【松野翔太:堺市/教師】コードを教えてもらったのは、生徒だった
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フリーランスエンジニアとして働いていると、「どうやって教師からエンジニアになったんですか?」とよく聞かれる。答えは簡単で、授業の準備がきっかけだった。授業をもっとわかりやすくしたくて、教材を自作しようとしたらHTMLに出会い、そのまま深みにハマった。つまり、教育の延長線上にエンジニアの世界があった。
ただ、最近気づいたのは、あの頃の生徒たちが実は僕に“コードの本質”を教えてくれていたということだ。たとえば、生徒の一人が「先生、この説明ってなんでこうなるの?」と素朴に聞いてくる。こちらがどんなに用意した説明でも、相手にとってわからなければ意味がない。理解とは、相手の頭の中に正しく構築されて初めて成立する。
プログラムもまったく同じだった。自分の中で完璧だと思ったロジックが、他人の環境で動かない。書いたつもりでも伝わらない。変数のスコープが違えば、意図した通りに動かない。つまり、「人に伝わらない説明」と「コンピュータに伝わらないコード」は、根っこが同じなのだ。
教師の頃は、生徒の“理解できない”という表情を見て、授業の進め方を変えていた。今は、コンソールのエラーメッセージがその役割を果たしている。違うのは、相手が人間かコンピュータかだけ。伝え方を考え続けるという意味では、ずっと同じことをしている。
フリーランスになってから、自分で案件を選べるようになった。その自由の中で気づいたのは、どんな仕事でも“伝える力”がすべての基盤になっているということ。システムの設計を説明するときも、クライアントの要望を言語化するときも、結局やっていることは「わかりやすく伝えること」だ。あの教室で生徒に話していた日々が、形を変えて今も息づいている。
ある日、当時の教え子がSNSで「先生、私もIT業界に入りました」とメッセージをくれた。思わず笑ってしまった。もしかしたら、僕がプログラミングを教えたんじゃなくて、彼らが僕にプログラミングを教えてくれたのかもしれない。人に何かを伝えるという行為は、必ず自分にも返ってくる。教えることは、学ぶことの裏返しなんだと今では思う。
今の僕の仕事は、コードを書くことじゃなく、誰かの中に“動く仕組み”を作ることだ。システムの中にも、人の中にも。結局、エンジニアも教師も、目指している場所は同じだと思う。誰かの理解が動き出す瞬間に立ち会うこと。それこそが、僕にとっての「ものづくり」だ。