「偶然生きていた」。壮絶な経験をしたにもかかわらず、常に120%の力を向けて「人材育成」に熱中し続けられる原動力とは。
グローバル・エデュケーションに入るまで大学時代に大きな転機となることを経験しました。 車と衝突する大事故にあって、生死の境をさまよったことです。大阪で生まれて、青春時代は北海道。高校を出て、指定校推薦があったので、流れで関西の大学に入学しました。大学には入ったのですが、漫然と大学生活を過ごすうちに、勉強をしてもその勉強の先が見えなくなり、前からしていた飲食のアルバイトにのめり込むようになって徐々に学校には行かなくなりました。そして、大学を辞めることを決意し、アルバイトのみをして大学に行かない生活が始まりましたが、ここで大きな人生の転機となる事故を経験します。交通事故で頭を強く打ち、最低で...