株式会社ブルート / 店舗勤務→商品課→経営企画室長
家庭用ゲーム機小売FC本部で、業界の激変に遭遇
株式会社ブルートは、ジャフコ広島支店在籍時に自身が投資担当した企業です。 当時では珍しい成長初期段階への投資でした。 その後も順調に成長しており、TVゲームの中古売買業界では国内トップクラスのシェア。 同社社長からは「はじめから上場準備室長で来てくれ」と言われていたのですが、新卒からずっと百万円単位の数字を扱っていて日常の「商売」の感覚が身についていない自分の弱点を埋める良い機会と考え、自ら志願して直営店の一店員から再出発させてもらいました。 1年ほどの店舗勤務を経て、経営企画室長に。 しかしその直後、ゲーム業界の構造が激変しました。 任天堂のスーパーファミコン一強の時代から、プレイステーションやセガサターンの時代へ。 独自規格で自社ラインでしか生産できない任天堂は中古ソフト流通を認めていたのですが、CD-ROMでどこでも大量生産が可能なプレイステーションとセガサターンは中古ソフト販売を認める意義がなく、ソニーもセガも中古流通全面禁止の方針でした。 これにどう対応するかという会社の分岐点で、現場を知る中堅メンバー(私もそのひとりでした)の練った対応策が経営陣の保守的方針と一致せず、無為無策のうちに時間だけが経過し事態はどんどん悪化。全国でFC店舗オーナーの離脱離反が相次ぎ、瞬く間に会社が傾きました。 最終的にブルートは1999年に自己破産申請に至りましたが、その1年前には既に会社のていを成していませんでした。 反社会的勢力や、のちに反市場勢力と呼ばれるようになる人たちが会社に出入りするようになり(それでも、それを間近に見ていたことはのちに大きく役立ったのですが)、会社に将来を見いだせなくなった現場叩き上げの中堅メンバーたちと私は同社を離れ、新会社を立ち上げることにしました。