「この仕事、私じゃなくてもできるな」
そう思ったことは、ありませんか。
成果は出ている。評価もされている。でも、それは会社ありきで、自分が抜けても取引は続く。誰のために働いているのか、うまく答えられない。
VetsUP代表の岡野聖奈も、かつて同じ場所にいました。
その岡野が、なぜ動物病院という領域で起業に至ったのか。何が自分を変えたのか。話を聞きました。
岡野 聖奈 / CEO
1997年生まれ。2019年、大学を卒業後、株式会社NTTデータへ入社。営業職として大手企業向けの法人営業に従事したのち、株式会社リクルートへ。主にマーケティング領域での知見を積みながら、獣医師である夫との出会いをきっかけに獣医療業界の労働環境に問題意識を持ち、VetsUP株式会社を設立。動物病院に特化した採用支援「動物病院採用くん」を展開し、全国の動物病院を支援している。
目次
「何者か」になりたいけどなれない自分に、いつも焦っていた。
——まず、起業する前はどんな社会人だったんですか。
一言でいうと、焦っている人でした。
新卒でNTTデータに入って営業をやって、その後リクルートでマーケティングを担当しました。副業も含め、データサイエンス、企画、デザイン、ライティング。とにかくいろんな仕事に手を出していました。
周りからは「努力家だね」「行動力あるね」と言われ続けてきました。でも内心は、ただ焦っていただけでした。「何者かにならなきゃ」という気持ちだけで動いていて、何をしても失敗するか、それなりの成果しか残せない。
——「何者かになりたい」という感覚。
そうですね。自分は何者でもない、という思いがずっとついて回っていました。
肩書きはある。仕事もそれなりにできる。でも、私がやらなくても誰かがやれる仕事だな、と。会社の看板で会えていて、会社の名前で信用されている。自分自身に何かがあるわけじゃない。
今思えば、あの頃の私は「誰のために働いているのか」に答えられなかったんだと思います。
誰のために働くのか。その答えは、身近なところにあった。
——動物病院の領域を選んだきっかけは。
夫が獣医師なんです。
彼は、長時間労働と低い給与に苦しんで、動物病院を辞めた過去があります。話を聞いていくと、彼だけじゃなかった。心を病んで辞めた人、過労で命を落とした人の話まで出てくる。
たくさん勉強して、たくさん努力して、動物の命を預かる仕事に就いた人たちが、なぜこんなに報われないのか。強い違和感がありました。
——動物に対する思いは、もともとあったんですか。
子どもの頃から動物が大好きで、本当は獣医師になりたかったんです。進学の事情でその道は選べなくて、結局一般企業に勤めるキャリアを選びました。
でも「動物のために働きたい」という気持ちは、ずっと心の奥にありました。それが夫の話とつながった感じです。
——なぜ「採用」だったのでしょうか。
調べていくと、構造がはっきり見えてきました。
動物病院のほとんどが、院長先生ひとりで経営していたんです。院長先生は診療のプロですが、経営を学んできたわけじゃない。そのうえで採用も労務も集客も資金繰りも全部やる。無理があります。そして給与も、休日も、労働時間も、突き詰めれば「人が足りているか」で決まる。人が足りないから一人あたりの負担が増えて、負担が増えるから人が辞める。この循環を止めないと、何も変わらない。
だから採用から始めるべきだと思いました。順番として、そこしかなかったんです。
——動物病院の課題を知ったとして、業界の会社に転職するという選択肢もあったと思います。なぜ起業を選んだんですか。
そう思って調べましたが、当時の私が見つけられる範囲には、この課題に真正面から向き合っている会社がありませんでした。獣医療業界の負を解決するような仕組みを持った会社が存在しないなら、もう自分がやるしかない。そう決意したのが起業のきっかけです。
——リスクは考えなかったんですか。
ほとんど考えていませんでしたね。それよりも、「自分にできることがあるのなら、なんとかしてこの業界を良くしたい」という思いの方が圧倒的に強かったです。夫や周囲の獣医師たちが抱える苦しみを知ってしまった以上、誰かが動かなければ何も変わらない。その使命感が、リスクへの懸念を上回っていたのだと思います。
9割断られ続けた、売上ゼロの数か月
——創業直後はどうでしたか。
まったく通用しませんでした。
全国の病院リストを自分でゼロから作って、初めてのテレアポに挑むも、何十件かけても院長先生にすらつながらない。ようやくつながっても、9割以上はお断りです。「忙しいからいい」「営業は困るからやめてくれ」。そういう言葉を毎日浴びていました。
——きつい時期ですね。
減っていく口座の残高を見ながら、何度も「もう辞めたい」と思いました。
やっぱり自分は何者にもなれないんだな、と。会社を辞めて、身銭を切って、それでこれか、と。
——それでも続けられたのはなぜですか。
引き返せなかった、というのが正直なところです。
あとは、頭に浮かぶんです。動物や飼い主さんに真剣に向き合っているのにつらい思いをしていた夫や、知人の獣医師たちの顔が。あの人たちが報われない現実を変えたくて始めたのに、私が先に諦めるのか、と。
「自分にも、価値があったんだ」と初めて思えた日
——転機は。
あるタイミングでたまたまお会いできた先生がいて、契約をいただけました。
でも、契約が取れても意味がないんです。応募が来なければ、院長先生の状況は何も変わらない。しかも獣医師の採用市場は、1年で1件応募が来ればいい方と言われる世界。
信じてくださった院長先生がいる中で、「短期間でどれくらい応募を集められるか」は実際少し不安を感じていた部分もありました。
——どうしたんですか。
やることをやるしかない、と。
院長先生に現状をヒアリングして、どんな人材が必要なのかを定義しました。転職市場にいる獣医師が今どんな職場を求めているのか、情報を集めて。それを踏まえて求人票を書き上げて、媒体に出しました。
——結果は。
掲載して2週間後、スマホが震えたんです。
画面に出ていたのは、支援している病院宛ての「応募がありました」という通知でした。震えそうになる指でメールを開いて、思わず「来た…!」と声が漏れました。
すぐに院長先生に報告しました。返ってきたのが、この言葉です。
正直、応募来ないと思ってました。岡野さんすごい、ありがとうございます。
——そのとき、何を感じましたか。
胸の奥にあった重いものが、すっと溶けていく感覚がありました。
「自分にも、価値があったんだ」と。何者でもない自分から、初めて抜け出せた瞬間でした。
その後、その病院では3ヶ月で獣医師の応募が5件ありました。別の病院でも2件。1年で1件来ればいい業界で、です。
結果にこだわる姿勢を貫き、全国へ拡大
——そこから、今では全国の多くの動物病院を支援するまでになりました。なぜここまでの拡大につながったんですか。
特別なことをしたわけではないんです。ただ、結果にこだわり続けただけだと思っています。
私たちの仕事は、契約をいただいた時点では何も終わっていません。求人を出しただけでも、応募が1件来ただけでも足りない。院長先生が「この人と働きたい」と思える人が入って、初めて意味がある。だから、そこまでは絶対にやり切ると決めています。
——「契約が取れたら次の営業へ」ではなく。
はい。むしろ逆です。応募が来ないなら、なぜ来ないのかを考える。求人票を書き直す。媒体を変える。ターゲットを見直す。私たちが動きを止めたら、その病院の状況は何も変わらないんです。院長先生は、他に頼れる人がいないから私たちに任せてくださっている。
そうやって結果を出していくと、「うちの病院も見てほしい」と院長先生が別の先生を紹介してくださったりもする。もちろん、新規営業も続けてはいますが、この業界は横のつながりが強いので、目の前の1件を本気でやり切ることが、そのまま次につながっていきました。
——結果を出すために、意識していることはありますか。
「外の人間」という意識を捨てることでしょうか。
病院の一員という立場に立てば、誰よりもその病院の魅力がわかるし、一緒に働きたい人のイメージも具体的に持てる。求職者の立場に立てば、どんな思いで転職を考えているのか、どんな言葉なら刺さるのかがわかる。
契約してすぐ、病院の一員レベルで語れるようになるのは簡単じゃありません。それでも、どれだけ支援先が増えてもそこは手放さないと決めています。
何者でもないまま、動き出した私。同じような思いのあなたと、一緒に働きたい。
——今、一緒に働く仲間を探しているそうですね。
はい。お問い合わせは増え続けているんですが、支援できる人が足りていません。
もっとたくさんの病院の不を解消するために、病院の中に入り込んで、院長先生の右腕として立てる仲間と一緒に、事業を広げていきたいと考えています。
——どんな人と働きたいですか。
「困っている人を放っておけない人」でしょうか。
この仕事、動物が好きかどうかはあまり関係ないんです。相手は経営に困っているひとりの院長先生で、やることは採用です。そこに本気で向き合えるかどうかがすべてだと思っています。
あとは、私と同じように「何者でもない」と思っている人にも来てほしい。
——というと。
私は特別な人間じゃありません。すごい才能があって起業したわけでもない。何者かになってから動こうとして、ずっと動けずにいた人間です。
何者かは、なっていくものだと思っています。準備が整う日なんて、一生来ない。何者でもないまま、不安なまま動き続けた人だけが、「自分にも価値があったんだ」と気づける瞬間に出会える。
この会社には、その瞬間が転がっています。沢山の応募を集めて採用につながった結果、院長先生から返ってくる「ありがとう」は、私の原動力です。
——これから目指すものは。
採用は入口にすぎません。
その先には、経営を支える仕組みづくりも、獣医師のキャリア支援も、病院の事業承継もあります。そのすべてを通じて、獣医療に関わる人が幸せに働ける社会をつくりたい。
壁はたくさんあると思います。でも、理想の未来を実現するまで走り続けます。