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【社員紹介】2拠点居住で農家と食べチョクを兼業。すべては、日本の田園風景を守るために。

食べチョクで働くメンバーを紹介する企画。第2回は東京と三重の2拠点居住で稲作農家と食べチョクの生産者窓口を兼業している伊藤勝吾さんにインタビュー。「耕作放棄地を減らし、日本の田園風景を将来に残したい。」全国の生産者さんのために情熱を燃やす伊藤さんの挑戦に迫ります!

【伊藤勝吾さんプロフィール】
東京大学農学部を卒業後、青年海外協力隊として中米エルサルバドルに派遣。帰国後、外資コンサルティングファーム ブーズ・アンド・カンパニー(当時)に入社。その後ベンチャー企業でCS部門の立ち上げなどを行い、2020年6月にビビッドガーデンに入社。


長野で。エルサルバドルで。住み込みで第一次産業に浸かった学生時代

―伊藤さんが農業に興味をもったきっかけを教えてください。

 私は祖父が稲作農家で、小さい頃はよく田んぼに連れて行ってもらい、虫取りやザリガニ釣りをして遊んでいました。当時の記憶から心のどこかにずっと第一次産業があり、東京大学に進学したあと大学3年次の進路振り分けで農学部を選択。学部の卒業論文では長野県王滝村という村に2週間住み込んで、「結(ゆい)」の仕組みを使って地元のおばあちゃんたちが農地の耕作放棄地化を防ぐ取り組みをしている事例を研究しました。

 王滝村での毎日はとても印象的で、今でも好きな村なのですが、当時私が考えたのは、「第一次産業の現場を知るためには2週間では全く足りない」ということでした。現場の課題やそこに暮らす人のリアリティを理解するためには、もっと長く行くしかない。そう考えて、進学したばかりの大学院を休学し、青年海外協力隊として中央アメリカのエルサルバドルに向かいました。

 2年間の青年海外協力隊でJICAから与えられたミッションは、「漁村で養殖した貝を住民と一緒に都市部に販売し生計につなげる」というものでした。漁村で養殖された貝は確かに美味しかったのですが、現地では「貝は汚いもの」というイメージも強く消費者に馴染みにくかったほか、都市部まで輸送する際に鮮度が落ちてしまうという問題もありました。現地の方々にはそれでも前向きに取り組んでいただきましたが、結果として販売はなかなか上手く行きませんでした。このとき私は、日本だけでなくどこへ行っても第一次産業のビジネス化は簡単ではないと感じました。

エルサルバドルでは貝の販売だけではなく、野菜を作ったり子どもたちへの食育をしたりと、幅広い活動に取り組んだそうです。

―大学院卒業後はコンサルティングのお仕事に就いたと伺っていますが、どうしてその道に進んだのですか?

 青年海外協力隊で貝を販売しようと思ったとき、現地の方々に自分の説明をなかなか納得してもらえないというもどかしさを感じました。現地の方々を動かして一緒に仕事をしていくためには自分自身がビジネスのフレームワークを理解することが必要だ、このような考えから外資系コンサルティングファーム ブーズ・アンド・カンパニー(当時)に就職しました。

 コンサルティングの仕事をするうちに、やっぱり実際の事業にも関わってみたいという思いが募り、2年後、ベンチャー企業に転職。今度は、お客様のところへ行ってシステムの使い方を提案するなどCSの仕事に取り組みました。その後、別のベンチャー企業に転職し、事業部の立ち上げを経験しました。


このままでは実家の農地が耕作放棄地になってしまう。東京で働きながら、三重で農家になることを決意。

―青年海外協力隊での活動以来、農業とは全く関係ないお仕事をされていたように思いますが、どうして農家になると決めたのですか?

バリバリと働くのが好きで、どの会社でも「やるからには最後までしっかりやりたい」とかなり働いたと思うのですが、一方で東京都心のオフィス街でこのままいつまでも働き続けるのだろうか・・・という漠然とした違和感も感じていました。いつの日か、バリバリ働くことに歓びを感じている自分と、バックパックを背負って活動的に途上国を動きまわっていた自分との間で矛盾を感じるようになっていました

そんな時、「Have to」ではなく「Want to」、すなわち自分が本当にやりたいことってなんだろうと改めて考えるようになり、人とコミュニケーションを取ること以上に、地球とコミュニケーションを取ることのほうが合っているのではないか、という答えに行き着きました。であるならば、作物と向き合って仕事をする農業は一つの答えのはず。次の転職は農業にしようとぼんやりと考えるようになりました。

―伊藤さんは「三重の稲作農家」と「東京のビビッドガーデンの社員」という兼業・2拠点居住で仕事をされています。大変なことも多いのではないかと思いますが、なぜあえてこのような形を選択したのでしょうか。どちらかを先にやるという方法はなかったのでしょうか?

私が農家になると決めたのは、実家の農地が、自分が農業を継がなければ耕作放棄地になってしまう危機に瀕したからです。私の祖父は三重で農家を営んでいて、80歳を過ぎたところです。農業の世界では一般的に、80代中頃になると引退が近くなると言われています。学生時代から散々「耕作放棄地」「第一次産業」と言ってきたのに、このままでは自分の実家の田んぼが一番最初に耕作放棄地になってしまう自分の言ってきたことに筋を通すためにも、農業をやるなら今しかない、そして継ぐのは実家の農業しかないと決意しました。

三重のご実家の田んぼの景色は、伊藤さんご自身の幼少期の原風景でもあるそうです。

農業を継ぐと決めても、経験もなければスキルもなく、経済的に自立することは容易ではありません。そこで、東京の会社で働きつつ三重の実家にも通い、兼業・2拠点居住をしていこうという考えに自然と行き着きました。


ビビッドガーデンの魅力は「主語が生産者さん」だったこと。
コミュニケーションを大切にしながら、生産者さんのサクセスを目指していく。

―農家との兼業を考える中で、ビビッドガーデンに入社を決めたのはなぜですか?

 転職にあたって、農業ベンチャーや農業分野に新規参入した会社を探しましたが、どの会社もあまりしっくりときませんでした。というのも、私が話を聞いた他の会社は「今この会社が持っている技術を使って農業に参入したい」など、主語が自社や自社のビジネスにあることが多く、肝心な農業・農家が置いてきぼりになっているような感じがしたからです。その点食べチョクは、最初に社長の秋元の話を聞いたときから、主語が生産者さんであり、彼らのためにビジネスとしてどんなことができるか、あるいは彼らの作った食べものや花きを正当に評価するにはどうしたらよいか、という問いに向き合っていることがすごく明確でした。そこで、自分も農家を志すひとりとして、ビビッドガーデンに入社を決めました。

―ビビッドガーデンではどのようなお仕事をされていますか?

 生産者窓口として、食べチョクのプラットフォームを生産者さんに彩ってもらうための環境づくりに取り組んでいます。第一次産業では、生産者さんがこだわりをもってつくったプロダクトに対する正当な評価がまだまだ十分にはなされていないと感じています。、それを少しでも正当な評価に近づけていき、食べチョクのサイト上で生産者さんお一人おひとりがサクセスできるようにしていくことを目指しています。

具体的には生産者さんのサポート業務と、商品企画が主な仕事です。サポート業務では、日々生産者さんから寄せられるお問い合わせにお答えしたり、生産者さんに食べチョクのサイトの使い方をお伝えしたりしています。商品企画では、生産者さんの商品ラインナップを伺いながら、一緒にセット商品を考えたり、魅力的な販売方法を考えたりしています。最近では「24時間で消える!幻の限定商品」として、ふだん食べチョクでは販売されていない掘り出し物の商品や、収穫量が少なく一般にはあまり流通しない商品などを24時間限定で販売する企画を開催。キャンペーンにご参加いただいた生産者さんと一丸となって、野菜や果物・豚肉といった商品の新たな可能性を探りました。


意識していることは、生産者さんと積極的なコミュニケーションを取りながら、一緒に食べチョクの事業や商品を創りあげていくということです。生産者さんのなかには、ご高齢でパソコンやスマートフォンの操作があまり得意でないという方や、ECサイトへの出品が初めてで何から手をつければよいのかわからないという方も多数いらっしゃいます。このような方々にもこちらから困りごとを伺ったり、難しい作業を一緒にお手伝いしたりといった方法によって可能な限りフォローアップしていくことを大切にしています。さらに、ビビッドガーデンの社内で新しいプロジェクトを計画するときにも、生産者さんに「こんなプロジェクトが走っていますがご意見いただけませんか」とご協力お願いすることによって、生産者さんとタッグを組んだ事業展開をしていくように心がけています。

―ご自身としても、そしてビビッドガーデンのメンバーとしても、生産者サクセスを目指しているのですね。お忙しそうですが、一週間のスケジュールを教えていただけますか。

 毎週月曜日はビビッドガーデンのオフィスに出社しています。月曜日の深夜バスで三重へ行き、火曜日から木曜日までは午前中は祖父の田んぼで作業・午後から夜まではリモートでビビッドガーデンの仕事です。木曜日の夜のバスで東京に戻り、金曜日は終日、東京でビビッドガーデンの仕事をしています。私が不在の間の田んぼの管理や細かい作業は祖父にお願いしており、草刈りなどの重労働は私が積極的にやっています。実家の農地は約2haですべて田んぼのため、黒字化には十分ではありませんが、作業自体はこのスタイルで何とか回せています。

ハードなスケジュールだと思われるかもしれませんが、念願叶って農家と食べチョクの兼業が実現し、自分としてはついに地面を踏みしめながらゴリゴリ働ける環境ができた!と気持ちが高まっています。新型コロナウイルス感染拡大の影響でここ最近は三重への移動を断念して東京に残っているので、コロナ禍が落ち着いて早く二拠点生活に戻れることを願っています。


耕作放棄地化を止めて、日本の田園風景を守る。
熱量あふれるビビッドガーデンの環境なら、まっすぐな挑戦ができる。

―伊藤さんの熱気が伝わってきます。今後の意気込みをぜひ教えてください。

 私が稲作農家とビビッドガーデンの生産者窓口という2つの仕事を通じて実現していきたいのは、耕作放棄地を少しでも減らし、日本の象徴でもある田園風景を将来に残すことです。小さい頃に実家の田んぼで遊んだときに見た景色、卒業論文の研究で訪れた長野県王滝村の景色・・・単純な問題ではないことは理解していますが、私はこういった風景がある程度は残っていくほうが未来のためになると思っています。

この挑戦のために、ビビッドガーデンは本当に良い環境だと感じています。秋元はじめ、メンバーそれぞれがやりたいことが沢山あって、それを凝縮してポジティブな未来に向けてドライブがかかっている。すごいエネルギー量の会社です。2拠点居住になって通勤時間はある意味今までで最も長いですが、これまでの社会人生活の中で一番、「会社に行きたい、オフィスに行って皆さんと話しながら仕事を進めたい」と心から思えていることが自分でも驚きです。これからの夏、体力を使って大変な時もあるかもしれませんが、思い切り頑張っていきたいです。

伊藤さんの明るく軽快なお話ぶりと波乱万丈なキャリアとのギャップに驚き、まっすぐな挑戦を続けるひたむきさにこちらまで背筋が伸びる思いがしました。伊藤さん、お時間をいただきありがとうございました!

【聞き手】
森田 慧(東京の農業の現場を発信してきた編集の経験を活かして、ビビッドガーデンのメンバーの魅力をお伝えします)

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