2日 の旅だったので、全部の観光名所の立ち寄り・レジャーは出来なかったのですが、串本 / 潮岬 での観光・レジャーできる場所は まだまだ 多くあるので、次回 機会があれば また行ってみたいと思います。

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