トムソーヤになってみませんか?
サトウヒロヒサ 18年前の秋、僕はある思いを胸にレストランを始める事にしました。 内装資金は借金してかき集めた500万円!! それで店ができるかどうかではなく、やるのだと。 そんなときに作ったポスターがこちら!! (文章は画像の下にあります) それにしても18年以上同じ事を思い続けて来た事に我ながら驚く ...
https://recruit.balnibarbi.com/work_style_lab/108/
↑ カバー写真は、オープンから今なおアマークの入り口に飾られている、常務中島が手彫りで仕上げた看板。
1995年当時の大阪・南船場。材木倉庫や、若いアーティスト、クリエイターがアトリエを構える静かな人通りのない街でした。
一軒のブラッスリー アマーク・ド・パラディが出現したことによって、南船場という街に変化が起こり始める。
1995年12月13日、大阪の「四恩学園」の子供たち20名が来店。これが私たちの1番初めのゲストでした。
南船場の街が変わる、記念すべき第一歩です。
バルニバービ代表・佐藤がパリのブラッスリーを日本に!と想いを込めて、材木倉庫だった場所を自らの手で改装し開店したバルニバービ グループ第1号店。
「天国のハンモック」と名づけられたこの店はいまや南船場の代名詞となっています。
2014年、18年間の年月を重ねたアマーク・ド・パラディは、昔の趣も残したまま大人が気軽に楽しめるモダンビストロへとリニューアルし、今もなお進化し続けています。
LAUNCH SITE: https://hamac-de-paradis.jp
↑ 足場が組まれた中2階の工事風景(左)/元材木倉庫だった工事当時の写真(右上)/代表佐藤が自らペンキ塗り(右下)
↑ オープン当時のアマーク・ド・パラディ
↑ 現在のアマーク・ド・パラディ
1995年、1号店「アマーク・ド・パラディ」のペンキ塗り募集の看板にバルニバービ代表の佐藤がつけたキャッチコピー。その募集看板が今も残っています。
店作りの大変さ、面白さを「未来のお客様」にも一緒になって味わってもらおうという思いが込められています。今でもリノベーション案件の際には、床のタイル剥がしや壁のペンキ塗りといった工事作業をスタッフ自ら行うことがあります。
佐藤が当時と同じようにペンキを塗ることも。
1号店から20年を経ても変わらない、バルニバービの店作りの原点です。