インタビュー記事をご覧いただきありがとうございます。人事部の竹内です。
今回は、就活時に大手・メガベンチャー複数社の内定を辞退してブルードを選び、現在は26歳でオーストラリア事業責任者を務める橋口さんにインタビューしました。
大学4年の6月に内定者インターンとしてジョインし、わずか4ヶ月で月間MVPを受賞。入社2年目には教育旅行事業部(ToC部門)の責任者に抜擢され、年間二桁億円の事業を統括。
ブルードがいよいよ第2創業期として『教育旅行マーケット』のグローバルトップを取りに行く。その最初の海外拠点となるオーストラリアで、現地法人の立ち上げから複数の新規事業開発までを担っています。
なぜ新卒でブルードを選んだのか。「何をエネルギーに走り続けているのか。」「そしてこれから何を目指していくのか。」を伺いました。ぜひ最後までお読みください。
「必要とされない恐怖」と「偉大な父」。
現在につながる2つのコンプレックス
ーーまずは、橋口さんのルーツから教えてください!どんな環境で育ち、どんな学生時代を過ごしてきたんですか?
大手企業役員の父のもと、福岡で生まれました。その後、4歳の時に千葉に引っ越し、高校まではずっと千葉で育ちました。
小さい頃は、先生にちょっかいを出すような目立ちたがり屋でしたよ(笑)。
クラスの中心にいないと気が済まない性格もありましたね。
学生時代は野球漬けで、小学1年から始めて、高校卒業まで本気で甲子園を目指していました。チーム内では基本的に副キャプテン。常に一歩引いてメンバーの状況を見ながら、組織をフォローして支えるのが得意なタイプでしたね。
写真左:少年野球時代の橋口さん
ーー「クラスの中心。副キャプテン。高いレベルでの野球」と。誰もが憧れる経歴ですね。
いや、全くそんなことないんですよ。実は、自分の中には2つの大きなコンプレックスがあって、ずっとそれが原動力になっています。
1つは、中学で転校した時の経験ですね。
それまでは小学校からの友達もいて、野球部で副キャプテンもやっていて、「自分の居場所がある」ことを疑ったこともなかった。
でも転校先では、すでにコミュニティが出来上がっていて、僕のことは誰も知らない。話しかけても冷たくあしらわれ、半年間ずっと仲間外れでした。
当時は本当に学校へ行くのが怖かったです。
「誰にも必要とされていない」という現実を突きつけられて、当時を思い出すと今でもしんどさを感じます。
必要とされないことへの恐怖。これが僕の中で深いコンプレックスになりました。
だから今も、「結果で自分の存在価値を証明し続けなきゃいけない」という感覚がずっとあるんです。大げさに聞こえるかもしれないですけど、僕にとってはほとんど生存戦略に近い。
もう二度とあの時の思いはしたくないから、絶対に最後までやり切ると決めています。
もう1つは、父親の存在です。大手企業の役員として、家族を支えながら日本中にインパクトを残している。その背中がずっと自分の中にあって、いつか超えたいと思っている。でも正直、勉強でも野球でも「悪くはないけど、突き抜けてもいない」のが自分で。高校も大学も第一志望には落ちてるんですよね。
普通の人間が並の努力をしていたら、あの背中には絶対に届かない。
その焦りはずっと持ち続けていますね。「勝ち続けてきた人」どころか、ずっと「何者にもなれていない」自分を、必死で塗り替え続けている感覚に近いです。
エリートに勝つ方法は「泥臭さ」。
圧倒的な打席数を求めてブルードへ
写真:アメリカ留学
ーーそこからブルードに入社するまでの経緯も聞いていいですか?
大学時代は休学して1年アメリカ留学や、人材系企業でインターンなど、とにかくもがいていた時期でしたね。
留学で40カ国くらいの人たちと出会って、幸せの定義がこんなに自由でいいんだと衝撃を受けました。そこから「知らなかった選択肢を届けられる仕事がしたい」と思うようになって、これはまさにブルードのミッションと重なってました。
一方でインターンでは、東大生やトリリンガルなど明らか僕よりスペックが高い学生がいたんですけど、一番成果を出していたのは彼らじゃなかった。泥臭くても挑戦と失敗の数が多い人たちだったんです。そこで「成長って打率じゃなくて打席数なんだ」と学びましたね。
そう考えると、大手やメガベンチャーは魅力的でも、当時40人のブルードとは構造的に打席(機会提供)の数が違う。ミッションへの共感と、挑戦機会の多さ。この二つが揃っていたので、腹を括って入社を決めました。
インターン中の写真
失敗を責めない組織カルチャー。
新卒2年目で50名組織を率いた苦悩と突破口
ーーその後、入社してからはどうでしたか?
大手の内定を蹴ってブルードに入った以上、退路はないと思っていました。だから入社直後から成果に執着して、先輩もごぼう抜きして、数字もついてきて。
「このまま突き進むぞ」と思っていた頃に、社長との1on1で言われたんです。
「こうへい、もっと本質的な仕事をしよう。本当に価値のある仕事は、組織全体を動かしてミッション達成に向かうことなんだよ」と。
ハッとしました。自分の成果、自分の数字、全部「自分」が主語だった。
あの1on1は間違いなくターニングポイントでした。
ーーそこから具体的にどう変わっていったんですか?
組織の成果を追い求めるようになると、役割の範囲なんてどうでもよくなるんですよね。「これ誰もやってないな」と思ったら自分から拾いに行く。それを繰り返していました。
あとは社長から「インプットの質がアウトプットの質を決める」と教わって、経営者のPodcastや書籍を片っ端から読むようになった。それまでは気合いと行動量でなんとかするタイプだったので(笑)
インプットから実践、検証のサイクルをちゃんと回せるようになったのは大きな変化でしたね。
その姿勢で動き続けていたら、気づいたら国内の教育旅行事業(ToC部門)の責任者を任されていました。狙ってそうなったというより、目の前の課題を拾い続けた結果、自然とそこに辿り着いた感覚です。
ーー教育旅行事業(ToC部門)の責任者になって、どんな経験をされたんですか?
年間計画から月次目標を逆算して、必要な問い合わせ数や商談数まで全部自分で設計して動かす。事業のハンドルを丸ごと握る環境でした。
ただ、新卒2年目で50名の組織を率いるわけですから、最初は全然うまくいかなかったです。ビジョンを統一しきれない、仕組み化が追いつかない、競合に対するアクションも後手に回る。正直、3〜4ヶ月くらい結果が出ない時期がありました。
当時を振り返ると1日16時間働いて、休んでいたのは週1日の、さらに半日のみ。友人との時間もプライベートも全部削って、頭の中はずっと事業のことだけ。それでも数字が動かない。本当に「精神と時の部屋」に閉じ込められたみたいな感覚でしたね。3年分の成長を1年でしようとしているわけですから、当然なんですけど。
普通の感覚だと「失敗=終了」じゃないですか。僕自身もそう思っていたし、多くの人がそうだと思います。でもブルードは違うんですよね。失敗したこと自体を責めるんじゃなくて、挑戦したことを認めてくれる。「じゃあ次はどうする?」と背中を押してくれる。だから安心してまた次のチャレンジに向かえるんです。
その時期、社長が4〜5回くらい1on1で食事に連れて行ってくれて、「どうやったら結果が出るか」という事業の話から人生のゴールについても話をしてもらいました。
その伴走をもらって、事業の勝ち筋を分解して型に落とす方向に切り替えました。トップセールスのトークを分解して資料を標準化、新たな価値提供としての「新サービス(英語コーチング事業)」も開発して、2〜3ヶ月後には数字が戻り始めました。
不安より使命感。
ブルード初の海外拠点立ち上げに挑む熱狂
ーーその後、オーストラリア事業責任者への打診があったと。
打診をもらった瞬間、不安よりも興奮が勝っていましたね。自分が携わってきたサービスが海外に出ていく。その第一歩に自分が立てるわけですよ。会社の新しい歴史が始まる瞬間の当事者になれる。これはスタートアップだからこそ味わえる面白さだと思います。
学生時代からずっと持っていた「人の選択肢を広げたい」という想いを、今度は事業として世界に届けられる。ワクワクというか、もはや使命感に近かったですね。
不安は本当になくて、「How special is this(なんて特別なことなんだろう)」って心から思っていました。まだ渡航前なのに、気づいたら 英語で独り言を言い始めてましたからね(笑)。
ーー実際にオーストラリアへ事業立ち上げに行ってみて、どうですか?
おもしろいですよ、本当に(笑)。
日本だけだったマップがオーストラリアにも広がって、そこにブルードの旗を立てていく。課題を一つずつ解いていく感覚はRPGに近くて、純粋に楽しいです。
ただ現実は甘くなくて。海外不動産も人材も未経験、新規事業の立ち上げ自体がはじめて、しかも全部英語。交渉の場でも最初は6〜7割しか理解できなかったし、言いたいことも伝えきれない。
一番難しいのは「成功事例がない」ことですね。同じことをやっている会社が存在しないので、日本のやり方をそのまま持ち込んでも通用しない。
自分で仮説を立てて、検証して、ダメならまた立て直す。成功する保証がない中でその繰り返しです。ただ、その難しさ自体が楽しいんですよね。この感覚は実際にやってみないとわからないと思います。
目指すはグローバルトップ。
未開拓の巨大領域「教育旅行マーケット」とは
ーーオーストラリアで具体的に何を作っているのか、もう少し聞かせてください。
僕たちブルードってよく「留学会社」と思われるんですけど、それは入口の一部でしかないんですよ。
国内では教育旅行事業がシェアNo.1になっていて、いま第2創業期として、この事業を垂直統合して『教育旅行マーケット』でグローバルトップを取りに行こうとしています。
「教育旅行マーケット」って聞き慣れないと思うんですけど、海外渡航だけじゃなくて、旅行・人材・不動産まで内包した巨大な領域なんですね。現在グローバルで120兆円、2032年には200兆円になると予想が立っています。例えば、オーストラリアに留学したら、現地で送迎が必要、家も探さないといけない、仕事も探さないといけない、休みの日には旅行もしたい。ワーキングホリデーなんて、仕事に就くために履歴書50枚、100枚を自分で配って回る世界ですからね。
その全部を、ブルードが一気通貫で提供する。住まい、仕事、コミュニティ、移動。海外で生きていくために必要なものを、全部僕たちで揃える。それが、いま僕がオーストラリアで本気で作りにいっている世界です。
だから僕がやっているのは「海外留学事業の立ち上げ」じゃなくて、「教育旅行マーケット垂直統合の、最初の海外拠点作り」なんですよ。これをオーストラリアで型化できれば、カナダでも、その次の国でも、同じ構造で展開できる。一本のモデルを作りきれば、世界で勝てる。そう確信して動いています。
父の背中に一歩近づいた日。26歳で挑む、ゼロからの事業計画作り
ーー事業の立ち上げとして、具体的にどんなことをやっているんですか?
まず、オーストラリアの事業計画。いわゆるPLを自分で作るところから始まりました。どんな事業をやるのか候補を洗い出して、過去の送客実績データから仮説を組んで、月次の売上・利益・販管費まで落とし込んでいく。それを社長に持っていくと、「ここの前提、もう少し詰められるんじゃない?」とフィードバックをもらって、一緒に考えながらその差分を埋めて、またブラッシュアップしていく。その繰り返しでしたね。何往復したか、もう数えてないです(笑)。
でも、社長が隣で一緒に壁打ちしてくれる中で何度もこのプロセスを回していくうちに、事業の構造が頭じゃなくて体で分かるようになっていった感覚があります。
ふとした時に気づいたんですよね。父が大手企業の役員として何十年もかけて積み上げてきた「事業を作る」という仕事を、自分は26歳でゼロから経験させてもらっているんだと。
まだ全然追いつけてはいないけど、少なくとも同じ土俵には立ち始めている。その手応えは確かにあります。
ーー立ち上げを行う上で一番難しかった意思決定はなんですか?
PLを作る中で、事業をどれだけの速度で成長させるかという意思決定ですね。「判断」は誰が見ても答えがわかっていますが、意思決定は違う。51対49の事象に対して、道を決め、意思を貫く必要がある。
その際にオーストラリア事業を堅実に2倍にするか、5倍にするか。両方事業成長はできますが、僕は後者を選びました。守りに入るために海外に来たわけじゃないので。
難しかったのは、その攻めた目標を置いた後です。自分で決めた数字に対して、意思決定を正解にしないといけない。海外不動産事業だけでも、現地の物件を100社以上調査して、仕入れ交渉、営業資料の作成、CS体制の構築、契約フローの設計、入居管理の仕組み化まで国内なら部署ごとに分かれている業務を、全部一人で回していました。攻めた目標を選んだのは自分なので、言い訳はできないですよね(笑)。
攻め続けて、今の事業を伸ばした先に見据えているのは。オーストラリア人を他の国に送り出すアウトバウンド事業です。
今は日本からオーストラリアへの一方向ですけど、これが実現すれば「日本→AUS」だけじゃなく「AUS→他国」「他国→AUS」の双方向が動く。
世界中のどんな国のどんな人でも、どこかへ行きたい人には、ブルードが教育旅行マーケットを一気通貫で支える状態を作る。そんな世界を目指しています。
撤退のプレッシャーと背中合わせ。
退路のない環境が引き出す本気の覚悟。
ーーオーストラリアに来てから、日本の本社とはどんな連携をしているんですか?
PLの策定から管理まで全て自分に一任されていて、基本的に実行までを全て行っています。週3回、社長と直接ミーティングをしていて、壁打ちやアドバイスはもらいますが、事業をスケールさせる責任は完全に自分が負っています。
新規事業なので撤退基準も設けられています。うまくいかなければ撤退。
そのプレッシャーはとてつもないですけど、だからこそ本気で向き合えるんですよね。退路がない中で全力でやるからこそ身につく力がある。
役割分担でいうと、法人化や税務、口座開設といった管理まわりは執行役員の田村が担ってくれているので、自分は新規開拓や事業開発に全集中できています。
あと、オーストラリアにもう一人ジョインしてくれたメンバーがいて、僕が苦手なオペレーションまわりを担ってくれています。海外経験も僕より長くて英語も流暢なので、仕事だけじゃなく生活面でも助けられていますね。最高のペアだと思っています。
ーーオーストラリアで事業立ち上げをする中でやりがいを感じる瞬間は?
撤退基準もあるし、結果を出さなきゃいけないというプレッシャーは常にある。でも、「この事業を絶対に潰せない」と腹の底から使命感を覚える瞬間に何度も出会うんです。
特に深く胸に刻まれている方がいて。地方出身の24歳の女性で、ご両親は歯科衛生士、彼女自身も実家のクリニックでずっと働いていた。オンライン面談で「私の世界はここしかなくて、本当は変わりたいけど、怖くて一歩を踏み出す勇気が出ないんです」と打ち明けてくれて、その背中を必死で押した方です。
しばらくして、オーストラリアで彼女が働いているギリシャ料理屋にたまたま足を運んだ時のことは、一生忘れないですね。ブラジル人やギリシャ人、インド人の同僚たちに囲まれて、英語で冗談を言い合って、とびきりの笑顔で働いていた。日本にいた頃の、自信がなくてうつむきがちだった彼女とは全くの別人で。
僕に気づいた彼女が駆け寄ってきて、真っ直ぐな目でこう言ったんです。「橋口さん、私、人生変わりました」って。
たった一人の背中を押しただけで、その人の人生がここまで変わる。この先もこの事業を通じて人生が変わる人がいるはずで、その可能性を自分の手で閉じるわけにはいかない。プレッシャーがあるからこそ、一人ひとりのお客様の変化がより深く響くし、この事業を成功させなきゃいけないという使命感がどんどん強くなっていますね。
特別な才能はいらない。
必要なのは「逃げずにやり切る」泥臭い覚悟。
ーー今後やっていきたいことは?
次の拠点として、僕自身カナダへ行くことが決まっています。
オーストラリアでは立ち上げに約6ヶ月かかったので、カナダではその半分でやりきりたい。何をどの順番でやるべきかは見えているので、スピードと精度を上げて挑みます。
ただその前に、オーストラリアの仕組み化をやりきることが先ですね。後任が決まっているので、自分がいなくても事業が回る状態を作る。ノウハウの言語化、オペレーションの構築を徹底して、組織が拡張しても耐えられる仕組みを残していきたいです。
最終的には、仕事、住まい、コミュニティなど、海外で生きていくために必要なものを全部ブルードで揃えられる状態を作りたい。オーストラリア、カナダ、その次の国と、一つずつ拠点を広げていった先にその世界があると信じて動いています。
ーーここまで記事を読んでくれた方に、一言お願いします。
僕、ほんとに何も特別じゃないんですよ(笑)。
高校も大学も第一志望に落ちてるし、中学では半年間クラスに居場所がなかった。そんな人間でも、熱量を持ってやり続けたら26歳で海外事業の最前線に立てた。
これは事実です。
ブルードはこれから本気で世界に出ていくフェーズで、一緒に海外拠点を立ち上げてくれる仲間が必要です。
来てほしいのは、スキルや経歴がすごい人より、僕のようにコンプレックスを力に変えて「自分の手で事業を作りたい」という熱量がある人。器用じゃなくていい。逃げずにやり切る覚悟さえあれば、ブルードにはそれを本物の力に変えてくれる環境があります。
僕自身もまだ道半ばです。いつか父を超えたいという気持ちも変わっていない。だからこそ、同じように何かを証明したい人と一緒に走りたいですね。次の海外拠点、一緒に立ち上げに行きましょう!