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窓から眺める世界遺産 -アテナイのアクロポリス-

こんにちは、アトモフの風景情報の編集者、山口です。

Atmoph Windowでお届けしている風景に、ユネスコの世界遺産リストに登録されている場所がたくさんあることをご存知ですか?世界遺産は、地球にとってかけがえのない価値を持つものとして保護されている、いわば人類の宝です。今回は、そんな貴重な遺産を映し出す風景のひとつ、ギリシャの首都アテネにあるアクロポリスをピックアップして、どんなところなのか深掘りしてみたいと思います。

かの有名なパルテノン神殿をはじめ、古代のロマンを感じさせる建造物が今も残る丘。その歴史的価値が評価され、1987年に世界文化遺産に登録されました。

それではさっそくAtmoph Windowで「アテナイのアクロポリス」を映し出しながら、窓の向こうに思いを馳せてみましょう。

アクロポリスって?

(画像:小高い丘の上に築かれたアテナイのアクロポリス)

紀元前8世紀以降、古代ギリシャ人によって、エーゲ海沿岸を中心にポリスと呼ばれる都市国家が次々と築かれていきました。

それぞれのポリスは独自の政治体系を持ち、共通の宗教や文化、経済によって団結し、他のポリスと交易や戦争を行いました。市民は郊外や農村に土地を所有し、都市の中心部には、アクロポリス、アゴラ、体育館などの公共施設が設けられるのが通例でした。

アクロポリスとは、小高い丘の上に神殿や砦が集まるシンボル的な場所で、神々に捧げる祭祀が執り行われました。一方アゴラとは、公共の広場や市場などが集まる場所で、政治や経済の中心地でした。

アテナイ(アテネの古代の呼び方)のアクロポリスでは、紀元前6世紀半ば頃、それまでの木造神殿に替わり、石造りの神殿が建てられたとされています。当時の最高技術を用いて築かれ、神々の住まいにふさわしい堂々とした面構えで丘の上に並ぶ建造物群。アテナイの市民も、毎日畏敬の念を込めてアクロポリスを見上げていたのでしょうね。

ペルシャへの勝利、そして迎えるアテナイの黄金時代

この時代、アテナイをはじめとした各地のポリスを脅かす存在が、大国ペルシャでした。当時ペルシャの支配下にあったイオニアで反乱が起きた時、アテナイがイオニアに加担したことを理由に、紀元前492年、ペルシャはギリシャへと侵攻を開始します。

ペルシャ軍は3度に渡って遠征を行い、アテナイのアクロポリスや市街は完全に破壊されてしまいました。しかし、アテナイやスパルタなど諸ポリスの連合軍は団結してペルシャに勝利し、紀元前479年、敗れたペルシャはギリシャからの撤退を余儀なくされたのです。

ペルシャが撤退した翌年、その再襲来を恐れた諸ポリスは、アテナイを盟主としてデロス同盟を結びました。この軍事同盟を通して、アテナイは諸ポリスの上位に君臨することとなり、以降紀元前5世紀のアテナイは黄金時代を迎えます。

アクロポリスの再建と、その後

アテナイは世界で初めて民主主義政治が行われた国ですが、他国への振る舞いは帝国主義そのものでした。盟主の地位を利用して、諸ポリスから集めた軍事資金を自らの繁栄のために流用したのです。ペルシャの侵攻によって破壊されたアクロポリスも、こうした潤沢な資金のもと、壮大な建造物を伴って再生されました。

現在も残る神殿のほとんどは、この時期に建てられたものです。主なものとしては、アクロポリスの中心に位置するパルテノン神殿、アクロポリスの入り口であるプロピュライア、複数の区画にさまざまな神が祀られる神殿エレクテイオンなどが挙げられます。

(画像左:パルテノン神殿 (photo by Akio Mukunoki on photoAC ) 画像右:エレクテイオン(photo by  丸岡ジョー on photoAC))

これらの建物の一部はビザンツ帝国時代には教会となり、オスマン帝国時代にはハーレムとなり、1687年のヴェネツィアによる砲撃では大きく破壊されました。それでも無に帰すことなく生き延びた遺跡群。20世紀後半から始まった大規模な修復事業で当時の姿が再現され、今ではアテネの一大観光地としての地位を獲得しています。

アテナイの守護女神、アテナ

古くから語り継がれてきたギリシャの神話。ゼウス、ポセイドンなど、現在でも色々なものにその名が使われ、聞き馴染みのある神もいますよね。当時のポリスの人々はそうした神々を信仰していました。アクロポリスでは多くの神々が祀られていましたが、その中心は、アテナイの名にも関連する、女神アテナ。ギリシャ神話の中枢をなすオリュンポス十二神の一柱です。

(画像:左手に槍、右手に随神ニケを持つアテナ像(photo by ZKY on photoAC))

アテナは、知恵、戦い、手工業の神、そして都市の守護神といった、さまざまな顔を持っています。アテナの彫像の多くは槍とメドゥーサの盾を手に持ち、聖なる動物フクロウや知恵を表す蛇を携えています。また、アテナが芽生えさせてギリシャ各地に広がったとされるオリーブも、アテナの象徴としてコインなどに描かれています。アテナイのアクロポリスを代表する建造物、パルテノン神殿は、アテナが処女神(パルテノス)であることにその名が由来し、アテナの住まいとされていました。ドーリア式建築の最高峰と称され、緩やかな膨らみを持つ46本の列柱が特徴的です。

また、エレクテイオンでは4年に一度、アテナの誕生日の前後4日間に開かれるパンアテナイア祭の際、少女達が織った聖なる衣がアテナの像に奉献されていたのだそうです。

パルテノン神殿やエレクテイオンの内部にあったアテナ像、また屋外に建っていた高さ9mもの巨大なアテナ像も、今は失われてしまいました。アテナにまつわる遺物としては、パルテノン神殿の屋根と梁の間にあるフリーズと呼ばれる部分を飾るレリーフが有名。パンアテナイア祭でアクロポリスへと向かう祭祀行列の様子が描かれています。

このレリーフはオスマン帝国時代にイギリスに持ち去られてしまい、今は大英博物館に収蔵されているため、現地ではレプリカがはめ込まれています。これらの彫刻、当時はカラフルに彩色されていたそうです。再現CGを見ると、今とはかなり異なる印象を受けますよね。

アテナイのアクロポリスを巡る歴史物語、いかがでしたか?ぜひ2,500年前のアテナイを思い浮かべながら、Atmoph Windowの風景を眺めてみてください。今後も世界遺産の風景にまつわる面白い話を発信していきますので、お楽しみに!




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